嘘に囲まれ 閉じた綺麗な檻の中
人形は情を求め 黒い獣へ手を伸ばす
傍らの獣の牙が 己の喉を食い破ろうとしているとしても

まるで互いの孤独を 癒そうとするかのように…



― 第2楽章・ゆびきり ―



 ルークがまっさらになって戻って来てから、三週間以上が経った。長いようで、やたらと短くも感じた日々の間に、彼はまだ舌ったらずながら、自分と俺の名を言えるようになり、まるでそれをキッカケにしたように、少しずつ他の言葉も覚えるようになってきた。身体が10歳まで発達しているからなのか、それとも元の『ルーク』がああだったからなのか、意外に物覚えは早いようだった。
 しかし、未だ歩く事は出来ず、感情も…完全に忘れているようで、殆ど見せる事はない。笑うのも泣くのも、自分の感情を出してるという訳ではなさそうだったし、他の感情にいたっては、その片鱗すらも見せていなかった。
 せいぜいがベッドに座り、虚ろな瞳で窓の方を見つめてじっとしているだけ。記憶も感情もどこかに置き去りにした子供は、ただ人形のように静かに、そこにあるだけだった。

 「ルーク」

 名を呼ぶと、ようやくこちらに気付いたのか、視線を向ける。

 「…がい…」

 その翡翠の瞳に、ほんの僅かに感情らしいものが宿る。傍らに立った俺の服にしがみつき、必死に俺を見上げてくる様は、まるで何かの小動物のようだ。そんな真っ直ぐな…こうなる前の彼とは違う、子供のような瞳を見つめていると、時々無茶苦茶に壊してしまいたいような衝動が込み上げてくる。

  「…どこ、いってたの…?」
 「ああ…お前の様子を、伝えに行ってたんだよ。お前の、父上と母上にな…」

  だからこそ余計に気が波立っているのだが。仇本人の顔を見た後は、普段なら隠しておける感情が揺さぶられそうになる。今すぐに、この目の前の子供の首に手をかけて、殺してしまいたくなる。

 「ちちうえ、ははうえ…それって、なに…?」
 「…っ!?お前…っ、何言って…!……そうか、それも…」

 覚えていないのか。そう言いかけて、俺は口を閉ざす。…生きる為の最低限の事すら忘れていたんだ…。そんな事すら、今のルークにはわからないのだろう。

 「…父上と、母上ってのは…両親…父親と母親の事だ。育てて、守って、一緒にいる…ルークに一番近い人の事だよ」
 「りょうしん…ちちおや、ははおや…。いちばん、ちかい…。でも、『これ』を、みてくれない…。いっしょで、そばいたの、がいだけ……」
 「ルーク、自分の事を『これ』なんて言うなって…何度も教えただろう…?」
 「…ひとに、つかうものじゃないから…?」

 幼い声に頷きながら、そんな風に言うなと噛んで含めるように諭す。何度直そうとしても、なかなか直らない彼の、自身を示す呼び方。内心では、ルークが自身を物のように言う度、小気味良いと心で嘲笑う俺がいるのだけれど。

 「…るーく、には…おやがとおい…。『ちちうえ』と『ははうえ』は、そばにいない」
 「……お前の父上は、お忙しいんだろうし、母上の方は…お身体が弱いんだ。傍にいたくても、いられないんだよ…」

 ルークの母の方はともかく、父の方は…会えそうな日でも顔すら合わせようとしていない事…報告も、義務として聞いてるように見える事…それを俺は知っていたが、わざわざそれをルークに言う必要はないだろう。

 「がいは?」
 「ん?」
 「がいは…なに?おやじゃなくて、でもそばにいる…?」
 「……俺は、ただの使用人だよ。お前の世話と教育、それに護衛もか。当面それを任されてるだけの、な。…本当は、こんな言葉づかいで話しかけてる事自体、間違ってるんだけどな」

 ルークにはよくわからないのだろう。小首を傾げ、きょとんとしてこちらを見ている。そんな彼の前に膝を折り、わざとわかりやすいよう片膝をついて礼をとる。

 「ルーク様…本来ならば私は、このような言葉づかいをしなければならないのです。…身分が、違いますから」

 急に膝をつき、言葉づかいが変わった俺を、知らないモノを見るような目で見つめ、ルークは恐る恐る口を開く。

 「…どうして…?ミブンって、なに?」
 「簡単に言えば、人の順位…えらい人と、そうでない人の区別をつける事です。貴方と私では、貴方は身分が高く、私は低い。本来身分の低い者は、このような話し方であるのが当たり前なんですよ。最近顔を合わせるようになった者達も、こうでしたでしょう?」

