● 桃華 ●




 昼も夜も、季節も関係なく…軍師というのは多忙なものだ。戦の時は勿論、平常時も忙しそうに、何らかの仕事をしているように見える。特にあの二人…諸葛亮と姜維は、まるで仕事が趣味でもあるかのように、他の者よりもよく働き、あまり自分から休もうとはしないのだ。
 …よく仕事をするのは結構な事だが、ああして働き詰めでは、いつか倒れかねない…そう趙雲は思う。護衛の者に何度も言われて、ようやく休むような彼らだ。そのうち、身体に負担がきて、倒れるなり病にかかるなりするような気がしてしまう。

 「……全く、困ったものだ…」

 自分の限界を正確に理解しつつ、無理をする諸葛亮と、そんな師と同じように生活しながら、自覚なく無理をし、結果限界までいってしまう姜維。端から見ていると、少々あきれてしまうような行動をとるが、それが彼らの性分でもある為、趙雲としても注意を促す事や、彼らが倒れぬよう気を配る位しか出来なかった。
 しかし、やはり彼らの身辺を守る為に、常に周囲に居る護衛兵達にとっては、そんな彼らの行動が趙雲以上に心配らしかった。どう言っても聞き流されてしまう、と思った彼らの護衛達は、ついには趙雲に「あのお二人を何とかしてください」と頼み込んできたのだ。

 「…まぁ、元より彼らの状態は気にかかっていたのだ…丁度良いか。」

 心配で堪らない、といった様子の護衛達をなだめて帰し、趙雲は苦笑しつつも、二人が居る筈の執務室へと足を向けた。


              * * * * * * *


 そろそろ夜も更け、辺りは寝静まる頃だったが、案の定、というか、やはり彼らはそんな時間であっても、静かに仕事をしていた。軽く部屋を覗いてみても気が付く様子がないので、一つ溜息をつくと趙雲はなるべく静かに声を発する。

 「……お仕事中、失礼します。」

 丁寧に発した言葉は静かだったが、しんと静まり返っていた部屋には思いのほか響き、書に目を通していた彼らは驚いたように顔を上げる。

 「ああ、趙将軍でしたか。このような夜更けに、どうしたのですか?」
 「実は、お二人の護衛の者達に泣きつかれまして。『夜は夜更けまで、朝は誰よりも早く仕事をなさっていて、殆ど休んではくださいません。私達がいくら言っても聞き流されてしまうので、どうか趙雲様より、休むよう言ってはくださいませんか。』と。」

 その言葉に、どうやら自覚があったのか、彼らは揃って苦笑を浮かべる。

 「それは…迷惑をかけてしまいましたね。ですが、少なくとも私は大丈夫ですよ。」
 「私も、平気です。趙雲殿、お気遣いいただき、すみませんでした。」

 彼らの言葉に、趙雲は思わず頭を抱えたくなった。…なるほど、こんな調子では、護衛達の苦労も偲ばれる…。しかし、頼まれてしまった以上は、そう簡単に引きさがる訳にもいかない。

 「そのように言われても、お二人の仕事の多さを見ている限り、その言葉を丸々信用する訳にはいきません。私も、お二人の護衛達と同様に、たっぷり休んでいただきたいと思っているのですから。仕事を放り出せ、とは言いませんが、もう少し休んだ方がいいと思いますぞ。」
 「問題なく休んでいますから…護衛達にも、心配しないよう伝えてもらえませんか?」

 全く、どこをどう見れば休んでいるというのだ…諸葛亮の静かな口調に、つい腹を立てそうになったが、それは恐らく相手の思うつぼ、と、冷静さを保つ為、もう一度溜息をつく。

 「そう言う訳にはまいりません。私は、彼らに何とかして欲しいと頼まれているのです。…ともかく、何としてでも、休んでいただきます。」
 「…ちょ、趙雲殿…本当に、大丈夫ですから…」

