何も知らない人形相手 黒い獣は途方に暮れる 教える事が多すぎて 一体何から教えたものか 何も知らないそのうちに いっそ壊してしまおうか ― 第1楽章・閉じた世界 ― ルークが何もかもを失って戻って来て数日。その間、たった一人で俺は着替えに食事、風呂から何から全部、隅々まで世話をしていた。初めは、食べる事すらわからないような状態だったが、そんな事で餓死でもされちゃ、意味がない。我ながら、よくぞここまで辛抱しているものだ、と感心するほど、優しく根気良く、本当に一から教えていく。 「…全く…これじゃ、赤ん坊以下だ……」 子供を育てる、と言う事がいかに大変か、十四のみそらでわかりたくはなかったけれど。しかも、この子供は十歳の身体でありながらも、赤ん坊以下で…本来なら失いそうもない『生存本能』ってヤツまでも、失っちまったようだった。楽と言える事は、何をどんな風にしても、暴れもしないから、作業がしやすい、って事だけだ。…普通、食う事や寝る事なんかのような根本的な事まで、忘れるもんだろうか?動物だって赤ん坊だって、腹が減れば泣くし騒ぐし、寝るのだって、自然に知ってるものだろう。 「…いつまで、こんな状態なんだよ…」 これが長い事続くってのは、勘弁して欲しい。しかし、他の者はこの部屋に入っても来ないし、俺も手伝って欲しいとは思ってないから、一人でどうにかするしかない。何も知らないルークに、俺しかいないのだと思わせて…いつか絶望に突き落とすには、ある意味丁度いい状況だ。 「……まぁ、やってやるさ」 「…ぅ…?」 何言ったって、今のルークにはわからないが、いつ理解するようになるかもわからない。俺は優しい笑みを浮かべて、運んできた食事をサイドテーブルに置く。 「はいルーク様ー食事ですよー」 とやる気のない敬語で声をかけてみるが、反応は相変わらず赤ん坊以下。前の彼相手ならそんな言葉で話しかける気も起こらなかったし、そもそも相手も許さなかったんだが。今のルークは、ただじっと俺を見るだけ。でかい翡翠の瞳で見られて、こいつこんなに目がでかかったんだな、と思ったりもする。いつも睨むような目で周り見てたから、知らなかった。 「食事。口に入れて、飲み込んで、栄養摂るんだよ」 「…しょ、く…?」 「ああ…難しい事はいいから、とりあえず口開いてくれ」 「……??」 「ほら、ルーク。あー」 「あー…」 俺の真似して口を開けた隙に、スープに浸したパンの欠片を放り込む。熱くはない筈だが、不意に口に入ってきたものに僅かに目を見開く。 「そのまま飲み込まずに、こうやって噛んで食べるんだぞ」 目の前で言いながら食べてみせると、やっともごもごと口を動かし始める。戻ってきてからの数日は、こんな感じに教えてやらないと、どうもわからないらしい。最初はどう教えていいのかわからなくて途方に暮れたが。まさか動物が子供に餌を与える時のように、噛んだ物を与える訳にもいかないし。こくん、と飲み込んだのを確認して、俺が笑って頭を撫でてやると、ルークは覚えたての笑顔でほんわりと微かな笑みを浮かべた。 「…がぁ…」 「がぁ、じゃなくて、ガイだっての…アヒルの鳴き声か?それに、ルーク、も言えないしなぁ…」 「……がぁ。るーう」 「…そんなに、難しいもんかね…?」 苦笑しつつ、食事の世話をし続ける。時々、自分も食べながら。全く、こんな風にこの相手と食事をするようになるなんて、夢にも思わなかったが。 この子供が数日でようやく取り戻したのは、生きる上で最低限の事と、微かな笑顔。声も出さずに泣く事と…舌足らずな二つの名前…それだけ。相変わらず、中庭のこの部屋には、両親も他の使用人もやって来る様子はない。食事などの必要なものは、俺が全部取りに行っている。どうやら、体面だか何だかを気にしたこの屋敷の主が、あまり多くの者に今のルークの状態を知って欲しくはないようだ。…使用人も…最低限面倒をみる程度いれば、それでいいのだろう。 「…まるで、檻だな…」 もしも記憶を取り戻して、ちゃんと動けるようになっても、しばらくは部屋から出すなと仰せつかっている。この様子を見ていると、万が一にも記憶を取り戻す事はないように思えるが…俺が教えていけば、いずれ言葉を喋り、歩き出すようになるだろう。…それでも、ルークは多分、この屋敷から出る事も出来ない。あの口振りでは、そうなるだろう。 この部屋は、まるで檻だ。世界から切り離され、見捨てられた…人形のような子供の檻。この子供は、こんな閉じた世界しか知らない。そうして…何も知らないルークは、両親の顔よりも、他のちゃんとした使用人の顔より先に、俺の…復讐者の顔と名を覚えて、こんな狭い世界の中で、こんな俺に生かされている。 「本当に…お笑い種だ…滑稽すぎて、涙が出そうだ……」 お前は、俺に復讐をぶつけられる、恵まれて幸せな存在じゃなきゃいけないのに…。前のお前になら、遠慮なくぶつけられたそれが、今のお前を見ていると、難しくなっていく。むしろ、解放する為に、剣を振るいたくなるだなんて。 「…なぁ、ルーク…食べる事や寝る事すらわからなかった、今のお前でも…やっぱり斬られたら、痛くて泣くのかな…」 例えば、その細っこい腕を斬ったら、やっと知った涙を流して、俺が着せてやった服を紅く染めて、翡翠の瞳で俺を見上げて、今みたいにちゃんと言えない俺の名前を呼ぶんだろうか? 