■ ゆるさない ■
この手の中から 零れていく命 またひとつ あの空へと 還っていく 間に合わなかった 自分を悔やみ 何も言わずに逝った 君を許す事も出来ず… 僕はただ この風の中 立ち尽くしていた それは、強すぎる風が吹き抜ける日の事だった。グラスランドに近い小さな村で休息をとっていたアリアは、ふと何かに呼ばれたような気がして、宿の部屋を出るとふらりと外に向かった。 「…何…だろう…この感じ…」 近くもなく、しかしさほど遠くもない所に、強い力を感じる。それは、戦争が始まり、近づくのを避けてきたグラスランドの方から感じられた。…何か、強い力が集まっている…。 「これは…この感じは、真の紋章…?」 まるで、解放戦争の終わりに、あの皇帝が三つ首の黄金竜へと変化した時のような…統一戦争で、獣の紋章の化身である、銀狼が現れた時のような…そんな、圧倒的な力を感じる。 「……くっっ?!」 ずきんっ、と右手が痛み、そこに宿した紋章が、どくん、どくん、と生きているかのように脈動を繰り返す。…それは、その紋章…ソウルイーターが伝えてくる、誰かの死の予感。ここの所、時おり右手に痛みが走ったのは、近く誰かが死んでいくという、予兆だったのか。そう思い、アリアは唇を噛み締める。 「…行かなければ…」 たとえ、もう…間に合わないとしても…。こんなにはっきりした形でこいつが伝えてくるのは、自分と関わった事のある者…近しい者の死なのだから。 そうして、急いで宿に戻り、荷物を手にすると、村の者に馬を借りてグラスランドに向けて走らせ始めた。風はまるで、彼を導くように…その背中を押すように吹いている。 どれ位、そうやって馬を走らせていただろう。休まず走らせていた為、へとへとになった馬を丁度見つけた泉で休ませようとしていた時…不意に、あれだけ吹き荒れていた風が、止まった。 「……?」 空を見上げても、大気が動く気配はない。水を飲み、休んでいた馬も、不安げに辺りを見回している。 ……風が、凪いだ。 そう思った次の瞬間、まるで、溜めていた力を一気に解き放ったかのような突風が、身体を引きちぎりそうな勢いで駆け抜けた。嘆くような、叫ぶような音を上げて、その風が通り過ぎていった後…ふと、気付く。 「…ルック…?」 不意に、心に落ちた喪失感。駆け抜けた風は…何故か、あの冷たいようで優しい風の魔道士を思い出させた。 「……まさか…そんな…」 彼が、死んだ。そう右手の紋章が伝えてくる。今この時、命の灯が消えたと。 「う、そ…だ…そんなの、嘘だっ……!」 感覚は、頭は、死を理解していた。それでも…心は認められず、アリアはただ、静かに吹き始めた風に揺られ、しばらくその場に立ち尽くしていた…。 * * * * * * * 一週間後、アリアは一人、崩れた遺跡の前に花を手に立っていた。あの後、一度村へと引き返し、馬を返した後に、徒歩であの力の出所まできたのだった。 「…君は…一体、何を目指していたんだ…」 記憶を視ようと、その想いの根底にあるモノはわからない。死の間際の記憶だけでは、彼が何を求めていたのか…それすら、理解する事は出来ない…。 「何か…言ってくれれば、良かったのに…。」 そんな想いは、身勝手なモノだとわかっている。この戦争に、関わろうとしなかった自分に、何も言う資格などない。だが…それでも、こんな事になる前に、止めたかった。…せめて、話をしたかったのに。 「……ルック。」 呟いたその時、何かの鳴き声と共に、白くて大きな何かが、翼を羽ばたかせ舞い降りて来た。ハッと我に返り、その場から飛び退いて棍を構えつつ、いつでも魔法を放てるようにする。と… 「アリアさん?!」 不意に降って来た声に目を上げれば、背の高い青年が白く大きなもの…竜から降り立ち、駆け寄って来た所だった。 「…竜騎士…いや、もしかして、フッチ…?」 大剣を背負ったその竜騎士の青年は、あのフッチと同じ魂の気配をしていた。彼はサッと礼をすると、懐かしさと嬉しさ、哀しさをない交ぜにしたような笑みを浮かべる。 「お久し振りです、アリアさん……。」 「ああ、久し振り…15年振り位かな…?しばらく見ない間に、にょきにょきと育ったものだね。一瞬、誰だかわからなかった。」 