天を見上げる 輝月の瞳
昇る月を 見つめるその目は
遠くとおく 手の届かぬ 彼方へ馳せる



― 輝月 ―




 少しずつ日に日に秋の気配が強まってくる頃…昼間にはまだちょっと暑いが、その温度は太陽が地平の彼方へ沈んでしまえば持続する事もない…そんなの夜の事。
 相変わらずの二人旅で、ふと訪れた町にしばらく滞在し、二人ゆっくりと過ごしていた日の夜、風呂をすませたナッシュは、一瞬部屋に居る筈のアリアの姿を見失った。

 「…アリア…?」

 呼びかけてみても返る声はなかったが、代わりにふわりと涼しい風が応えるようにナッシュを包んだ。風呂に入る前は、窓は開けていなかったハズ…そう思い窓の方を見れば、大きめに開いた窓の傍に立つ、見慣れた人影。部屋に居た事にホッとしながら、その傍に歩み寄ると、ようやく気がついたように、人影…アリアが振り返った。

 「ああ…風呂から、出てきていたんだ…」
 「つい今さっきな。それより、どうしたんだ?返事がないから、居ないのかと思ったぞ?」
 「ごめん…ちょっと、月を見ていたんだ…」
 「……月を?」

 頷いて、空を仰ぐアリアにつられるように、ナッシュもまた空を見上げる。秋の始まりとはいえ、妙に澄んだその夜空に、辺りを煌々と照らし出す丸く、淡い金の光。昇ったばかりの月は怖くなる位に大きく、その存在を闇の中、くっきりと浮かび上がらせていた。
 …確かに、月に見惚れていた、というのも本当だろう。しかし…。隣に立つ少年の双眸にも似た光を見つめながら、ナッシュはそっと嘆息した。

 「…また、何か悩んでいたのか…?」

 アリアは主に、その身に宿す紋章の事で、よく考え込む。彼の右手のその紋章は、真の紋章…ただでさえ、時から取り残されていく孤独を与えるというのに…更に別名の通りに魂を取り込み、力にするという。特に、宿主の大切な者の魂を。その性質にアリアは常に苦しみ、悩み…そうして大切な者を死なせまいと、自ら離れ、孤独を選ぼうとするのだ。
 彼が紋章の事や別れの事を考えている時、その辛さを隠し切れないかのように、物憂げな表情で遠くを見つめている事を、もうナッシュも気付いていた。

 「……ただ、月を見ていただけだ。何も、悩んだりしていないよ」

 それでも、滅多にそんな想いを吐露する事はなく、今のようにただ淡い微笑みを浮かべるだけなのだ。ナッシュとしては、もっと本心を言って欲しい…弱音を吐いて、自分を頼って欲しい…そう思うのだが、そうしようとはしない。彼にすら…ある程度の距離を保とうとするのだ。恐らくは、紋章の呪いから遠ざける為に。
 そうする事で、彼は少し安心出来るのかも知れない。けれどナッシュは、自分の無力さを感じてしまう。そんなにも俺は頼りないか、と言いたくもなる。そんな気持ちをぐっと抑え、波立つ気持ちをそろそろと溜息と共に吐き出す。
 心を感じ取ったのか、アリアが心配そうに…すまなそうに、そっとナッシュの腕に触れる。その瞳と触れた手は、どうか無力を感じないでと言っているようだった。

 「僕は、大丈夫だから」
 「…俺が大丈夫じゃない…」

 そんな風に言われるとは思ってなかったのか、アリアはきょとんとした表情でナッシュを見上げる。しばらく無言で、互いの胸の内を見るように、じっと見つめあい…やがてアリアの方が根負けしたように目を逸らす。

 「……何を、悩んでいたんだ?」

 常になく強情に先程と同じような問いを繰り返したナッシュを見ないまま、彼は黙り込む。そんな彼を見て再び溜息をつくと、おもむろにアリアの腕を引き、抱き締めるように腕の中に閉じ込める。

 「…っっ?!な、な、ナッシュ…っ?!」

 一気に赤面し、動揺のあまりに叫ぶように名を呼ぶアリアの瞳を見据え、言い聞かせるように静かに言葉を紡ぐ。

 「アリア、俺だってそこまで馬鹿じゃない。お前が、何かを悩んでる位はわかる。その何かを口に出せないなら、それでもいい。だが…あんな表情で、まるで孤独に震えてるみたいに、ただ黙って苦しむのはやめてくれ」

