遠き春 遠き想い
降り続く 雪の花に隠されたものは
未だ春見ぬ 心の底に眠る花



― 水晶花 ―




 軍師の朝は早いもの、と信じ込んでいる姜維の朝は、恐らく城内の誰よりも早い。夜遅くに眠り、朝は早く目覚める。師の教えと共に、そんな生活習慣までもいつの間にやら身に付けてしまっていた。

 「…全く、お主ら師弟は、余程無理が好きと見える。」

 そう苦笑まじりに言ったのは、兄の様に優しいとある将軍だったか。本人にはあまり自覚はないのだが、もしかしたら無理をしているのかも知れない。そう、言われた時姜維も少し反省したものだが。

 しかし、今朝の目覚めは、そういった生活習慣とはあまり関係がなかったようだ。ふと意識が浮上した時、急に出たくしゃみのせいだったのかも知れない。

 「……っ、寒…」

 この、起き上がりたくなくなるような…痛みを感じる程の刺す様な寒さには覚えがある。意を決して起き上がると、彼は少しだけ部屋の戸を開き、外を見てみた。

 「…やはり…。」

 淡く浮かび上がる情景は、夜明けの薄闇をほの白く照らし、地表を包む様に舞い降りる白を柔らかく映し出す。昨夜から降り出した雪が積もったのか、と一度薄暗い空を見上げ、姜維はそっと溜息をついた。

 「…どうもこの分では…これ以上眠れそうにないな…。」

 本当は、起き出すには少し早いのだけれど。やれやれ、というように首を振り、彼はすっかり冴えてしまった頭を軽く押さえた。

 「少し、散歩でもしてみよう…。」

 もう一度溜息をつき、部屋から出ると足の向くままに歩き出す。麻痺してしまったのか、寒さはあまり感じなかった。そうしてただ歩いて、ふと中庭で動く何かを見た気がして、足を止めた。時刻はまだ明け方…それも、かなり早い。そんな時刻に、自分は何を見たのか…。どうも気になり、少し近づいて周囲の様子を窺う。と…

 「あれは…趙雲殿…?」

 中庭の一角…さほど離れていない場所で、舞う雪を相手に立ち回るように、よく知る武将が一人修練をしていた。その流れる様な動きは、舞う様に、というには苛烈でありながら、この白い闇に槍が風を切る音すら消える程、静かなものだった。彼の表情には、戦場とは違う厳しさが漂い、冷静な動きの中で息だけが熱く、凍える大気に白く浮かぶ。
 そんな趙雲に何となく声もかけられず、姜維はただ、その動きを目で追い続ける。そうして、どれ位経った頃だろうか。ふと趙雲がこちらを向き、軽く苦笑を浮かべた。

 「どうも視線を感じると思ったが、伯約だったか。…どうしたのだ、そんな所で。」
 「え?あ…申し訳ありません、お邪魔でしたか?」

 我ながら、妙に間抜けな返答だったか、と思ったが、趙雲はただ笑う。

 「別に邪魔ではないが、まるで夢でも見てるような表情だったのでな。まだ寝惚けているのか…それとも、俺に見惚れたか?」
 「ちょ、趙雲殿!!」
 「…冗談だ。この位、聞き流せぬようではまだまだだな?伯約。」

 近くまで歩いてきて、楽しげに笑みを浮かべる彼に、姜維もまたつられて笑う。

 「それで、こんな所でどうした?まだ起きるには早かろう。」
 「ええ。…少し寒くて、頭が冴えてしまって…。趙雲殿は、どうされたのです?」
 「いや、昨晩護衛の者達と共に飲んでいたんだが、少々飲みすぎたようだ。…起きてからもまだ酒が残っている様で、どうも調子が出なかったから、まぁ…酔い覚ましにな。」

 苦笑をしながら、やれやれと溜息をつく趙雲が何だか可笑しくて、ついくすくすと笑う姜維に、彼はばつが悪そうに空を見上げる。

 「丞相には、言わないでおきますよ。」
 「…まぁ、それは、助かるというか…。言われると、少々情けないから、出来れば言わないでおいて欲しいが…。」

 まだ笑いの発作がおさまらない姜維をちらりと見て、趙雲はもう一度溜息をつくと、自分の着ていた上着を脱ぎ、笑い続けるその頭に向けて放る。

 「…っ?!な…どうしました??」
 「その様な薄着では、いくら寒さに慣れていても、流石に身体を壊すだろう。」
 「あ…いえ、しかし…それでは、趙雲殿が…」
 「俺は平気だ。今まで身体を動かして、暑いくらいだからな。」

