● 春花 ●




見上げる桃色 春の空
未だ 気付かぬ 青い恋花

遠き春 近き想い
知らず心は すぐ傍に…



 「…はぁ…花見、ですか?」

 諸葛亮に呼び出された趙雲が、一体何事かと思って軍師夫婦とその弟子が使う執務室へと行ってみれば、明日は仕事にお休みをいただき、彼ら三人…諸葛亮とその妻月英、弟子の姜維という一行で桃の花見に行くらしく、護衛として趙雲に来てもらいたい。…と、話を要約すればそんな所だった。

 「…まぁ、明日は仕事も特にありませんが…他の者ではなく、本業の護衛兵達でもなく…何故か、私なんですね…。」
 「酒に慣れぬような若者や、逆に底なしの者を連れて行く訳にもいきませんし、宴会状態…というのも好ましくありません。その点、あなたならば酒を嗜みつつも自分を失う方が少ないでしょうし、万一の事があった場合も、動きがとれない、という事もないでしょう。」

 適任なんですよ。と言って笑う軍師殿の言葉は確かに正論だったのだが…どうにも軍師というものは、裏がありそうで迂闊に頷くのが怖い相手だ、と思ってしまう。…とは言え、味方なのだから、何がどうという事もないだろうが。せいぜいが、多少遊ばれるだけで…。

 「それは…確かに、護衛するとなれば自重しますし、有事の際には任された以上、何が何でもお守りしますが…しかし、今の状況ならば、そこまでの事態もないのでは…。お三方揃っていれば…」
 「私達だけでは、知略には長けているでしょうが、戦闘力には少々不安が残りますから。」

 …何をおっしゃるやら…あなた方三人いれば、充分城の一つ容易く落とせる戦力でしょうに。とは心には呟く事が出来ても、口には恐ろしくて出せない。

 「…わかりました。そこまでおっしゃるならば、護衛として同行しましょう。」
 「ええ、宜しくお願いします。許可はもう取ってありますから。人間兵器とすら言えそうな強さを持つ貴方に付いて来ていただければ、心強い。」
 「……に、人間兵器、ですか……」

 それは、果たして褒め言葉と言えるのだろうか?つい言葉を失いながらも、そっと溜息をつく。許可を取ってある、と言う事は、これは最早決まっている事で、今更断わると言うのは、どの道無理な話だったようだ。さすが、根回しが早いというか、何と言うか。
 まぁ、別に嫌という訳ではないのだ。ただ、どうにもこう言う時は、何か仕組まれていそうな気がするだけで。しかしこうなった以上は、そんな事を思っていても仕方がない。元より深く悩むのが好きではなく、性にも合わない彼は、どうせ行くならば楽しもう、と思い直す事にした。



 そうして次の日、四人連れ立って桃の花が綺麗な場所まで馬で行く事となったが、本当に言葉通りに他の護衛兵なども居らず、趙雲はそっと溜息をつく。まぁ、確かに今の情勢ならば、あってもせいぜいが賊などに襲われる程度だろうと思うのだが。それにしても、このような本当に少人数とは…。少々、無防備なのではなかろうか…?

 「趙雲殿、どうされました?もしや、何か不都合でも…?それとも、やはり護衛など嫌、ですか…?」

 隣に馬を並べ、心配そうに見つめてくる姜維を安心させるように微笑み、そうではないのだ、と首を振る。

 「別に不都合などないし、護衛が嫌だという訳でもないのだ。ただ、この少人数…あまり気を抜かないようにせねば、と思っていただけだ。」
 「そうですね…趙雲殿にだけ、そういった気苦労をかけさせぬよう、私も気を抜かないように致します。」

 そう言って、改めて真剣な表情をする彼の様子に、趙雲は思わず苦笑を浮かべる。

 「まあ、とは言うものの、恐らくはそこまで差し迫った状況にはならないだろうと思うが。…折角の花見だ、気を張り詰めさせているのも勿体無い。お主は気にせず、花見を楽しめばいい。」
 「しかし…それでは趙雲殿だけが…」