 ナッシュのその真摯な表情に動揺を抑え、彼は困ったように俯く。

 「俺は…ここにいるのに、お前は、いつまでも孤独なままなんだな…」

 苦しげな声に、アリアは目を上げ、ナッシュを見る。…彼は、柔らかく…哀しげに笑っていた。その表情と、響く声に胸をつかれ、やり過ごせぬ痛みにアリアは自分の胸を押さえる。

 「…ナッ…シュ……」
 「お前の孤独が、真の意味で癒える事は、ないのかも知れない…それでも、俺はここにいるから…。それが、お前を悩ませ、傷つけるのだとしても」

 アリアは、そっと目を伏せる。何も言えなかった。もしも言葉を発すれば、泣けてしまいそうな気がしたから。
 彼の言う通り、アリアは悩んでいたのだ。もう結構長い時をナッシュと過ごしてきている。互いに、深い想いを抱いてる…それが嬉しくて、怖かった。いつ彼がこの紋章に魂を喰らわれるかわからない。それなら、彼が目をつけられる前に、彼から離れなければならない。…もう、あんな風に目の前で喪うのは耐えられない。…もしも、彼を喪ったら…そう思う事が怖かった。

 「……あなたと…一緒に、居たい…」
 「…一緒に、居るよ。こうして、ずっと…居ればいいだろう?」

 そう出来たら、どんなに幸せだろう。彼が、年老いて死ぬまで、ずっと一緒に…。けれど、アリアには、この紋章がそんなにも見逃してくれるとは思えなかった。

 「ねぇ…ナッシュ…人の、想いは…真の紋章の意志を、越えられるだろうか…」

 ふと漏らした問いは、アリアの不安がこもったものだった。それは問いという形で零れた、彼の心の弱い部分。真の紋章に敵わないかも知れないと思うアリアの弱音だった。それに気付き、ナッシュは優しく微笑む。

 「世界を創り、司るのが真の紋章だとしても、そこから世界を広げたのは人だ。人の想いは紋章の意志を越えられると…俺は信じているけどな」

 だから、お前もそいつなんかに負けるな。そう心に思えば、ようやくアリアの顔に、上辺だけではない笑みが少し戻る。

 「…有難う、ナッシュ…」

 彼が信じるように、自分もそう信じよう。紋章を恐れず、傍に居てくれる彼の為に…自分の為に。ぎゅっと右手を左手で握り締め、アリアは心に呟く。お前の好きにはさせない、と。

 「そろそろ、窓閉めるぞ?まだ秋の初めとはいえ、夜は結構気温下がるからな」
 「ああ…そう言えばそうだね。…ナッシュの髪、まだ濡れてるし…風邪ひいてしまったら、大変だものね…」

 アリアがそう言った途端に、ナッシュがくしゃみをして慌てたように窓を閉める。

 「…もしかして、寒かった?」
 「……お前が風邪ひかないように、窓閉めたんだよ」

 何となく気まずそうにそういうナッシュに、思わず笑ってしまう。笑われた当人は、まだくすくすと笑っているアリアの頭を、苦笑しつつくしゃりと撫でる。

 「笑うな。誰のせいだと思ってるんだ」
 「ごめん、僕のせいだよね。もしもあなたが風邪ひいたら、責任もってしっかり看病するよ」
 「…まぁ、いいけどな。…お前がちゃんと笑えるなら、それで」

 その言葉にハッとして、見上げた先には優しい緑青の瞳。その手がこれまた優しくぽんぽん、とアリアの頭に触れる。

 「いいから、あまり悩まずにもう寝よう。…子供は、寝る時間だぞ?」
 「…っ!僕は、子供じゃない!!こう見えても…」
 「わかってるよ。」

 楽しげなナッシュの様子に、それ以上は何も言えずに頷き、ベッドに入る前にもう一度月を見上げた。
 淡い金の輝きで地上を見下ろす月は、遠くとおく天頂へと昇り、夜空を明るく照らし出していた。



― Fin ―


 一周年記念小説の幻水サイドです。持っていく人が居るかわからないナッシュ坊ですが。まぁ、気が向いたらどうぞ。(←今はもう、配布終了しました)季節は、一応秋の初めって感じのハズです。今書いてる時間軸より、少し未来の二人の話になってます。とはいえ、あまり変わってない感じでもあります。

 何でもいいんですが、最後の方が見ようによっては、もしかしたらこの後何かあるように見えなくもないような。気のせいだろうか。まぁ、読む皆さんの判断に任せるとしましょう。それにしても…どうしても、暗いような甘いようなそんなんになってしまうなぁ…。



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