●育児奮戦記●
「……は?…今…何と……?」 ある日、諸葛亮のもとへと呼び出された趙雲は、そこで言われた内容がにわかには信じられず、思わず目と口を大きく開けて、呆然と立ち尽くしてしまった。 …聞き間違いでなければ、今… 「聞こえませんでしたか?ですから、お世話役の者が見つかるまでの間の一時、貴方に阿斗様を預かって欲しい、との事です。」 やはり、聞き間違いではなかったらしい…。と、つい趙雲はがっくりと肩を落とす。殿がそうおっしゃるのならば、易々と断れる筈もない。…しかし、どうしても、納得がいかない。 「な…何故、私が…?私は、子育てなど全くした事も無いのですぞ?!そんな私が、どうしてそのような役目を言いつかる事になったのです?!」 「我が子の命を救ってくれたのを縁として、どうか面倒を見てやってはくれないか、と。…まさか、断るつもりではありませんよね…?」 諸葛亮は笑みを浮かべてはいるが、その言葉の意味合いは、『断ったら、わかっているでしょうね?』と言っているようなものだ。これは、何か?新手の嫌がらせなのか?それとも俺は、殿と軍師殿、双方に遊ばれているのか……?などと、趙雲が思ってしまったとしても、彼を責められはしないだろう。 「…し、しかし…先程も申しましたが、私は…育児経験などありません。」 「それはそうでしょう。初めからそれを知る人などいないのですから。やってみて初めて、慣れるものでしょう。」 「…いや、そういう事ではなく…」 言いながら、この人に口で勝てる訳がない、と、頭を抱える。何故…何故、この様な事に…。そもそも、どうして自分なのか、と思わずにはいられなかった。しかし、どうやら相手の口振りを考えると、断る訳にもいかないらしい。痛くなってくる頭を片手で押さえながら、最後にもう一度確認してみる。 「どうしても…その役目、私が引き受けねばならないのですか?…他に、育児の上手い者は居ると思うのですが…。」 「……そうですか…そんなにも貴方は、阿斗様のお世話をするのが、嫌なんですね。」 嫌と言うより、そもそもそちらが無茶苦茶なのだとは思わないんですか!と、つい声を上げ、叫びたくなるのを堪え、目を伏せる。 「い、いえ…そう言う訳では…ありませんが…」 「では、やってくれますね。」 「………はい。…わかりました。」 本当に、どうしてこの様な事に…そう思いながら、趙雲はがくりと肩を落とし、何とかそう返事を返すしか道がなかったのだった…。 こうして、そんなこんなであっという間に、やった事もない子供の世話…しかも、よりによって主君の子を任される事となり、覚悟を決めた彼だったが、それでは頼む、と阿斗を腕に抱かされた時には、思わず途方に暮れて後悔をした。…本当に、何故こんな事になったのだろうか…そう思い、つい空を仰ぎたくもなった。 そんな趙雲とは反対に、何ともいい笑顔を浮かべた劉備と諸葛亮を見て、やはりこのお二人に遊ばれているか、何か気に障る事でもしでかしてしまったか、どちらかな気がする…そう彼は思った。 「…で…これから、どうすれば良いのだ……。」 眠る幼子を腕に抱えたままで、ただ呆然とその場で固まって立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。 「趙雲殿!」 「…あ、ああ…伯約か。どうしたのだ?」 「丞相より、趙雲殿のお手伝いをするよう、言いつかって参ったのです。私も、お力になります。」 …どうやら、いくら何でも一人では無理だろう、と判断して手伝いを寄越してくれたらしい。しかし、男二人で何とかなるものなのだろうか…。そう考えつつ、来てくれたという姜維に笑みを向ける。 「そうか…すまん。しかし、お主の方は大丈夫なのか?」 「はい。丞相が仕事の事は、気にしなくていいとおっしゃったので、大丈夫です。お世話役の者が見つかるまでの間、一緒に頑張りましょう。」 「…そうだな。しかし…お主もそうだろうが、私も育児経験などないものだから、これから何をどうしていいのか、どのようにしていいのかも、全くわからんのだ。」 「私も、先程色々と調べてはみたので、知識としては何とか理解しているのですが…実際には、どういうものなのかわかりませんからね…。とにかく、やってみるしかないのだと思います。丞相も、やってみて慣れるしかないのだとおっしゃっておりましたし。」 姜維の言葉に、趙雲は深い溜息をつく。そう、多分その通りなのだろう。やってみて、慣れていくしかないのだ。 「ともかく…やれる限り、やってみるしかないのだろうな…。