 言い聞かせるようにそう言うと、ルークはしばらく俯いて黙り込み、やがて、思いのほか強い光を宿した瞳が俺を射る。

 「…いやだ…」
 「……ルーク、様?」
 「『さま』はいらない。…『みぶん』なんてしらない。そんなの…かべ、じゃないか!」

 叫ぶような声。ルークが、初めて見せた…はっきりとした、感情らしい感情。それは…淋しさか、それとも、哀しみだろうか。翡翠の瞳が、今にも泣きそうに揺れている。

 「…この『るーく』は、キオク、ココロ…わすれたから、そばに、がいだけ…。なのに、ミブンで、かべがあるなんて…そんなのやだ!ひとりぼっち、いやだ」
 「……そう言う訳に、いかないんですよ。貴方も、大分言葉を覚えてきていますし。もしも誰かにさっきまでのような言葉づかいを、私が貴方にしている所を見られたら、私が怒られてしまうんです」
 「よく、わかんないよ…なら、ふたりのときなら…ほかに、だれもいなければ、いい?」

 ダメ?と一生懸命に、じっと俺を見上げる翠の瞳。…ああ、馬鹿だなルーク…。そんな風に必死になっても…身分があってもなくても、俺とお前の間にはどの道…大きな壁があるってのに。嘘と、復讐っていう、暗く大きな壁が。

 「……わかりましたよ、ご主人様。それで妥協いたしましょうか」
 「…??ごしゅじんさま…?」
 「そ。俺はお前専属の世話と教育と護衛係だからな。お前が俺の主人、なんだよ」

 立ち上がりながらそう言ってみせる俺の言葉は、多分よくわかっていないんだろう。それでも、言葉づかいを戻した俺に縋るように、ぎゅっと俺の服の裾を握り締める。

 「それ、なら…いっしょ、いてくれる…?『これ』…るーく、と…ずっといっしょ?」
 「……お前には、母親も父親も…他の沢山の使用人達もいるんだぞ?それなのに、俺なのか?」

 問いかけながらも、俺は心の中で苦笑する。そりゃそうだ…今のルークにとっては、俺以外の者…例えそれが実の両親だろうと、殆ど顔も知らない『他人』なのだから。

 「…みんな、いまの…このるーく、みてくれない」

 ぽそりと呟かれた声にも表情にも、僅かに哀しみと淋しさのようなものが滲んでいた。

 「キオク、カンジョウ…ぜんぶ、なくなっちゃったから…このるーく、いらないのかな」

 未だ会う事も出来ない両親。ようやく顔を合わせるようになった、哀れんで腫れ物に触るような…あるいは、わからないと思っているのか、侮蔑の視線を向けてくる、俺以外の使用人達。そのどれもが、今のルークには苦痛なのかも知れない。
 無表情に窓の外を見つめている事の多いルークを見ているのが辛く、同情している者か…気味が悪いと嫌悪している者、そのどちらかしか、使用人達にはいないようだったから。

 「そんな訳ないだろう?皆、ただ…どう接していいのか、わかんないだけさ」
 「…がいは…?みんなが…いらないかもしれなくても、ぜんぶなくなった『るーく』でも…いらなくない?」

 孤独で哀れな子供が縋りつく。思わず笑ってしまいそうになって、俺は慌てて優しい笑顔という仮面をつける。…可哀想なルーク。俺の本当の想いも知らず、俺を保護者と信じて手を伸ばす。俺は、いつしかお前を殺す、復讐の獣を心に飼っているのに。

