1.



…ひらひらと 雪の如く 舞い散る花
それは 花の生命か 人の心か

想いも知らず 花びらはただ
この空を舞う 羽根のように…



― 散華 ―



 全ての命が色付き、華やかさを増す春という季節。生命の喜びをその身で表す自然の営みは、一時でも孤独感を癒してくれるようで…アリアは、静かに森の中を歩いていた。彼はこの季節が好きだった。いつからか、共にその色彩を見る者がいなくなっても、それは変わる事もない。
 ふとそう考えて、今自分が独りで歩いている事を思い出し、少しの間、胸の痛みに目を伏せ、立ち止まる。

 「…ダメだな…こんな事では…」

 呟いて顔を上げ、真っ直ぐに前を見て歩き出そうとして…目を瞠る。いつの間にか、目の前に一本の大きな桜の樹があった。

 「……っっ?!」

 さっきまで、こんな見事な桜があっただろうか…?気付けない程、思いに耽っていた訳ではないと思うのだが…。

 「……いや、まさか。きっと、僕が気付かなかっただけだ」

 呟いて一度首を振り、改めてその樹を見上げる。それは本当に見事な桜だった。美しく咲き誇る花々に目を奪われ、まるで雪のように舞う花びらに手を伸ばす。

 「…すごい…」

 何故、さっきまで気付かなかったのだろう。そう思う程に、一つ一つの花は生命力に満ち溢れ、その存在感に圧倒されそうになる。華やかさと力強さ、儚さが同時に存在するような樹など、そう見ないというのに。

 「…変だな…。そこまで、ぼうっとしていただろうか…」

 考え込んでいると、その手の中にひらりと花びらが一つ落ちてきた。その瞬間、まるでその花びらから語りかけてきたかのように、耳に蘇る親友の声。溢れ出す遠い記憶。

 ――…夢幻の桜、って…知ってるか?



 そう、あれは、いつかの春の記憶。彼から、桜の話を聞いた時の…。何年程前の話だったろうか。…もう、随分と遠い昔の事のような気がする。
 本当の意味では、戦いの意味も、生きていく苦しみも、死を見る事の…遺される痛みも知らなかった、優しさに包まれていた頃。殺す事の辛さも、何も知らずにいられた、そんな頃の記憶。

 その頃も、やはり春が好きで、ずっと窓から外を眺めていた…。


             * * * * * * *



 「……ア…。おい、聞いてんのか?アリア!」
 「……。うん……」

 外を見つめたままのアリアに痺れを切らし、テッドは容赦のない一撃をその背中にいれる。

 「…っ痛!!ったいじゃ、ないかっっ!!」

 思わず涙目になって振り向き、ニヤニヤしている親友に向けて、手元にあった辞書を反撃とばかりに投げつける。

 「っと…危ねぇじゃんか!」
 「…簡単に人の背中に蹴りを入れてくれる君と違って、僕は別に当てようと思って投げてません。本気で投げなかったんだから、感謝して欲しい位だね」

 そう言ってじとりと見つめるアリアに、彼は余裕の笑みで応える。

 「甘い甘い。俺様をなめてもらっちゃ、困るなぁ。お前が本気で本投げてきたって、簡単に避けてやるぜ?」
 「よく言うよ。…ってか、何様だよ。全く…可愛げないったら…」

 はぁ、と溜息をつき、アリアは思わず呆れたような表情になる。そんな親友の肩にポン、と手をやり、テッドは楽しげに笑う。

 「違うって。俺はむしろカッコイイんだよ。可愛いのはお前」
 「はいはい。てっどくんかっこいー」
 「後半は無視かよ!」

 付き合ってらんないよ、と言う表情をしつつ、アリアは再び外に目を向けてしまう。

 「お前なぁ…俺がこうやって遊びに来てんのにさっきから冷たいし、勉強中とか言いながらずっと外見てるし、何やってんだよー!」
 「…勉強はしてるよ。ただ、誰かさんがあまりに構って欲しそうだったから、あえて外は見てたけど」

 そう言った途端、アリアの肩にテッドが圧し掛かってくる。

 「ひでぇよ、アリア〜。お前、いつからそんな性格悪くなったんだ?」
 「……。とりあえず、絡みたいんだ…?ってか、重いっての!!」
 「そーかそーか。ならいいさ。お前があんまりにも冷たいから、俺はここでふて寝してやる。もー知らねぇ」

 何やらいじけて、アリアのベッドにごろんと寝っ転がってしまったテッドをちらりと振り返り、仕方ないな、というような笑みを浮かべる。

 「…テッド。嘘だって。冗談に決まってるだろう?」

 優しい声で呼びかけてみるが、返事は返ってこない。一つ溜息をつき、アリアはベッドに近づいてそっと覗き込んでみる。別に眠ってもいないが、宣言通り、目を閉じてふて寝を決め込んでいるようだ。その様子に思わず苦笑しつつ、ベッドに腰を下ろす。