しかし、まだ子育てどころか、未婚の俺やお主が育児とは…やはり無理があると思うのだが……。」 「ですが、任された以上は、やり遂げねばなりませんし。…大丈夫ですよ。きっと、いいお世話役の方が、すぐに見つかります。私達は、それまで何とか頑張りましょう。」 「……そうだと、いいのだがな……。」 こんな事なら、一回くらい結婚して、子供でも作っておくのだったか…。そんな普段なら考えない、馬鹿な事を考える程頭を悩ませつつ、趙雲は腕の中で何も知らず眠る、未来の主君を見つめた後、ただもう一度深々と溜息をついた。 その後は、まるで嵐か戦のようだった。泣けば必要な物を判断して与え、常に気を配っていなくてはならず、しかも全ては慣れない作業…これならば、戦の方が余程楽かも知れない…そう思ってしまうほど、大変なものだった。 「…母というものは…女というのは、すごいな…。俺にはとても、真似出来るものではない…。母は、偉大だ……。」 「そうですね…やはり、男手だけでは…なかなか、上手くいかないようです…。」 何とか阿斗を寝かしつけ、二人はホッと一息しつつ、ぼそぼそと抑えた声で言葉を交わす。 「しかし…伯約は、寝かしつけたり宥めたりするのが、意外に上手いんだな。俺がやっても上手くいかなかったというのに…。」 「…そうですか?そんな事はありませんよ。趙雲殿は、そういった事が苦手なようですね。ですがその分、それ以外のお世話はお上手ではありませんか。阿斗様も、貴方に良く懐いているようですし。」 「そうか?そうだと良いのだが……。」 彼らは全く気付いていないだろうし、そもそもそういうつもりもないのだろうが、その会話はまるで、初めて子供を授かった夫婦のようだ、と言える者は、残念ながらこの場には居ない。 「一時の事ですが…趙雲殿の手によっても育てられているのですから、趙雲殿のように強きお方となってくだされば、この国も安泰だと思うのですが。」 「おいおい…ほんの一時育てただけで、そう何かが変わる訳でもないだろう。…強きお人となっていただければ、この国も安泰、というのは同意見だがな。」 「あの軍勢を、単騎駆け抜けた貴方を、すぐ傍で見ていたのです。…きっと、そうなりますよ。私は、そう思いたいです。」 安らかな寝顔で、すぅすぅと眠る幼子の姿に未来を思い描き、夢見て、互いの顔を見合わせ、仲良く微笑み合う彼ら二人の姿を見る者が居なかったのは、ある意味幸運と言えるだろう。もし見る者があったなら、その仲睦まじさに、あらぬ疑いをかけてしまったかも知れなかったのだから。 「…明日には、新しいお世話役が来るそうだ。この騒動も明日までだと思えば、少々物寂しいものだな。」 「ええ…とても大変でしたが、これも良い経験だったと思います。」 「子育ての予行練習、という所か?…まぁ、確かに…こういう経験があれば、そうなった時には混乱せずにすみそうだが。」 「ええ。なかなか経験出来ない事を、やらせていただきましたから。」 「…そうだな。さて、俺達も少し休むとするか…。」 そうして次の日、諸葛亮を訪ねた彼らは、またも唖然とするしかなかった。 「……お世話役が、まだ決まってない…?!一体、どう言う事ですか、それは!!」 「そうですよ!昨日はお世話役が決まったと、丞相がおっしゃったではないですか!」 思わず血相を変えた二人に、諸葛亮はただ穏やかに笑みを返し、静かに言う。 「二人共、すいません。昨日決まったお世話役が、結局問題があって来れなくなりましてね。今代わりの者を探している所です。申し訳ないんですが、もう少しの間、お世話をお願いしますよ。その間の仕事は、こちらで何とかしておきますから。」 穏やかなその笑顔に、それ以上何も言う事も出来ず、彼らは互いの顔を見合わせ、ただ呆然とその場で立ち尽くす事しか出来なかったのだった…。 …どうやら、この戦には、もうしばらく付き合わされるはめになるらしかった…。 ― 終 ― |
無双5つ目で、カウント1300のリクエスト小説です。育児シーンは全然ありませんが、夫婦みたいな二人は一応書けたと思うのですが。…どうなんだろう。自分が育児なんてした事ないんで、タマヒヨとか読んでみようかとも思ったりしたんですが、やっぱり何か読めんし。広里さんすいません。上手くリクエスト通りになっているかどうか。…ていうか、オチが微妙ですか…そうですか。 それにしてもこの話、殿と丞相は一体、彼らに何をさせたかったのやら。若者二人へ貴重な(?)経験のプレゼントなのか、それともただ単に暇つぶしだったのか…。それは、私にもわかりませんので、ご想像にお任せします、って事で。 |