 「…ああ。記憶がなくても、感情を失っていても…誰がお前を要らないって言っても。俺は、お前を…好きでいるよ…」

 するりと口から零れた『好き』の言葉に内心で驚きながらも、笑顔を保ち続ける。…好き?憎いの間違いだろうに。確かに、間違えそうな程の執着はあるけれど。

 「がい、すきってなぁに?」

 ああ、そうか…今のお前に、わかる訳ないよな。

 「…そうだな…誰かの事ばかり想って、ずっと一緒にいたいと思う事…かな…」
 「……ずっといっしょにいたい、が…すき…?」
 「ああ、そうだよ」

 間違ってはいない筈だ。一応。そう思って頷いた俺に、ルークがふわりと笑う。

 「…なら、『これ』は…るーくは、がい、すき」
 「……っっ!」

 心臓が、握りつぶされるような感覚がした気がする。…ああ、まただ…また俺の中の獣が、この聖なる焔に照らされる。無邪気な言葉でこの子供は、俺の黒い心をこうして貫く。

 「…がい?…なかないで?」
 「泣いてないよ…泣きそうなカオしてんのは、お前だろ…?」

 戻って来てから泣き虫になったルークは、俺を今にも涙が零れそうな、揺らぐ翡翠で見上げていた。

 「ずっと、いっしょ…るーく、いっしょ、いるから。…がい、すき。ずっと、いっしょ」
 「…ルーク…」

 たどたどしい言葉でそう言いながら、ルークは俺がいつもそうするように、頭を撫で、背中を優しくとんとんと叩く。…そうする事で、俺が癒されると信じている。そんな事をしても、俺はお前の光に切り刻まれていくばかりだと言うのに。

 「…ああ、ルーク…ずっと一緒だ。お前が終わる、その時まで」
 「ん。じゃあ、えっと…『やくそく』…?ずっと、いっしょだって、やくそく」
 「……そうだな。なんなら、指切りでもするか?」
 「…??ゆびきり…?」

 きょとんとして、子供が俺を見つめる。…そう言えば、前までのこいつは、指切りは嫌いだとか、あのお姫様に言ってたような気もするな…。嫌っていた事をやらせるってのも、悪くはないかも知れない。

 「約束を、嘘にしない為にするんだ。破っちゃダメだって、お互いに忘れないようにする為にな」

 絡められた小指を不思議そうに見た後、ルークはよくわからないながらに頷いてみせた。

 「ふーん…じゃ、『ゆびきり』。…もし、やくそく、やぶったら?」
 「そうだなぁ…お仕置き、かな…?破る方が悪いから、そいつにとって嫌ーな事をやらせるんだ」

 俺の声音に何か不穏なモノを感じ取ったのか、何だかよくわからないまま、不安そうな目を向けてくる。

 「大丈夫だよ。それに、破んなきゃいいんだ」
 「…わかった。じゃあ…ゆびきり。ずっといっしょ!」

 …ずっと…お前を殺すまで、ずっと一緒にいてやるよ…ご主人様。その代わり、偽りに満ちた暗いこの道を付き合ってもらおうか。この約束の代価は、ルーク…お前の命だ。

 「ああ、約束だ」

 共に深淵を覗き、地の底まで堕ちよう。この胸にぽっかり空いた暗いその場所に、お前の命をしまいこめば、きっと俺の痛みも終わるだろう。
 だからどうか…早く人形から人間になって、俺に殺されてくれないか?この屋敷で、お前だけは…痛くないよう優しく殺してやってもいい…そう思ったりもするから。

 …どうか、その命を…。



求めるものは 愛情か 憎しみか それとも命か
気付かぬフリで 獣は人形に 手を伸ばす

殺してしまえば その痛みもなくなるのだと信じ
光に癒える 自身の心にも 気付かずに

全てを偽りで覆い隠したまま 自身の心も欺いて…



第三楽章に続く

 アビスガイルク長編の続きです。…ようやっと、ルークが少し言葉を話せるようになりました。でも、まだまだ先は長いなぁ。歩く事も、まだ出来てないし。ゲーム本編に入れるまで、どれくらいかかるやら。つーか、ガイラルディアはまだまだ元気に黒いです。早いトコ、もうちょい甘くなってください。まだ殺す事ばっか考えてるから、書くのも大変だ。

 んでもって、題名の『ゆびきり』は、オリジナルルークが嫌いだったハズの指切りを、『ルーク』がする理由付けというか。教えてなきゃ、知らないハズだもんなーって事で。…何か、ヤな理由付けしてしまいましたが。うちのガイ様性格悪いんか。早く爽やかになるといいですね。(他人事かよ)

 次回辺りで、母上とかナタリアも出したいとは思ってます。ちなみにこの長編の方は、ひたすらにガイ様視点になる予定です。この今のところ黒いガイが、いかにしてルークラブになっていくのかを書きたいんで(笑)。ルーク視点は、多分短編になるかと。



←戻る

←第2楽章へ

→第3楽章へ(準備中)