優しい笑みで成長を喜ぶような表情を浮かべるアリアに、少し苦笑を見せた彼は、何かを迷うように沈黙する。そんなフッチの心に気付き、ただ真っ直ぐに、今は自分よりずっと高い位置になってしまった瞳をじっと見据える。 「…フッチ、僕に、何か伝えるべき事があるんじゃないか…?いや……伝えたくない事、かな。」 その言葉に目をみはり、フッチは溜息をつくと、目を伏せる。やがて、決意したようにアリアの瞳を見つめ返し、静かに言葉を紡いだ。 「……ルックが、死にました。」 …今更、その言葉を聞いても、驚きはしない。自分の感覚は、彼が死んだ事を伝えていたから。それでも…実際に、それを知る者から聞くのは、やはり哀しい。無様に取り乱したりしないように、アリアはそろそろと胸の痛みを息と共に吐き出した。 「…そう、か…。」 「彼は、真の五行の紋章を集め、自分の魂ごと…真の風の紋章を、壊そうとしていたようです。世界を…真の紋章に囚われた、この世界を…解放する為に。」 フッチの声も、心を抑えこんだような、どこか事務的な声だった。まるで、説明する事が義務のように。その声が言った言葉を、無意識のように反芻しながら、アリアは自分の右手に視線を落とす。 「……真の、紋章の…破壊…。」 「彼には…世界の終末…その一つの形が、見えていたんだそうです。色のない、沈黙だけが支配する、死んだ世界…それが、争いの果てに辿り着く、この世界の終わりなのだと…そう、言っていたそうです。」 「…途方も無い、話だ…」 そう呟き、右手に宿るモノを隠すようにそっと撫でる。同じように、真の紋章を宿しているのに…その考え方を、受け入れる事は出来ない。 「真の紋章の力は、膨大だ…。それを壊せば、どれだけの国が消え、どれだけの命が喪われるか、わからない。だから…倒すしか、なかったんだね…。」 どちらが正しいか、なんて、わからない。どちらも、譲れない想いがあるから、ぶつかるしかない。止まらないというなら、殺してでも止めるしかない。けれど… 「だけど…そうして殺して殺されて、争い合って…行き着く先が、沈黙の世界なんて…そんなの…馬鹿げてる。」 「……アリア、さん……」 「もし…そうして、紋章を砕く事に成功していたとして、同じ結末になるかも知れないとは、思わなかったのか?多くの国が、人が死ぬ…それこそが、世界の終末だとは、思いもしなかったというのか!」 ただただ、哀しかった。二度の戦争で、ルックが得たモノはなかったというのか。自分や、カノンでは力にもなれなかったというのか。 「独りで、思い詰めて…突っ走って死んだ君は、大馬鹿だ…っ!!」 自分の周りでそよぐ風さえ、哀しい。無力な自分の心の雫が頬を伝う。フッチが目の前で困っているだろう。それでも…今は、英雄の顔なんか保っていられない。 「……許さない!僕は、君も…君を闇から連れ出してはくれなかったこの国の人も…救いを与えはしないあの北の大国も……君を、止められなかった自分の無力さも、全て…許さない!!」 頬を伝い落ちる涙は、拭っても拭っても止まらない。 「ご、めん…フッチ…。今は、英雄じゃ、いられない…っ。」 「……いいよ。俺も、今だけは…無力だったあいつの仲間として…アリアの友達として、ここに居るから。」 あえて昔の口調に戻ってそう言うフッチに、アリアは心の底から、昔の…親友と共にあった頃の自分を知る相手が、今ここに居てくれた事に感謝したくなった。 「…有難う…。」 そうして、今だけは…英雄でも、元リーダーでもない、あの頃の自分に戻って、ただ…泣いた。 * * * * * * * 「…あの、アリアさん…」 「もう敬語は禁止。昔から言ってるのに、全く。…で、何?」 再び敬語を使おうとするフッチにピシャリと言ってから、何か問いたげな相手の顔を見る。 「……。えーと、アリア、も、その…色の無い、終末の世界が見えたりするのかい?」 「いや…多分、紋章によって少し違うんじゃないかな。この紋章が司るモノは、生命…肉体や魂の死と再生だ。何も生まれず、死ぬ事もない世界の事は、僕には見えない。僕に見えるモノは、人の生死と、命の初めと終わりの闇だけ。」 しまった、という表情をするフッチに向けて、アリアは微笑みを見せる。 