 姜維は少しの間、困った様に手にした上着を見ていたが、好意を無にしてはならない、とそれを肩にかける。と、今まで麻痺していた感覚が、上着に残った熱により戻ってくる。ぶるりと身を震わせた彼を見て、趙雲はまた笑う。

 「やはり、寒かっただろう?」
 「……。ええ。どうやら、自覚していなかったようです。」
 「お主は、そう言った自覚が少々足らんようだからな。…お主の師の様に、自覚があって無理するのも、どうかとは思うのだが…。」

 本当に、お主ら師弟は、無理が好きだな。そう呆れた様に呟いて、雪舞う空を見上げる趙雲をじっと見つめる。

 「…優しいですね、趙雲殿は。」
 「ん…?そうか?…俺はただ、自分の思う通りにしているだけなのだが…。」
 「それに…お強い…。」

 そう言ってみると、空から目を戻し、彼は苦笑する。

 「今日は、妙に褒めるな…。何と言うか、そう言ってくれるのは嬉しいが…どうかしたのか?」
 「いえ、本当にそう思っただけなのですが…。どうして趙雲殿は、その様に強く、それでいて優しく在れるのか、と…。」
 「…そうだな、守りたいと…思うからかも知れんな。」

 守りたい?と視線で問うと、彼は真剣な瞳で姜維と向き合う。

 「そう…私は、殿を…共に戦う仲間を…この国を、守りたい。この腕で守れるものには、限りがあるだろう。それでも、私は…この身にかえても、守り抜きたい。私の全てでもある、大切な者達を。」

 強い瞳、強い言葉…きっと彼は、その言葉通りに動くだろう。心の何処か、過ぎった不安感はきっと、気のせい…。

 「……私も、その様に強く、なれるでしょうか…?」
 「何を言う?お主はもう、充分強いだろう。…伯約にも、守るべき者が居るのだから。」
 「…はい…。」

 この迷いや不安を汲み取ったのか、趙雲はぽんぽん、と軽く姜維の頭を撫でて、優しく…頼もしい笑顔を見せる。

 「…とは言え、あまり無理をして、頑張りすぎるな。気を張り詰めすぎては、いつしか糸が切れてしまう。…しっかり体調を整える事も、軍師の務めだと俺は思うんだがな。まぁ、元気な軍師というのも、あまり見ないが。」
 「…確かに。」

 思わず互いに顔を見合わせて、微笑む。そうして笑っていたら、いつの間にか不安感も拭い去った様に消えていて、やっぱり自分は無理をしていたのかも知れない、と、口には出さずにそう思った。

 「…趙雲殿…」
 「どうした?…何やら、眠そうだが…大丈夫か?」
 「……はい。ちょっと…」

 何だか妙に安心した途端に、ひどい眠気が襲ってきた。返事を返す事すら難しい。

 「お主は、少し無理をしすぎなんだ。…部屋に戻って、休んだ方が…」

 そう言われても、もう身体が動かない。慌てた様な、趙雲の声だけが、何とか聞き取れる。

 「…おい、こんな所で寝るな!伯約?!」
 「……すいません…もう…」

 そんな言葉を残して、後は完全に寝入ってしまったらしい姜維に、趙雲は頭を抱えて、思わず深い溜息を落とす。

 「全く…変な所で大雑把な奴だ…。そこまで無理をする前に、部屋に戻って休めと言うのに。」

 しかし、趙雲の肩にもたれかかり、何だか気持ち良さそうに眠ってしまった彼を、無下に扱う訳にもいかず…と言って、すぐに部屋に運べば、起こしてしまうかも知れず。結果、趙雲は動く事も出来ずに、苦笑を浮かべた。

 「……。今回は、仕方ない…大目に見るとするか。」

 ぽんぽん、とあやす様に姜維の肩を優しく叩きながら、ようやく明るくなりだした空に目を向ける。そうして、少し弱まった雪を見つめて、さて…これからどうしようか、と頭を巡らせるのだった…。



 結局、その後諸葛亮が探しに来るまで、彼らが寒い外に居た事や、趙雲が姜維を寒さからも守った為に、後日風邪をひきこむ事になった、と言うのは、また別の話。



遠き春 気付かぬ想い
雪を割り 花開くまで 知る事はない
春待つ心に 未だ凍る 白い花



― 終 ―



 無双小説そのにで、カウント500のリクエスト小説です。何つーか、雪があまり関係なくなっちゃって、すんません、里見さん。頑張ったんだけど、微妙な話になったような気がしてしまいます。うーん。少しでも気に入っていただければ嬉しい限りです。

 無双も、もうちょっと上手く書けるように、努力します。最初に書いたモノよりは、柔らかい印象の文になるようにしたんですけど。目指すは甘い系だったんで。でもそうすると、微妙に無双っぽくないような。さじ加減難しいですね。


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