■ 一生のお願い ■




 「一生のお願いだよ、アリア。」
 「……またかい…一体、君の『一生のお願い』は、何回あるんだ?」

 親しくなってから、もう何度聞かされたかわからないその言葉に、僕は読んでいた本を閉じ、思わず呆れてそう返した。

 「まぁまぁ、細かい事は気にすんなって。なー、頼むよ。この通りだからさ。」

 わざと情けない声を出して、テッドは僕を拝むように手を合わせ、更に頼み込んできた。

 「…全くもう、仕方ないな…。どうせ僕が応じるまで、ずっとそうやっているつもりだろう?わかったよ…。」

 溜息まじりにその頼みを聞き入れれば、途端に満面の笑みになって、テッドは僕を両腕でぎゅーっと抱きしめる。

 「サンキューッ!もう俺、ホントお前のコト大好き!!愛してるぜっ!」
 「はいはい。そりゃどうも、有難う。」

 簡単にそう言う事をいうテッドの言葉を、僕は再び本に目を戻して聞かなかった事にする。

 「ひでぇ!俺の全身全霊をこめた愛の告白を、さらりと流しやがった!」
 「あのなぁ…。全身全霊、こめてないだろ…?って言うか、こんな事で愛の告白とやらをされても、僕全然嬉しくないし。」

 人の肩に頭を乗っけて、泣き真似してみせる彼をちらりと見て、僕は思わずまた、溜息をついてしまう。軽々しく、そんな事を言うものじゃないだろう。…勿論、軽くなければ口にしていいのか、と言われたら、それはそれで困ってしまうけれど。
 そんな僕の心を知ってか知らずか、テッドが僕の耳元で静かに問う。

 「…じゃあ、真剣に言えばいいのか?」
 「っっ?!…な、何言って…」

 息を飲んで彼の方を見れば、テッドはこちらをじっと真剣な目で見つめている。その様子に、いつもの軽い調子なんて全然なくて…どうしていいのか、何を答えていいのかわからずに、ただ視線を彷徨わせていると、ふ…と、彼が真剣な表情を拭い去ったように消し、その代わりににやりと笑った。

 「う・そ。何だ、本気にしたのか?」
 「なっ…!」

 にやにや笑うその顔に、妙に腹が立って、僕はその無防備な腹に、肘で一撃入れてやる。

 「ぐっ…!!」
 「んな事ばっかりやってるから、『愛の告白』とやらも軽〜く流したくなるんだよ!全く…馬っ鹿じゃないの?!」

 ふい、とそっぽを向いて、そのまま足取りも荒く去ろうとすると、やや回復したテッドに片腕を掴まれる。

 「何だよ、そんなに怒らなくてもいいだろ?」
 「…誠実さのない態度は、好きじゃない。」
 「アリア…ごめんって。もうふざけてあんな事言ったりしないから、そんな顔すんなよ…。一生のお願いだからさ…泣かないでくれ…。」

 そう言われて初めて、自分が泣いていた事に気付いた。テッドは、そんな僕の濡れた頬と目元を優しく拭って、困ったような表情になる。

 「…そんなに、嫌だったか?」
 「……。ふざけて、あんな事言われるのが、嫌なだけ。別に、『一生のお願い』も、君の冗談も、嫌いな訳じゃない。…けど、冗談ですませちゃ、ダメだろ?…人の、気持ちはさ…。」
 「うん、そうだよな…。ごめん。」

 真摯に僕の言葉を受け止めてくれたテッドに、まだ涙は止まらないままで、僕はにっこりと笑ってみせた。


             * * * * * * *


 あの時、どうして僕は君の嘘に泣けたのか…その時の僕には、わからなかったけれど…。

 「…テッド…」

 あんな日々が、ずっと続いていくのだと思っていた。けれど…僕の『日常』は、めまぐるしく変わっていって、いつの間にか…『非日常』が、僕の『日常』になっていた。

 「…テッド…僕は……」

 淡い光を放つ、不思議な色の水晶に囲まれた谷。君の身体が消え去って、魂が僕の右手に囚われた場所。…君の魂が、この右手の紋章に吸収されて、僕は初めて君の想いを知った。

 「……僕も…君が、好きだったよ…」

 あの時僕が泣けたのは、君を想っていたから。今も泣けないのは…君が、僕の隣にいないから。

 「やっと…わかったのに…。君の、想いも…その苦しみの欠片も…喪う事の辛さも。夜、見る夢の怖さも…君の、強さも…」

 なのに、わかった時には、もう…いない。

 「どこにも…いない…。テッド…テッド…ッ!どうしてだよっ、何で…あんな事したんだ!!自分から死ぬなんて…。何故皆、簡単に死んじゃうんだよ…っっ!!」

 目の前にいたのに…命はするりとこの手からすり抜けて、零れて…右手に宿る死神の中に消えていく。

 「…お願いだよ…。一生のお願いだ…ねぇ、戻って来てよ…。また僕の傍で笑ってよ…っ!いつもみたいに、笑顔で『俺が傍にいるから大丈夫だ』って言ってよ!!」

 ずっと、胸が張り裂けそうで、それでも泣く事すら許されず…いつの間にか、泣けなくなって。いっそこのままこの胸が裂けてしまえばいいと、何度思っただろうか。どうする事も出来ずに、僕はただ、水晶の谷に向けて叫ぶ事しか出来なかった。

