その獣は復讐の為 仇の懐へと入り込む 仇の家族も全て 殺す日を夢見て 鋭く尖った牙を研ぐ けれども 最初に殺す筈だった 憎き仇の子供は消え 黒き獣の元へと帰ってきたのは 変わり果てたその子供 精巧に作られた 綺麗な瞳の 生ける人形… ― 序曲・人形の涙 ― 何だ、コレは…。それが『彼』と『再会』した時の、俺の正直な感想だった。力無くベッドに横たわる彼は毛布をかけられ、ただただ感情の見えない瞳で天井を見つめ続けている。毛布の下からは何も着ていない肩や素足が覗いていて、どうやら服すら着ていない、生まれ落ちたままの姿だと言う事は、かろうじてわかった。 …何だよ、何なんだ、コレは…。 心の中で再び呟いて、思わず目を伏せる。あれではまるで…人形だ。とても精巧に…人形師が己の全てをかけて、丹精込めて作り上げた、等身大の子供の人形。そう言われた方が、まだ納得がいったかも知れない。胸が上下し、天井を見上げる瞳が時折瞬きをするから、それが生きているのだとわかる。しかし…それだけだ。 コレが、本当にあのルークなのか……? 目を上げて、もう一度確認するように、ベッドの上の子供を見る。しかし、そこにはあの幼いクセに生意気な程の自信と強さを持っていた、憎い仇の息子の姿は見る影もない。似ているのはその容姿だけ…しかも、その髪の色すら、どこか前に比べて柔らかい色になっている気がする。確認してみて俺は、思わず溜息をついて頭を抱えた。 戻って来た『彼』…ルークの世話係に任じられたのは恐らく、厄介事を押し付けられた、と言う事だろう。そう言えば、メイド達はひそひそと囁きあい、お可哀想と言いながらも、中庭まですら来る事はなかった。騎士団の者達はそもそもこう言う仕事ではないし、本来ならば手を差し伸べるべきルークの母は、この状態を見てまた倒れ、父は…ただ冷たく背を向けた。…全く、どいつもこいつも、反吐が出そうだ。 「…そりゃ、こんな状態になった者の世話なんて、誰だってしたくないだろうけどな」 囁く程の声で呟いて、再び溜息をつく。誘拐される前の彼を知ってるなら、尚更だろう。俺だって、正直嫌だ。しかし、一応命じられた以上は、今はまだ従うしかない。こうして入り口にずっと突っ立っている訳にもいかず、静かに扉を閉めると、ゆっくりベッドに近づいた。 「…ルーク、様…?」 俺の小さな呼びかけに、きろりと天井を見つめていた瞳が俺を見る。その瞳はこうして近づいても、やはり何の感情も見出せず、ただ真っ直ぐに透明で、その目に映るモノを見つめているだけのようにも見えた。 …これは、誰だ?心の中で、またそんな想いが溢れそうになる。瞳に翡翠をはめこんだ、丁寧に作られた綺麗な人形…これは、あの『ルーク』ではないのだと、何故か俺はその時、直感的にそう思った。これは、違う…仇の息子は、俺の前から消え失せたのだと。 「どう…して…」 俺に殺されず、あの生意気な子供は消えて、代わりに戻ったのは哀れな生き人形。無力で綺麗なこの存在を殺したとて、復讐を果たしたなどと言えるだろうか。 俺の中で牙をといでいた黒い獣が、怒り狂って吼える。それなら、この綺麗な人形を、見るも無残に壊してしまえ、と。四肢を引き裂き、胸を突き、鼓動を刻む心臓を引きずり出して、本当にコレが人形なのか確かめてやれ。その細い首を切り、瞳にはまった翡翠を取り出して、剣の飾りにしてやろうか。どうすれば、この黒い想いが満たされる…どうすれば…。 そんな黒い感情に操られるように腰の剣に手をかけそうになった俺の頬に、ふと温かいものが触れて、ようやく我に返る。 「……ルーク……」 静かに持ち上がっていたルークの手が、いつの間にか泣いていたらしい俺の、涙が伝う頬に優しく触れていた。彼は、何も言わない…声すら上げない。その瞳も、感情はないように見えるのに…ルークは、俺と同じように、翡翠の瞳からほろほろと涙を零していた。ただ、無表情に…何も言わずに、それでも彼は泣いていた。 その瞬間に悟る。今の彼は、本当に何も知らないのだと。言葉や歩き方は勿論の事、声や表情の出し方も…感情すらも。全て忘れてまっさらになって…何もわからないまま、それでも俺が涙を流した事で、泣いている。赤ん坊すら、産まれたその時泣くというのに…それさえも失って、ここに戻ってきたっていうのか。 「…哀れだな…」 記憶も感情も、何もかもを忘れて、忘却の彼方へと葬り去って、使用人からは避けられ、母は自分で手一杯で、父には見捨てられ…そうして、俺みたいな復讐者の手に委ねられて。もし今、俺がこいつを殺すとしても、こいつは簡単に…抵抗する事も、叫ぶ事すら出来ずに死ぬのだろう。こうして、翠の宝石のような瞳から、涙を零しながら。 「あまりに滑稽で…哀れだよ…」 まっさらで綺麗なこの『彼』を見て、こんな状態では殺せないと嘆く俺も、こんな俺の手に委ねられ命を握られ、涙を落とす事しか出来ないこの子供も…滑稽で、哀れだ。 「…泣くなよ、ルーク…。俺がお前を、人形から人間に戻してやるから」 頬に伸ばされたままの手に、そっと自分の手を重ねて、俺は優しく微笑んでみせる。 