 「テッドってば。…ふて腐れるなよ。さっきは悪かった。つい、外が華やかで、目が行ってしまってたんだ」

 素直にそう言ってみると、不意にぐいっと腕を引っ張られ、気付けば目の前にテッドの顔があった。どうやら彼の隣に引っ張り倒されてしまったらしい。

 「…全く…。俺、結構淋しかったんだぜ?退屈だったしさ」
 「うん。ごめんね、今度はちゃんと、話聞くから」

 アリアの言葉に満足げに笑うと、彼は何でかアリアをぎゅっと抱き締めるだけで、何も言おうとしない。

 「……あの…テッド…?」
 「んー?」
 「…あのさ…この状態って、ちょっと…何となく、気恥ずかしいんだけど…」

 そう言われ、テッドは少し考え込んでいたが、やがて少々名残惜しそうにアリアを離し、起き上がりながら唐突な事を言い出した。

 「とりあえず、外行こうぜ?俺、家の中にこもってんの、飽きたし」
 「…は?あ、ああ…まぁ…。でも僕、まだ勉強してる…」
 「あのなぁ、まだまだ青春始まったばっかりのクセに、何そんな事言ってんだよ!折角あんなにいい天気なのに、家にこもって勉強、なんて不健康すぎる!!こういう日は、若者は外に出て遊ぶモンなんだよ!!」

 何やら力説され、アリアは思わず反射的に頷いてしまう。

 「わ、わかった。…でも、何でもいいが…説教くさいというか…爺むさいっていうか…」
 「いいんだよ、俺三百歳なんだから。それより、ほら、行こうぜ?」

 こんな元気すぎる三百歳がいたらちょっと怖いよ、と思いつつ、すぐにも引っ張っていこうとするテッドを止める。

 「…ちょっと待った!その前に、どうせならグレミオにお弁当作ってもらってから行こう。こんな日は、外でお昼っていうのもいいんじゃないかな?」
 「ああ、そりゃいいな」
 「うん、じゃあグレミオに頼んでくるから、少し待ってて」

 そう言ってアリアは厨房に向かう。そっと扉を開けて中を窺うと、今にも鼻歌でも歌いだしそうな程、楽しげに料理をしている従者の姿。

 「…グレミオ、ちょっといいかな…?」
 「おや、坊ちゃん。どうなさいました?お勉強していたのではないんですか?」

 のほほんとした口調でイタイ所をつかれ、思わず視線を彷徨わせる。そんなアリアの表情を見て、グレミオは苦笑する。

 「やっぱり退屈で堪らなくなったテッド君の勢いに負けましたか…。外へ遊びに行かれるんですね?」
 「え、やっぱりって…」
 「何となく、そんな気がしていたんですよねぇ…。坊ちゃんは、テッド君に甘いですから。一応お弁当を作っておいて良かった」

 微笑んでそんな事を言われては、どうしていいやら。なまじ当たっているだけに、何だか妙に悔しい。

 「べ、別に僕は、テッドに甘くなんか…。大体、もし僕達が出かけなかったら、どうするつもりだったんだよ…」
 「その時は、外へ行く事を提案しようと思っていました。こんないいお天気の日に、家の中にこもって勉強ばかり、というのも、何だか不健康ですからね」
 「不健康…ね。テッドも同じ事言ってた。…何だか…敵わないなぁ…」

 苦笑しつつ弁当を受け取ろうとすると、他にもおやつやら敷き物らしきモノまで色々と渡してこようとする。

 「ちょ、ちょっと待て!そんなに僕一人じゃ、持てないよ!!」
 「何言ってるんです。テッド君にも持ってもらうに決まってるじゃないですか」
 「…本人に訊く事なく、それはもう決定なんだ…?」

 ぼそりとツッコミを入れるアリアの手からひょい、と荷物を取り、グレミオは大声でテッドを呼び、彼の手に荷物を押し付ける。

 「……グレミオさ〜ん…明らかに、俺のが荷物多くない…?」

 …確かに、テッドの方がより重そうだ。そう思い、口を開く。

 「いや、僕もう少し持…」
 「坊ちゃんはあまり持てないそうですから、お願いしますね。あと、あまり危ない所に行ったり、危険な事はしないよう、充分気を付けてください」
 「わかってますって。任せといてください」

 二人して、僕の意向は無視か?ってか嫌味なのか?!と思いつつ、ついムッとしてしまう。そんなアリアの様子を知ってか知らずか…恐らく知っててワザとやっているのだろうが、二人はどんどん話を進める。

 「今この辺りは、桜が見頃らしいですから、二人で花見でもしていらっしゃい。ああ、くれぐれも坊ちゃんには気を配ってあげてくださいね」
 「もちろん。万が一魔物が出たって守ってみせますよ。…ん?アリア、どうかしたか?」
 「……。別に」

 アリアがそう言うと、彼らは顔を見合わせ、似たような表情で笑う。それを見て、更に腹を立て、さっさと歩き出す。

 「……っ!もう、行くぞっっ!!」
 「はいはい。それじゃ、花見に行こうかね〜」

 そのまま乱暴に扉を開け、玄関に向かうアリアの後に、楽しげな笑みを浮かべたテッドも続く。

 「行ってらっしゃい。あまり遅くならないでくださいね」

 背中に、グレミオの声を聞きながら。


             * * * * * * *


 あの頃の自分は、何も知らないでいられた。何も知らない、子供だった…。彼が、散りゆく花をただ見つめ、何を想っていたのかも…春の陽射しを浴びながら、何を感じていたのかも…。僕と共に舞い散る花を見つめながら、君は苦しみを感じていたのだろうか…。今となっては、知る事も出来ないけれど。
 それでも、君が話してくれた桜の話だけは、今でも、忘れる事が出来ない。哀しく儚い、人の命を咲かすあの花の話だけは……。




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