 眉を顰め、困惑したような顔になる姜維の言葉の後を引き継ぐように、他の二人も会話に加わってくる。

 「あら、万一の事がある場合は、趙雲殿お一人で何とかして下さる、という事ですか?」
 「それは、頼りになりますね。護衛として一緒に来てもらって正解です。」
 「……お二人共、人が悪い…。それは、万が一の場合には、私も全力を尽くすのは当然ですが…さすがに、その様に言われますと……。」
 「おや、無理なんですか?」
 「…いや、無理、とまでは申しませんが…」

 困って溜息をつきながら、いや何でそもそも、俺は二人に詰められているのだろうか?などと考え、苦笑する。そんな彼と、自分の師とその妻を見て、姜維は慌てたように話に入る。

 「お、お待ちくだされ!趙雲殿だけにその様な事をお任せするなど、出来ません!万が一の事があれば、私も全力を尽くします!」

 真剣な表情で叫ぶように言う姜維に、彼を息子のように大事にしている夫婦は苦笑を浮かべ、安心させるように言葉を紡ぐ。

 「姜維殿、大丈夫ですよ。冗談ですから。いくら趙雲殿がお強いとは言え、そのように理不尽な押し付けはしませんから。」
 「それに、今の情勢では、そのような事態が起きる可能性も皆無と言っていいでしょうからね。」
 「え、あ…そう言われてみれば、そうですよね…。」

 二人に諭され、恥じ入ったように俯いた彼に、趙雲は笑顔を見せ、僅かに声をひそめて言う。

 「そうでなければ、そもそもこのように無防備な状態で出歩きはしない…俺とお主をからかっておいでなのだろう…。」

 一番からかわれているらしい本人が、仕方ないというように笑う。なるほど、だから先程の『人が悪い』という発言になるのか、と姜維はようやく納得する。

 「私の勉強不足でした。さすがは丞相です。」
 「…いや、今のは感心する所でも、褒め称える所でもないと思うのだが…。」

 生真面目な表情でそんな事を言う姜維に、思わず趙雲は力無く肩を落とす。自分達の反応を見て遊ばれていたのだから、感心するよりむしろ、多少文句を言っても許される所だろうに。
 何と言うか…本人はいたって真面目なのだろうが、どうにも発言が微妙にずれている。

 「…?趙雲殿、どうかなさいましたか?」

 きょとんとしてこちらを見る彼に向けて微笑み、何でもないと首を振る。

 「別にどうもしない。…それより、いつの間にか俺達の方が少し遅れているぞ。」
 「あ、そうですね。早く追いつきませんと!」



 そんな会話をしつつ馬を進め、ようやく目的の場所へと着いた。そこは規模のさほど大きくない桃園のようだったが、花を愛でる者が自分達の他にはおらず、しかもなかなかに美しい場所だった。

 「…綺麗な所ですね…」
 「確かに…見事な花だな…。」

 二人は馬を降り、幻想的な程綺麗に咲き誇る桃の花々にしばし我を忘れたように立ち尽くす。そうして少しの間それに見惚れた後、彼らは顔を見合わせ苦笑した。

 「それにしても…丞相と月英殿、しばらくの間お二人で過ごすと申しておりましたが、お二人だけで、大丈夫でしょうか…?」
 「…まぁ、あのお二人に限って、何事もないとは思うぞ?そもそも、何事か危険があるというのなら、こんな所まで出て参ったりはしないと思うが。恐らく、夫婦水入らずで過ごしたかったのではないか?」

 そう、ここに着いた途端に、軍師夫婦は少しの間二人で過ごすと言って彼らとは別行動をとったのだ。なるほど、姜維を一人にするのは気がひけて自分を呼んだのか、と趙雲はあの半ば無理矢理でもあった誘いに納得がいったのだが。

 「まあお二人で過ごしたいと思っていたなら、我らが居ては悪いだろう。こちらはこちらでのんびりするとしよう。」
 「…え、あ、そ…そうですね。」

 何やら納得がいってないようなその言葉に、趙雲は怪訝そうな顔をする。

 「何だ、伯約…俺と共にあるのではつまらんか?それは男二人では、いささかむさ苦しいかも知れんが、華はほら、周りに幾らでもあるのだ。人の姿をした華がなくとも、我慢しろよ。」
 「そっ!その様な事は申しておりませぬ!!」

