● RAIN ●


1.



二人なら どこまでも飛べると 思った
例え あの空が 遠くても
例え…この世界が 哀しい程広くても…

けれど あの日 僕は片翼を喪った
あの時から 僕の中には 雨が降り続いている




 竜洞から帰って来て、既に一週間が過ぎようとしていた。無事、竜洞騎士団の力を借りる事は出来た。…しかし、その為の犠牲もまた、大きかった…。

 「…アリア殿…今の所、帝国軍の目立った動きはないようです。」

 軍師の落ち着いた静かな声を聞き、アリアは頷くと、敵の動きを探っていた忍達を下がらせた。彼らの姿が消えるのと同時に、それまで広げていた地図を閉じ、深い息をつく。

 「お疲れのようですね…しっかり休息はとられていますか…?」
 「……問題ない。少なくとも、兵の前で倒れるような、無様な真似はしない。」
 「私は、そのような事を心配しているのではございません。…多少、無理をされてもしっかりと睡眠をとられているのならば、私もこのように言ったりはしませんが…。」

 マッシュの言葉に、アリアはただ首を振る。

 「休んでは、いる…大丈夫だ…。」
 「リュウカン殿に、薬を調合していただきますか?」
 「…必要ない…。それに、そのような事をすれば、それこそ兵達が何かあったのか、と思うだろう。僕は、大丈夫だ。心配かけて、すまない。有難う…マッシュ…。」

 軍師と軍主、当然顔を合わすのも多い上に、偽るのが難しい相手だ。…今、アリアの顔色の変化に気付いているのは、恐らくマッシュと、クレオくらいだろう。

 「竜洞にて、何があったのかは、私も聞き及んでおりますが…」
 「わかっている。リーダーの務めは、しっかり果たす。」

 言いかけたマッシュの声を遮り、アリアはスッと背を向ける。

 「…すまないが、少し休ませてもらう…。後は、任せる。」
 「承知しました。…どうか、ゆっくりとお休みください…。」

 頭を下げるマッシュに軽く頷き、彼の部屋を出る。渡り廊下を歩き、ふと空を見れば、既に暗闇が降りる時間であった事に気付く。昼間は晴れていたというのに、その暗い空からは、気がより重くなるような雨が降り始めていた。

 「……雨など、降らなければいいのに。」

 ぼそりと呟いた後、彼はそっと頭を振る。そんな事になれば、大変な事になるのはわかっているのだが…アリアは、グレッグミンスターを出て以来、雨が好きになれなかった。

 …雨は、全てが覆されたその時に…変化が訪れ、追われる身となったあの日に、この地上に降り注いでいたから。人を許す事で心を保つアリアが、唯一憎めたのは、空の嘆き…地上に降る雨だけだった。

 「…っっ…!」

 不意に襲ってきた頭痛に耐え、何とか自室まで辿り着くと、そのまま力尽きたようにベッドに倒れこむ。…こんな弱々しい姿を、誰かに見られたら大変だな…そう思いつつ、深い溜息をついた。
 まるで、心の中に大きな穴が開いてしまったようだった。暗く、深い闇に満ちた、大きな穴。それは、大切な者を喪うたびにどんどん大きくなって、今にも自分を飲み込んでしまいそうな気がする。

 「…テッド…」

 ぐったりと横になりながら、じっと自分の右手を…そこに宿るモノを見る。緩慢な動作で巻かれた包帯を解き、姿を現した紋章にしばらく視線を注ぐ。それは暗い室内で淡い光を放ち、恐ろしげな姿をくっきりと浮かび上がらせていた。

 「…眠れないんだ…。夢を見るから……」

 親友を喪ったあの日から、まともな眠りにつけなかった。目を閉じて、ようやく眠ったと思うと、夢を見る。…テッドの死を、父を手にかけた瞬間を、扉越しのグレミオの声を、オデッサの死に顔を…何度も夢に見ては、泣きながら目を覚ます。
 自分の罪悪感が見せているのか、それとも…この紋章が見せているのだろうか…?