「今は満足に泣く事すら出来ないお前を…俺がちゃんと、人間にしてやるから…」 意味は理解出来なくとも、言葉を聞いているらしいルークは、ただじっとこちらを見つめている。まるで、無垢な子供が親に縋るように…。いや、このルークは、真に無垢な子供に戻ってしまったのだから、そんな瞳も仕方ない事なのだろう。 「ちゃんと泣いて、笑って、怒って…そういう色んな感情を理解させて、言葉を教えて、歩けるようにして…この手の中で、大事に大事に、育ててやるよ」 いつか、この人形のような子供が、ちゃんとした人間になるように…自分の足で立ち、一人前になるまで、この手で育て、理解させ、その心の拠り所となろう。それはきっと、とても大変な事だろうけれど。 「…そうして、お前の心も身体も、俺が大切に守ってやる。だからもう、いなくなるなよ?ルーク。お前は、俺が…」 この手で、終わらせてやるから。俺以外の誰にも、殺されないでくれ。使用人に避けられ、母の胸に帰る事すら出来ず、父に見捨てられたお前を、俺が育ててやるから。…哀れな人形だったお前を、俺が人間に戻して…この手でちゃんと、殺してやる。 「…ルーク…」 「……う…ぅ…」 俺がそっと名を呼んだ後に、小さな声が続いた。ハッとして声のした方を見れば、ルークは俺を見つめたまま、まるで俺の言葉をなぞろうとするように、微かに唇を動かしていた。 「ルーク……?」 「…る…ゥ……?」 やはり、おれの言葉をなぞっている。やっと発された声を聞いても、どうも誘拐前の『彼』とは重ならず、戸惑いそうになるけれど、それは今は考えないようにする。 「…そう、ルーク…お前の名前だ。言ってごらん?ルーク」 「……るぅー…」 「微妙に惜しいな…ま、これからもう一度、知っていけばいいさ」 表情は変わらないものの、どうやら必死に言葉を紡ごうとしているらしいルークに微笑みを向け、そっとその頭を撫でる。と、彼は言葉を紡ごうとするのを止め、じっと俺を見ると、両手で俺の頬に触れ、ふわりと淡い笑みを浮かべた。 「……っっ!」 その笑みに、触れた両手の温かさに、思わず息を飲む。多分、俺の笑顔を見て、同じ表情をしたのだろう。それでも、その微笑みは純粋で…何とも言えない気持ちを引き出しそうになる。 いや、それはきっと気のせいだ。復讐を考え続けて、冷たく凍り付いていた筈の心のどこかが、その笑みを見て綻んだ気がするなんて。胸が痛んだ気がするなんて…そんなのは、気のせいだ。罪悪感なんて必要ない。これは、いつか殺す相手…人間に戻った時に、幸せを取り戻した頃に、俺の中の黒い獣が、その白い喉を喰いちぎるんだ。そうでなければならないんだ。 「…っく…」 また涙が零れそうになって、それを誤魔化すように…縋るように、俺の両手が勝手にルークに伸びて、抱き締める。縋りたいのか、絞め殺したいのかもよくわからない。ただ、今はこの心の中に吹き荒れる感情の嵐から目を背けたい。ルークは苦しくないのか、それともそれすらわからないのか、ただ俺が抱き締めるに任せて、そっと目を閉じている。伏せられた瞳からはまた、俺と同じように涙が溢れて…零れ落ちる。 「…どうして…そんなんなっちまったんだよ…ルーク…。復讐…する事が…苦しいなんて、思った事なかったってのに……」 そう呟いた俺の言葉は、零れた俺の弱音だったのかも知れない。…今だけでいい…まだ、まっさらな、泣くのも笑うのも俺の表情を見てしか出来ないお前だから…。今だけ、この苦しみに…痛みに…いつかこの手に殺されるお前の為に、泣こう。今だけは、この胸の中にある黒い獣も、眠ってくれているから…。 何も知らない人形は 初めて知った涙を流す 目の前にいる 黒い獣が 苦しそうだったから 黒い獣は 人形にとって 唯一縋れる相手だった 何もなかった人形に 手を差し伸べてくれたから 唯一つの相手の為に 教えてもらった涙を流した |
アビス小説…つか、ガイルク小説第一弾。初っ端から過去話って、どうなのよ、と思いつつ。いや、何よりガイが黒すぎじゃないですか、とか。いやもう、恐ろしい程のダークネスです。すいません、爽やかじゃないガイで、すいません…!いやでもほら、この頃ってまだ、復讐心バリバリかなぁって!でも、自分でも書いてて、ここまで黒いと微妙に胃が痛くなります。は、早くもうちょい甘くなって! でもってルーク(レプリカ)は、生まれたてです。勿論記憶なんて無いし、実は表情や感情も何もかんも知らないって事で。あれです、綾波レ…ゲホゴホ。こうなったらとことん、ガイに人間にしてもらうといい、とか。つか、一時無表情で感情を知っていくルークとかいいかも、萌えとか思ったりして…ゴホゴホ。(すごい個人的もえだな!) そんなこんなでダークな感じで続いていくのですが、そのうちちゃんと甘いのも書きたいですの。(←キモイ)ダークばっかりだと、書いてる方もキツイしな…。ちなみに、黒い獣=ガイ、人形=ルークです…。うわ、説明しちゃうの恥ずかしい…。 |