「20年近く、コレと付き合ってるからね。…いい加減、慣れたよ。けれど…生死が見えても、何も出来ないのは……苦しいね。」 静かにそう言い、アリアは空を見上げる。空は、哀しい程に蒼く澄んで、遠くへと風が雲の切れ端を押し流していく。 「……僕はまた、友を喪ってしまった……」 その遠い瞳に…哀しげな声に、何も言えずフッチは俯く。二人の間を風だけが行き過ぎ…やがて、優しい笑みを浮かべたアリアが口を開いた。 「さぁ、いつまでもここで、立ち尽くしている訳に、いかない。『何こんな所で暗くなってるワケ?あんたがここで辛気臭い顔してると落ち着かないから、さっさとどっか行ってくれない?』…そう言われてしまいそうだからね…。」 その言葉は、一瞬驚くほど、ルックに似ていた。思わずじっとアリアを見れば、彼はただ微笑んで見せた。 「彼の魂は、きっと…やっと自由の翼を手に入れたんだ。天駆ける翼となり、風に乗り、時には僕らの事を見ているかも知れない。だから…あまりクヨクヨしてると、風に転がされてしまうよ?」 そう口にした瞬間、急に強い風が吹き、それに耐え切れずにアリアは本当に転がされてしまった。 「…くっ…やっぱり性格悪いよ。風は。全く…折角持ってきた花まで、風に吹き飛ばされてしまった…あーあ。」 土を払いながら立ち上がり、少し残念そうにそう言う彼を見て、思わずフッチは笑ってしまう。 「……やっと、ちゃんと笑ったな。」 「え……?」 風に衣を遊ばせながら、アリアは穏やかに…哀しげに、笑っていた。 「…彼が死んだのは、彼がそれを望んだからで…彼を止められなかったとしても、それは君のせいじゃない。フッチが苦しいのは、自分で自分を許せていないからだ。」 静かに紡がれた言葉に、思わずハッとする。恐らく、ルックが死んでから心にずっとあった罪悪感を、その特異な力で感じ取ったのだろう。 「遺された僕達に出来る事は…忘れない事、生きていく事…哀しみに、留まらない事…。難しいけど、それ位しか僕達に出来る事はない。……今は、許せないとしても…哀しくても…。」 「……はい。」 頷いたフッチの瞳を見て頷き、彼の方へと歩いていくと、すれ違いざまにポンッ、と肩を叩く。 「…フッチは、長生きしてよ…。もう、君くらいなんだからさ。僕が、リーダーになる前を知っている友達は。」 そう言い残し、アリアはフッチに軽く手を振ると、ブライトの鼻面をポンポンと撫でて、その場から立ち去っていこうとする。 「あ……アリアさん?!」 「敬語は禁止、って言っただろう?…近い内に、竜洞に行くから。ミリアにもそう伝えておいてくれ。……また会おう。」 一度振り返って言った後、今度は足を止めずに森の中へと姿を消した。そんな彼を見送り、一つ溜息をつくと、フッチもまたブライトに飛び乗り、蒼い空へと戻って行った…。 白竜が飛び去った吸い込まれそうな空を見上げ、アリアは一度目を伏せる。その表情は深い哀しみに彩られていたが、やがて強い瞳で意を決したように前を向く。 今はまだ、この地も、風も、自分すら許す事は出来ないけれど。それでも、歩き出す事しか出来なかったから…。 今はただ 何もかも許せぬ瞳 遠い空を見上げ ただ想うのは 自由を得た 風の行方だけ 蒼い空に ただ祈る 風に消えた その心の安寧を… ― 終 ― |
坊で55のお題・17「ゆるさない」です。一応ルック坊なんですが、本人はもう死んでしまった後の3ED後の話です。…まぁ、風としての存在感はなるべく出るようにしたのですが、いかがでしょうか。何となく、彼を知る者同士でのその後の会話が書きたかったんで。フッチは、ルックの友達と言える存在だったと思うので、出してみました。ビッキーでも良かったんですが、それだときっと、アリアの方が泣けないのと、微妙に上手く書けない気がしたので、結局こう落ち着きました。 彼らが誰より、何より許せないのは自分自身で、アリアは何もしなかった自分に苛立ち、フッチは自分への罪悪感でいっぱいになっている。けれど、彼らはまだ生きていて、また生き残っているから、歩き出す。と、そんな二人なんで、この先もいい友であり続けていくんでしょう。…ちなみに、この二人はちゃんとした意味で友達ですよ。と、念の為。 |