「……いっそ、今のうちの方が、お前も俺も、楽になれるんだろうけどな」 今のうちなら、抵抗もなく楽に殺せる。…訳もわからず、意味も理解出来ずにお前は死ねるだろう。けれど、それでは何にもならない。 「…がぁ…?」 俺の何かを察しでもしたのか、目の前の子供が何となく不安げに小さく鳴いた。その声に、無垢な瞳に、心のどこかが揺れる。腹立たしい、憎い…なのに、哀れで…痛い。今、その細い首に手をかけて、殺してしまえれば…楽になれるのに…。 「……がぁ、い……」 そんな俺の想いを打ち消すように、響く柔らかい声。ルークの瞳からは、何故かまた涙が溢れている。 「何で、泣いてんだよ…ルーク。泣きたい気分なのはこっちだよ…」 何とか苦笑を浮かべて、泣き出した子供をあやす為に、僅かに残って冷えた食事をサイドテーブルごと退けて、なるべく優しくルークを抱っこする。 「ナ…ク…」 ぺたりと温かな手の平が、俺の頬にそっと触れる。 「泣いてるのは、お前だろ。どっか痛いのか?それとも、淋しいとか?」 「…イタ、イ…サ…ビ、シイ…?」 「…つっても、よくわかんないか。せめて、意味とか伝われば、まだ通じるんだけどな。まっさらになってちゃ、な…」 わからない。この、ようやくほんの少しずつ人間らしさを見せ始めたけれど、まだまだカワイイお人形さん状態なこのルークが、澄んだ翡翠を通して、俺を…世界をどう見て、何を感じているのかも。…どうして、今泣いているのかも。 「…がぁ…がぁい……。がぁ…」 ぽろぽろ涙を落として、俺を呼んで鳴きながら、ただただ懸命にしがみついてくる子供。この閉じた世界で、俺の他に縋る存在もなく、泣いている。 「…そんなに呼ばなくても…俺は、ここにいるよ。お前の傍に、ずっといる。だから…安心しろよ」 まぁ、黒い獣を内側に隠した、俺のような存在が傍にいる方が、本当は何よりもお前にとって、『安心』出来ない状態なのだけれど。 「俺が、ここにいる。…大丈夫だ、ルーク…。だからそんなに、泣くんじゃない。そんなに泣いたら、溶けちまうぞ……」 泣くのは、俺がお前を殺すその時だけでいい。泣かないでくれ…。溶けそうなほど泣き続けて俺を呼ぶ声を聞いていても、表情に乏しいままの泣き顔も、俺の中の何かを、少しずつ溶かしていってしまいそうな気がするから。 「この閉じた世界の中でも、お前の傍にいるよ…ルーク。だから…もう、泣くなよ」 哀れみくらいなら、かけてもいいだろうか。今のこいつは、何も知らない人形で…見捨てられた、哀れな子供だ。…もしかしたら、俺以上に哀れな…。こいつはきっと、一生をこの見た目だけ綺麗な檻の中で、偽りの愛情と、哀れみと同情だけを与えられていくのだろうから。 大丈夫、泣かなくていい…哀しかろうと、苦しかろうと、愛情が足らなかろうと、そのうち俺が殺してやるから。愛情と間違えそうなほどの憎しみと殺意と執着で、お前を楽にしてやろう。 …それこそが、俺に出来る精一杯の、嘘偽りない『優しさ』だから。 「…俺だけは、見捨てないから。最期まで。…だから、泣かないでくれ」 泣いて、俺の中の何かを変えないでくれ。その聖なる焔で俺を照らして、凍てついた筈の心を溶かさないでくれ。 「がぁ…がぁい…」 「…違うんだ、ルーク…俺は……」 俺は、ガイじゃない。『ガイラルディア』なんだ…。何度も何度も、そうやって必死に、唯一知った他人の名を…偽りの名を、呼んで…俺を、『ガイ』にしないでくれ……。 「…がぁ…」 ぎゅっと、首にしがみついてくる温もりが、痛い。純粋な翡翠の瞳が、舌足らずな声が…心の奥へと入り込んでくる。真っ黒な獣である俺に、お前の光は痛すぎる。この閉じた世界は、本当の俺には、優しすぎて痛いんだ…。 「…ああ、どうか…」 神様。あなたがいるとしても、いないとしても、それでもいい。誰でもいいから、どうか…早く俺に、この無垢な人形を殺させて下さい。 …『俺』が、この光に、殺される前に。 目の前にいる黒い獣 本当は怖くて優しい獣 彼はいつも優しく哀しそうで 人形はどうしていいのかわからない 言葉も感情も 人形は知らなかったから ただ 泣く事しか出来なかった |
第2楽章へ続く
アビスガイルク小説そのに。相変わらずのダークネス。先は長いなぁ。何でもいいけど、人形だの獣だの、翡翠の瞳だの、この人恥ずかしい…。(むしろ私が)そのうちこの人、真顔で「ルークは俺の光だ」とか何とかいいそうです。もっと恥ずかしい台詞も吐いてくれそうです。恥ずかしい台詞禁止!うわー。 どうでもいいけど、ルークがまだ喋れなくて、台詞少ない少ない。次はもうちょい喋れてるといいね!あとは、隅々まで世話したって、つまりはシモの世話までしてたって事ですか、とか自分でツッコんでおく。そんなガイ様は、やっぱり真っ黒ですが、オフィシャルで黒かったみたいだから、いいよね。と自分に言い聞かせます。だって、設定見てると、外面爽やか、内面真っ黒だよ、とか。アニスみたいにわかりやすいんじゃなくて、ほぼ完璧に隠してるから、実はかなり怖いと思う…。表裏がない:ルーク、ナタリア、ティア、ミュウで、表裏がある:ジェイド、アニス、ガイだよなぁ、と。イオン様は、黒いか白いかで、また解釈が…違う…。 |