 困ったように見つめてくる姜維に目を向け、流すように二人を見つめた後、軽く笑みを浮かべながら、更に言い募る。

 「休んでいただくまで、私はここに居りましょう。それで私が寝不足になり、戦場にて本来の力を発揮出来ず終わったとしても、まぁ、仕方ありますまい。」

 自分を使った言動に、流石の彼らも折れ、苦笑するしかなかった。

 「貴方もなかなかに人が悪いですね…わかりました。このような事で貴方の力が実力以下になられては、困った事態になりかねませんから。今日の所は、休ませてもらうとしましょう。」
 「人が悪いのはそちらの方でしょう…。今日と言わず、常にこれ位の時刻には、せめて休んでいただきたい。軍師が寝不足で倒れては、それこそ困った事態になりますからな。…何なら、明日は一日ゆっくりと休んではいかがです?明日は特に戦も軍議も、急ぐような用事も無かった筈ですから。」

 趙雲にそう言われ、二人は顔を見合わせると、同時に似たような困った表情を浮かべる。

 「……しかし…」
 「そう言う訳にも…」
 「あまり忙しくない時位、どうか休んでください。万が一、お二人に何かあった時、この国はどうなります。ご自分達の為にも、この国の為にも、たまにはゆっくりお休みください。」

 駄目でもともと、という気分で、二人を何とか説き伏せようと趙雲は言葉を紡ぐ。

 「それとも、毎日こんなにも仕事をしているというのに、仕事を溜め込んでいるとでも言うのですか?そうではないでしょう。仕事が趣味なのはわかりましたが、時にはゆっくり心身共に休めるような時間が人には必要です。」

 常にない強情さで力説する彼に、ついに諸葛亮の方が負けた。

 「…そうですね、では、そうさせてもらいましょう。」
 「では、私が丞相の代わりに、仕事をしておきます!」

 返事ばかりは元気にそう言う姜維に、思わず趙雲は半眼を向ける。

 「……。お主も当然休むのだ、伯約…。」
 「そ、そうなんですか…?」
 「そうですよ。たまには仕事から離れて、ゆっくり休んでおきなさい。…そうですね…趙将軍に、何処かへ連れて行ってもらうと良いでしょう。」
 「は、はい?!」

 突然の諸葛亮の言葉に、姜維だけでなく、趙雲も驚いてしまう。そんな二人を見回し、穏やかな笑みを見せる。

 「放っておくと、どうもしっかり休んではくれない気がしますのでね、姜維は。ですから、趙将軍にお任せします。…そう言えば、そろそろ桃の花が見頃になっているようですね。花見にでも行ってみたらいかがですか。」
 「は、はぁ…わかりました…。伯約は、それでいいのか?」
 「はい、折角のお申し出ですので、宜しければご一緒させてもらいます。」

 どうも流れるように保護者役を申し付かってしまった趙雲は、まだ納得がいかないながらも、別に嫌という訳でもないし、何より休暇を勧めたのは自分なので、頷くしかなかった。

 「ああ、趙将軍…酒は控え目に願いますよ。」
 「……承知しました。」

 そんな風に釘を刺されつつ、ようやく仕事を切り上げた二人を確認すると、趙雲も部屋に戻り休む事にした。


             * * * * * * *


 次の日、趙雲と姜維は用意周到な月英が作っておいたらしい軽い昼食と、少しの酒などを持たされ、いい景色の桃園があるという場所を彼女に教えてもらい、送り出された。

 「お二人共、ゆっくり心身を休めてきてください。」

 そんな事を言われながら。…夫婦水入らずで過ごしたかったのだろうか、と馬を進めつつ趙雲は思ったが、他の者を誘う暇も与えられなかった事に首を捻る。人数が揃うと、場合によっては、宴会状態になってしまうから、余計に疲れてしまうせいかも知れないが。

 「どうかいたしましたか、趙雲殿?」

 同じく馬に乗った姜維が、少々難しい表情をしていた彼に、怪訝そうな目を向ける。

 「…いや、折角だし…暇な他の者も誘えれば良かったのだが、と思ってな…」
 「そうですね、でも、そうすると宴会になってしまったかもしれませんから…。」
 「月英殿も、諸葛亮殿も、気をつかってくれた、という事か。」