 真っ赤になって反論してきた姜維に苦笑を返し、まぁまぁと宥める。

 「その様に必死にならなくともいい。そんな顔では、周りの花よりいい色に染まってしまうぞ。それとも、酒もまだ口にせんのに酔っ払ってでもいるのか?」
 「そうではありません!だ、大体、『人の姿をした華』が欲しいのは、趙雲殿の方ではないのですか?!」
 「いやいや、俺にはむしろ、華より酒、酒より戦場の方が性に合うと思っているのだがな。」

 頬を赤く染めたままの姜維に、内心でからかいすぎたか?と思いつつ、自分の馬に括りつけていた荷物を解く。

 「まあ、そんな訳だ。そろそろゆっくりするとしないか?」
 「……そうですねっ。」
 「…お主、何を急に不機嫌になっているのだ?」
 「何でもありません!少々疲れただけです!」
 「おいおい、からかった事を、まだ怒っているのか??」

 怒ってません!と言いながら、明らかに怒っている彼は、その勢いのままに馬の荷を解き、適当な木の下に座る。そんな姜維の隣に立ち、趙雲は困ったように笑う。

 「…すまん、伯約。少々、からかいすぎたな。機嫌を直してはくれないか?折角共にきたのだ、一人一人で花見など、少々味気ないとは思わんか?」
 「……。別に、不機嫌になど、なっていません。」

 先程までの勢いとは対照的に、今度は急に落ち込んだ様子の彼に、趙雲は困りきって頭上の花を見上げる。その時、不意に突風が吹き、荒々しく木々の梢を揺らしていく。その音にかき消される程の声で、そっと姜維が呟いた。

 「……私は、華など、要りません…」
 ――…私は今…充分に、二人でいられて、嬉しいのですから……。

 しかし、風に消えた言葉は、木々を揺らす風と散って空に消えていく花びらに目を奪われていた趙雲には届かなかった。

 「…ん?伯約、今何か言ったか?すまん…風の音で聞こえなかったんだが……。」
 「いえ……。そろそろ、月英殿が作ってくださったものでも、少し頂きませんか?と言ったんです。」
 「そ、そうか?…そうだな、そうさせてもらおうか。」

 機嫌が直ったようでホッとして、趙雲は姜維の隣に座る。そうして二人で、軽い食事をしながら、ほんの少しの酒を口にし、頭上の優しい色の花を愛でる。

 「…穏やかですね。…いつまでも、こうしていられればいいのに。」
 「戦が完全に終われば、このように穏やかな日々が続くだろう。それまでは、ほんの一時の平和だとしても、大切にしていけばいい。」
 「……。そう、ですね。」

 僅かに切なげな響きを持った声だったように思い、訊ねるように姜維を見ると、彼はただ微笑む。

 「それまでは、頑張りましょう。必ず、勝って…そして、お互い生き残るのです。…必ず。」
 「ああ!勿論だ。」

 静かで強い思いが、花舞う園に響く。約束とも、誓いともとれぬ言葉が。気付かぬ心、胸に秘めた想いを、あの青い空の下へと隠したまま…。



静かに綻ぶ 心の花 秘めし想いは すぐ傍に
気付かぬ彼の人 想い聞こえず

春の花に 全てを隠して…



― 終 ―
 今更感漂う(5月終わり)、桃の花見ネタです。別名、趙雲がちょっと困ってみたりする話。何だそれ。ちなみに、姜維は自分の想いに気付き始めてる、って言う感じでお願いします。最初、題名を「恋花」にしようと思ったんですが、何だか恥ずかしくなってやめました。いや、内容は充分恥ずかしい気もする。何だこの、爽やか青春ラヴは!!うちの趙姜、常にこんなのかよ!!と、自分でちょっと悶えつつ。

 しかし、何でもいいけど、この話…丞相と月英殿は、どこ行っちゃったんでしょうね。と、一応自分でツッコミ入れとく。いや、きっと、この話の終わり頃には戻ってきてたんだ。んで、物陰から二人の仲をやきもき見守ってるんだ。とか言ってみる。



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