 「倒れる訳には…いかないんだけどな…。」

 そっと溜息をついて、目を閉じてはみるものの、やはりそう簡単には眠れそうにない。軍を率いている以上、倒れる事は許されないのだから、休まなければ…そう思えば思う程に、余計眠る事が出来ない。

 「テッド…この紋章に…君も、皆も、喰われてしまったというの?」

 魂を喰らい、力を増すという恐ろしい真の紋章。冥府へと続くモノ。もし、それが本当だというのなら、取り込まれた魂はどうなってしまうのだろうか。

 「…どうして…僕は、大切なものを亡くした今も、戦っているんだろう。」

 虚ろな声でそう呟いた時、不意に何かの気配がした。ハッと我に返り上体を起こすと、いつの間にか窓辺に、何者かの影が立っていた。

 「……っ?!何者だ!!」

 枕元に備えていた剣をとっさに手にし、一瞬でベッドから降り立つといつでも剣を抜けるように油断なくその人影を睨みつける。

 「…この部屋を、解放軍リーダーの部屋と知っているのか…。」

 相手からの返答はない。暗闇の中だというのに、何故かその人影の姿を確認する事が出来る。どうしてなのかはわからないが、重圧すら感じそうな程の濃い闇の中にあるというのに、相手が見えるのだった。
 窓辺に立つその影は、長身の男…辺りを包む濃い闇にも似た長い漆黒の髪と、鋭い血色の瞳を持つ、黒い服に身を包んだ姿をしていた…。

 「一体、何者だ?まさか、道に迷ってここまで来た訳ではあるまい?」

 その謎の男が持つ雰囲気にのまれそうになり、アリアは自分を抑え、相手を睨み続けた。しかし、やはりその男は何も言わず、ただじっとアリアを見つめてくる。

 「…答えろ…何故、ここにいる?」

 何故か、この男が怖かった。その気配は知っている気がするのだが…まるで月のない夜の深い闇を怖れるのに似て、人の心の奥底に在り続ける、根本的な畏れを突きつけられているような気がしてしまう。

 「…何も、言わないつもりか…?」

 答えはなくとも、言わずにはいられなかった。そうでなければ、この男の前から、逃げ出したくなってしまいそうだったから。と、そんなアリアに向け、その男は静かに一歩踏み出した。

 「…っっ!く…来るなっ…!!」

 言葉をまるで聞いてないかのように、相手は近づいてくる。恐怖心に負けそうになり、アリアは唇を噛むと、剣を抜き近づく男に斬りかかった。しかし男は避けようともせずに、ただ片手で無造作に刃を掴み、軽く受け止めた。

 「なっ……?!」
 「…このような物では、私を傷付けられはせぬ…。」

 剣を受け止めたままの男が初めて声を発する。それは低く静かで、感情に乏しかった。

 「な、何者なんだ…」
 「…お前にならば、私が何であるか、わかる筈だ…」

 何を言っている、と言いかけて、アリアはふと、その男の気配が常に傍らに存在する…深く濃い闇と同質である事に気付いた。

 「…そんな、まさか…ソウルイーター?」
 「そうだ…私は、そう人に呼ばれている存在だ…。」

 にわかには信じられず、ただ唖然としてしまったアリアの手からもぎ取るように剣を取ると、自らを紋章というその男は律儀に剣を鞘に戻し、手の届かぬ場所に置いた。

 「…う、嘘だ…」
 「お前が、我が気配を読み違えるのか?主よ。」

 たしかに、右手に宿る紋章と同じ気配がする。けれど、真の紋章の意志が、人の形をとって現れるなんて…そんな事が、本当にあるというのか…?

 「…これは、夢か…?」
 「残念ながら、現実だ。受け止めるがいい。…人が来ると面倒故、結界ならば張ってあるがな。」

 …何が何だか訳がわからない。今すぐベッドに入りなおして、いっそ眠ってしまいたい心境になる。悪い夢としか思えない。夢ならさっさと覚めて欲しかった。





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