 諸葛亮は、休暇を殿に申し出ておくから、と言って、二人を送り出した。…彼自身がちゃんと休むのかはわからないが、多分それに関しては、月英殿が何とかしてくれるだろう、と趙雲も姜維も思っていた。

 「まぁ、宴会になっては、お主の気も休まらぬだろうからな。軍師殿にはしっかり釘を刺されてしまったし、今日はちゃんと『花見』をするとするか。」
 「……いつもの花見は、どちらかと言うと『宴会』なんですね…」

 姜維の呆れたような呟きに、思わず苦笑を返す。

 「そうだな、まぁ…人数が居ると、色々とな。いつもそれでは困るかも知れんが、たまには騒ぐのも良かろうよ。」
 「…そんなものでしょうかねぇ…」
 「ま、そんなものだ。お主もたまには、はめを外してみるのもいいかも知れないぞ?」
 「……考えておきます。」

 生真面目なその口調に、趙雲はやれやれ、と笑う。まぁ、姜維が率先して大騒ぎをする、という姿も、想像は出来ないが。



 そんな話をしつつ、しばらく馬に乗り歩かせていくと、ようやく目的の場所に着く事が出来た。確かに、話の通り桃の花が綺麗に咲き、遠く眺める景色もなかなかのものだった。
 馬を降り近くの木で休ませると、桃の花が咲き乱れる木の下に座り、二人はその風景に目を奪われ、しばし声もなく辺りを見つめる。

 「……綺麗な眺めですね…」
 「ああ、そうだな…この景色をたった二人で独占する、というのも、少々勿体無いが。」
 「……花がまだ散らぬうちに、もし戦もなく、丞相の許可がいただけるようなら…今度は他の者も誘ってくるのもいいかも知れませんね。」
 「…いいのか?恐らく、そうなれば宴会になってしまうぞ?」
 「たまになら、良いのではありませんか?」

 ふわりと微笑む姜維の言葉に、趙雲は一瞬驚き…笑みを返す。

 「…そうだな。お主も、少しは頭が柔らかくなったか?」
 「さて…どなたの悪影響でしょうかね?」

 そんな事をお互いに言い、同時に苦笑を浮かべる。

 「全く、言うようになったものだ。そのような所ばかり、師に似ずとも良いだろうに。」
 「別にそう言う訳では……」

 くしゃくしゃと趙雲が頭を撫でると、姜維は少し不満そうな表情をした。

 「うん?どうした?」
 「いえ…その…この歳で子供扱いをされるのは…」
 「…ああ、すまん。別に、子供扱いをしていた訳ではないのだが…。気に障ったのなら、すまなかったな。」

 趙雲としては、何の気なしに撫でていたのだが、確かに男としては恥ずかしい事かも知れない。そう思い、素直に謝ったが、姜維は難しい顔で考え込んでしまう。

 「…どうした?そこまで気に障ったか…?」
 「あ、いえ…そう言う訳では。ただ…」
 「ただ?」
 「……ただ、趙雲殿に、『大人』として認めていただいていないのかと思ったら、少し…自分が情けなく思えて…。」

 何やらしゅんとして俯いてしまった姜維に、趙雲は困ったように遠くを見つめる。

 「…別に、そこまで深い意味はなかったのだが…俺は、お主の実力を充分認めているつもりだし、子供扱いして侮っているつもりはないぞ?」
 「……はい。」

 そうして少しの間、姜維は俯いていたが、不意に立ち上がり、月英が持たせてくれた荷物から酒を取り出すと、一気に飲み始める。一瞬呆気にとられてしまった趙雲は、それを見て慌てて止める。

 「…っっ?!お、おい!」
 「放してください!今飲みたい気分なのです!!」
 「……は?!って、お主、無茶苦茶だぞ?!そんなに酒に強くないくせに、いきなり一気に飲むなど、何考えて……っ」

