2.



 「…夢ではないというなら…この現実も、悪夢のようなものだな。まるで、覚める事なき、悪夢のようだ。」

 思わず深い溜息をついて、軽く額を押さえるアリアに、感情の薄い声が響く。

 「主よ、眠らねば生命活動に支障をきたす。眠って休息をとらねば、人は案外簡単に死ぬものなのだろう。」
 「…お前が、それを言うのか…?僕から、全てを奪っていくお前が……っ!」

 全てを…テッドを、父を、グレミオを、オデッサを…魂を喰らい、力にしたお前が!皆を死なせたお前が!!そう叫びかけたアリアの言葉を遮るように、紋章の化身は静かすぎる声で言う。

 「私が殺した訳ではない。死の運命を持つ者の傍に引き寄せられ、死したる者の魂を取り込んだだけだ。世の理により死んだ者を、その最期の望みに従い、眷属とし、我が力として主を守っているだけだ。」
 「そんな事、僕は望んじゃいない!!死んでからまで魂を縛り付けて、その力で守らせるなんて、そんなのごめんだ!!」

 どれだけ睨みつけようと、どんな言葉を発しても、少しも揺らがぬ紅い瞳が憎かった。

 「…死の運命だなんて、そんな言葉で片付けるな!そんな風に、簡単に…!!お前が、皆の命を喰らったくせに!」

 手を伸ばして、胸倉を掴んでも、その表情も長身もびくともしない。男は手を振り払う事もせず、ただ静かな目でアリアを見つめるだけだった。

 「…皆を、返せ…。お前が、僕から奪った人達を、返してくれ。もっと…沢山、話したかった…一緒に、いたかったんだよ。お願いだ…僕は、どうなってもいいから…。」

 泣けてきて、力が萎えて、アリアは男の胸倉を掴んでいた手を離し、俯く。紋章の化身は、微かに息を吐いた。

 「……そのような事をすれば、世の理が崩れ、歪む。一度喪われたものが戻るのは、不自然な事なのだからな。」
 「不自然でも何でも、僕は…っ!」

 叫ぶように言いかけた唇を、紋章の化身の手がそっと塞いだ。纏う空気はこんなにも冷たいというのに、その手は人と同じように温かく、優しかった。

 「主には、選べぬだろう…口でそう言っても、それが世界を…全てを巻き込むのならば。主が望むのは、人の絶望ではなく、希望。例え己が絶望の淵に立とうとも、その手に人の希望を掲げる星…闇の内でこそ輝ける魂…。」

 アリアとは対照的な深淵を漂うような声に、ほんの僅かに感情がこもる。…それは哀れみ、だろうか…?

 「…お前に、何がわかる…。人ではなく、生き物ですらないお前に……」

 口元にあった手を振り払い、そう言いかけて、あまりに冷たい自分の声に驚き、戸惑う。全てをこの紋章のせいにして、全ての憎しみをぶつけている自分がいる。いくら、相手が真実人ではないとしても、あまりにひどい言い方だと思った。

 「…そうだ。私は、意志を持ってはいるが、人の感情を理解するのは難しい。人の魂を取り込もうと、主の心を理解する事は出来ぬ。」

 アリアの心を知ってか知らずか、男はそう言いながら、振り払われた手を今一度アリアの頬に伸ばし、思いのほか優しい動作で、未だ止まる事のなかった雫を拭う。

 「しかし、私にもわかる事はある。あまりに哀しく…淋しすぎると、人は…心に、雨を降らす。」
 「雨、だって?…一体、何言って…」
 「泣けぬ心には、雨が降る。その雨に触れ、取り込んだ魂達が哀しみ、嘆く。…それに影響され、我が内も雨で満たされる…。」

 ソウルイーターの言葉に、アリアは首を振る。

 「…わからない…。もし、僕の中に雨が降るというなら…それは、大切な者を喪ったからだ。それは、お前のせいかも知れないが、人の理解を超える紋章の意志であるお前が、気にするような事じゃない筈だ。」

 こいつは、邪悪な…人の命を糧にする、呪いの紋章ではなかったのか?そう思いながら、少し冷静さを取り戻し、アリアは人の姿をした紋章を見つめる。

 「お前は、呪いの紋章なのだろう?人の生死を左右し、嘲笑う…死に神じゃないか。どうして気にするんだ…。お前にとって、僕は器でしかなく、人は糧でしかない…そうじゃ、ないのか…?」

 悪しき意志を持つ筈の紋章の化身は、ただ静かに口を開いた。

 「私が主に近しい者を取り込むのは、主の近しい存在となる為だ。そして…その主に近き心の者より力を得て、主を守る為だ。強い愛情や執着は、強い護りの力となる。それは時に、他の者を犠牲にしようとも、絶対的に主を守護するだろう。」