 「…お願いだ…一緒に、いて…」

 全身から力が抜けて、僕はがくりとその場に座り込む。僕の声に応えるものは、谷を渡っていく風の音だけで…それはただ、この心の孤独感を煽るだけだった。

 「……っ、あ…ぅああぁっ!!」

 叫んで、地に拳をぶつける。そうして欠けて転がっていた水晶の鋭い欠片を手にして、無意識に右手とその手首を切り裂いていた。痛くなんかなかった…心の方が、ずっと痛かったから。苦しさをぶつけるように、もう一度欠片を持った手を上げた瞬間、不意にその手が止まった。

 「……?」

 身体が、まるで抱きすくめられたように、動かない。突然動けなくなった事に戸惑う僕の耳に…心に、優しい声が届いた。

 『……ごめんな。』
 「…テッ…ド…?」
 『お前に、背負わせちまって…何もかも奪って、苦しめて…ごめんな。』

 いつの間にか、テッドが目の前にいて、そう言いながら抱きしめてくれていた。…それが、霊だろうが、幻覚だろうが、何でもいい。ただ、テッドがいてくれた事が嬉しかった。

 「テッド…」
 『こんな所で、そんな風に自分傷付けて…死ぬつもりなのか…?』

 その哀しげな視線に、ようやく自分の右手…その手首の状態に気が付いた。一目見て、ひどい傷だという事がわかった。傷口から流れ出す血が、どんどん周囲を紅く染めていく。

 『アリア、もうこんな事をするのは、やめてくれ。お前がこんな事をしても…俺は…俺達は、お前の傍に戻れないんだ…。お前がこうやって傷付く事を、誰も望んじゃいない…。』

 そう言って、テッドは僕の右手を注意深く持ち上げて、そっと傷口に唇を寄せる。と、ふわりと触れられた場所が温かくなって、血が止まった。

 『…頼むから…もう二度と、こんな事しないでくれ。…一生の、お願いだからさ…。』
 「…また、行ってしまうの…?」

 呟いた言葉に、彼は何とも言えない表情で目を伏せる。…困らせてしまっている…そう思っても、一緒にいたい想いは止められなかった。

 「このまま…一緒にいては、ダメなの…?」
 『……。アリア…俺はもう…死んでるんだ…。俺だって、戻れるモンなら…』

 苦痛に満ちた声に、それ以上何も言えなくなる。

 『…お前が、望むようには、一緒にいられないけど…俺は、いつも傍にいる。…その紋章の中から…お前を、守り続けるから…。』

 テッドはそう言って、今まで見た中で、一番優しく…一番哀しい微笑みを向けた。その笑みを見ていたら、勝手に僕の目から一筋、涙が零れてきた。…今まで、泣けなかったのに。

 『……ごめん。』
 「いいんだ…謝らないで…。僕を心配して…こうして、姿を見せてくれたんだろう?…僕の方こそ、そうなってまで、心配させて…ごめんね…。」

 そう、きっと彼がこうして現れてくれたのは、僕の状態を案じての事だろう。僕が気付けなかっただけで、彼は…皆は、いつでも僕の傍にいてくれてたのに。

 『アリア、いつでも…俺が傍にいる。大丈夫、どんな時でも、お前は独りじゃない。』
 「…うん…。」

 頷いて目を伏せた僕をもう一度抱きしめて、その指先でそっと僕の目から零れる涙を拭うと、テッドは一度だけ唇を重ねて、消えた。
 …まるで、全てが幻だったみたいに。

 「…幻なんかじゃ、ない…」

 もし幻なら…僕の傷口からは、未だ血が流れ続け、死んでいただろう。…もし、全てが夢なら、唇に残された感触の説明がつかない。

 「……テッド…有難う…。」

 僕の言葉に応えるように、右手の紋章がふわりと優しい光を放つ。それを見つめ、僕はほんの少しだけ笑いながら、怪我した右手を取り出した布で縛り、立ち上がる。軽い貧血を起こしそうになったけれど、歩けない程じゃない。

 …そうして僕は、訪れた時よりずっと穏やかな心で、その谷を後にした。彼の想いを、胸に刻んだままで…。



君の願いが 僕を縛る
それでもいい それがこの命を 繋ぎ止めるから

この身に 心に 傷を刻み
僕は独り この空へと はばたこう

君と共に この夜が明けるまで…



― 終 ―


 坊で55のお題・7「一生のお願い」です。やっぱり、一生のお願い、って言ったらテッド坊だろう!と思って、意気込んで書いたものの、気が付きゃまた暗いし。しかも、坊がシークの谷で自殺未遂だし。テッドが幽霊として出演だし。…ある意味、裏に持って行った方がいいような気がする話になってしまいました。ヤな気分になったら、すいません。死にたかった、というよりは、自棄になってあの一瞬だけ、何もかもどうでも良くなった、って感じだったりするんですが。…よく自暴自棄になる人ですね…。

 何だか微妙に「散華」と似たような展開だったりするのは、黙っててあげてください…。こっちのが先にアップされてますが、散華の方が実際には随分前に書いたモノを書き起こしたモンなんで、こっちがあっちに影響されてるのかも知れません…。



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