 などと言ってる間に、一気に飲んだつけが回り、これまた一気に酒が回って、姜維は地に膝をつく。

 「……っ…」
 「だから、言っておるだろう…っ!…全く…無茶にも程があるぞ…伯約…。」

 それを横から倒れぬように支えつつ、彼から酒を奪い、それ以上飲ませないようにする。軽く振ってみると、中身が半分以下になっていた。…そりゃあ、倒れもするだろう…。

 「…大丈夫か?ほら、水を飲め。」
 「……すみ、ません…」

 持っていた水を渡して飲ませ、やれやれ、と溜息をつき、姜維を自分に寄りかからせる。

 「…ちょ、趙雲、殿…」
 「気分が楽になるまで、こうして安静にしていろ。でないと、余計に気分が悪くなるぞ。」

 すまなそうな表情をしつつ、やはり具合が悪いらしく、そのまま寄りかかっている彼の頭をそっと撫でる。

 「…言っておくが…別に、子供扱いではないぞ。どちらかと言えば、これは…そうだな、親愛の情の表れだ。気にせずに撫でられておけ。」
 「……そう、言われましても…」

 酒が回っているせいか、頬を赤く染めている姜維に笑みを向ける。

 「体調が良くなるまでの辛抱だ。倒れた自分が悪いと思って、我慢しておいてくれ。」
 「…はい…。」

 素直に頷き、趙雲の肩に体重を預けると、姜維はそっと目を伏せた。

 「しかしまた…何でこのような無茶を…?」
 「…悔しいと、思ったのです…趙雲殿は、いつも守って…優しくしてくださって…とても、頼りになる方で…それなのに、私は…頼ってばかりで、頼られはしないのか、と…」

 自分の言葉に辛くなり、視線を地に落とす。

 「…私も…いつも貴方がしてくださるように、貴方を…少しでもお守りしたい…頼りにされたいと…そう思っているのに…」
 「俺が、お主を頼りなく思っていると…伯約は、そう思うのか?」
 「……違うのですか…?」

 優しい声に視線を向ければ、趙雲は穏やかに優しい笑みを浮かべていた。

 「…むしろ俺は、頼りにしていたつもりだったのだがな。軍師としての才もあり、武人としても優秀なお主が後方を守ってくれるからこそ、我らが安心して先に立てるのだ。勿論、戦以外でもな?…だから…あまり、自分を過小評価するな。」
 「はい…っ。」

 先程の暗い顔から一転して、嬉しそうな表情を浮かべる姜維に笑みを返しながら、ふと諸葛亮に釘を刺された事を思い出し、心の中で溜息をつく。愛弟子が酒を一気飲みして調子悪くなった、という事になると、やはり責はこちらにくるのだろうか…。

 「……?どうか、しましたか…?」
 「…いや、何でもない。」

 軽く首を振り、考えていた事を振り払うと、頭上を見上げる。

 「…まぁ、ゆっくりしていくとしよう。ここへ来た途端に、いきなり無茶をしたのだからな。」
 「すみません……」

 そうしてしばらくの間、二人の上で可憐な花を咲かせる花を見つめる。穏やかな陽の光が降り注ぐ中、優しい時だけが、静かに過ぎていった…。



― 終 ―


 無双小説三つ目です。…って言うか、もう桃の花、咲いてなさそうな気もするんですけども…。どうなんだろう…。しっかし、蜀…それも趙姜ばっかり書いてるなぁ。まぁ、いっか。楽しいんだから。

 それにしても、中心であるハズの桃の花が、あまり目立ってない…。(それはいつもの事なんじゃあ…)ついでに言えば、ちょっと軍師夫妻に意図的にはめられてるくさい趙雲と姜維だったりして、何だか…いいんだろうか。夫婦水入らずで過ごしたかったのか、それとも姜維の隠れた想いを感じとって、可愛い愛弟子の為に二人揃って趙雲をはめたのか(苦笑)。真相は謎のまま、って事で。後者の場合は、護衛の言う事を聞き流していた所から既に、諸葛亮の策のうち、って感じですが(笑)。



←戻る