 驚いて、アリアはその紅く深い瞳を見上げる。

 「…う、嘘だ…。」
 「どう思われようと構わぬ。私はただ、主を守るだけだ。」

 真の紋章が人を騙しても、意味などないだろう。ならば、それはきっと本当なのだろう。

 「……何故、僕の前に現れた。こうして、会話などしなければ、僕はお前を恨み…憎み続ける事が出来たのに…。」
 「お前だけが、私の存在を感じ取っていたからだ。私を、継承する以前から。」

 訳のわからない事を、と言おうとして、ハッとする。昔、テッドが来てから、感じていた何かの視線。闇に見つめられているような…それは、この紋章を宿してからも、常にあった感覚。

 「まさか…僕を、見ていた闇…?」
 「そうだ。私を継承する前から、知りもしないというのに私を感じ取ったのは、お前だけだ。だからこそ、私はより、主を…お前を喪う訳にはゆかぬ。」
 「…どうして、そこまで…」
 「永き時、私を宿した前の主の想いは、我が意志にも影響を与え、お前への強い守護と執着を与えた。そうして前の主は我が眷属となり、意志となり…お前は、我が主となった…。」

 わからない、というように、アリアはただ首を振り、一歩退きかける。そうするより早く、ソウルイーターの手が動き、退きかけた身体を捕らえ、引き寄せる。

 「なっ……!」
 「…私は…主の心を理解したいのだ。それでも…その心に降り続く雨は、私には止められぬだろうが…。」

 紋章の化身に抱き締められた身体が、闇に包まれる。闇はざわざわと生き物のように、手に、足に絡み付いてくる。

 「…な、何をする気だ…?!」
 「その魂に…心に、触れるだけだ…。」

 身体に絡み付き、這い回っていた闇が、じわりと自分の中に吸収されるように入っていくのが見えた。同時に、心を掻き乱されるような、嫌な感じがする。

 「や…めろ…」

 心を侵食されている。そう考えるしかない感覚だった。闇はゆっくりと、心を壊さぬようにしながらも、感情を…記憶を探り、入り込んでくる。自分の身体を、自分の意志で制御する事すら難しくなり、足から力が抜けていく。

 「…こんな、事を…しても…理解など、出来ないだろう…。」

 そう呟くように言っても、闇の動きは止まらない。アリアは深い溜息をつき、自分から心を開く。長く心を弄られるよりは、悔しいがその方が楽になれそうだった。

 「……好きにすればいい。どうせ遅かれ早かれ…真の紋章は魂に絡み付いて、離れられなくなるんだろう…。勝手にしてくれ…僕だってもう、お前を手放す気はないのだから…。」

 あの宮廷魔道士に奪われる位ならば、この紋章を守り、生き続ける方がいいと思った。いっそ、もっと深く結びついてしまえばいい…そうすればきっと、この紋章に囚われたテッドを…皆を、もっと強く感じられるだろう。

 そう思い、ふ…とアリアは自嘲気味に微笑む。とてもマトモとは思えない。それでも…今の自分の心を支える為には、そうするしかなかった。…例え、雨が降り続こうとも…人は生きて行かなければならないのだから。

 「…僕の命を、お前が解放する気になるまでは…お前は、僕のモノだ。」

 泣きながら笑って、呟いたその唇に、紋章の化身である男が口付ける。まるで、誓いのように。そうして、身を任せながら、アリアはゆっくりと意識を手放した。

 ただ、今だけは…そうして全てを忘れてしまいたかった…。



心に降り続く 雨が痛くて
僕は ただ 身を任せるしか出来ない

独りでは もう あの空を飛べなかった
独りで行くには この世界は広すぎるから

僕は 喪った痛みから 目を背けたくて
喪った代わりに得たものに そっと縋り付いていた…



― Fin ―


 裏一作目…擬人化ソウルイーター×坊です…。うちのソウルイーターの解釈はこんなんですけども。っていうか、ソウルイーターの喋りが偉そうです。まあ、真の紋章って、神みたいなもんらしいし…。始まりの物語の、「涙を流した闇」ってのが私はソウルイーターの事かな、と思ってるんで、それなら呪いの紋章、ってだけじゃないんじゃないかな、と思った末に出来たのがこんなんでした。

 何でもいいんですが、エロを書き切れずに、中途ハンパに逃げたみたいな感じですね…。いや、実際逃げたんですが(苦笑)。紋章相手にどうしていいかわからなくなりました(笑)。 ちなみに題名のRAINは、GLAYの昔の曲から…。う〜ん、全然感じが違ってしまいましたが。



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