2.




 ひらりひらりと舞い落ちる雪のような花びらを、二人でしばらく呆然と眺めていた。その場所には、不思議と人が他に見当たらず、見事な桜が二人だけを静かに迎え入れてくれたかのようだった。

 「……こりゃ…すごいな…」
 「でしょう?ここ、前に偶然見つけてね。こんなに綺麗な所だっていうのに、どうしてか他に人が来ないんだ。…多分、毎年僕しか来ていないと思う」
 「まぁ…そうだろうな…もし他に人が来たとしても、ちょっと気後れして、あまり留まろうとしないと思うぞ…?」

 何で?と首を傾げるアリアに、テッドは苦笑を浮かべた。

 「何か…ここの光景ってさ、この世のモノとは思えないじゃんか。…現実っぽくないっていうか。だから、普通は留まろうと思わないのさ。よっぽど鈍感だったり、図太かったりしない限りはな」
 「…つまり、何か?僕が鈍感で図太いって言いたいのか?」
 「そう聞こえたなら、そうかもなぁ?」

 含み笑いをしてそんな事を言い出すテッドに、思わず半眼を向ける。

 「僕よりも図太いヤツに言われたくないぞ?!」
 「図太い、って誰の事だよ。こう見えても俺は、繊細なんだぜ?」
 「わかったわかった。いいからちょっと手伝って」

 心外だ、という表情を作ってそう言うテッドの言葉を軽く流し、アリアは桜の下に敷き物を敷いて、時折吹く風に飛ばされないようその上に荷物を置いている。

 「ひどいよなぁ…。ツッコミくらい入れてくれよ〜」
 「……愛のムチなら、入れてあげるよ?」

 にっこり笑うその笑顔に不穏なモノを感じては、テッドも引き下がるしかない。これ以上馬鹿な事を言い続けていれば、ちょっと痛く殴られる、かも知れない。

 「それにしても、見事なモンだなぁ……」
 「…本当…綺麗だよね…」

 そう言って、荷物を置いた二人は同時に桜を見上げる。その時不意に、見上げていた桜の梢を揺らし、強い風がその傍を吹き抜け、花びらと共に彼らを包み込んだ。思わず腕を上げ、目を庇いつつも、その情景にアリアが声をあげる。

 「…っわぁ…」

 自分の周りは、一面の花吹雪…。桜色に包まれた視界は霞み、風は花の全てを散らしてしまいそうな程の勢いで吹き続ける。あまりに幻想的な桜の嵐に、もう何も言葉が出てこず、ただそれを静かに眺め続けていた。と…

 「……っっ!!アリア!!」

 呼ばれる声と共に、身体にかかる衝撃。包まれた体温に、ようやく自分がテッドに抱き締められている、と気付く。彼は、何を怖れているのだろう…まるで母親を見失いかけた子供のように、微かに震えながら、テッドはアリアを抱き締めていた。

 「…テッド…?」

 二人の周りで、風は徐々に力を失い静かになり、花びらはまた、静かに地上に降り積もっていく。

 「…どうしたの…?何か、怖いことでも、あった…?」
 「……消えちまうのかと思った…また…」

 吐息のような小さな呟きが、秘やかにアリアの耳に届いた。また…?と少し疑問に思いながら、穏やかに言葉を返す。

 「…僕は、消えたりしないよ…?」

 自分よりも少し高い位置にあるテッドの頭をそっと撫で、ぽんぽん、とその背中を軽く叩いて安心させるように優しく撫でる。それでも…彼は、アリアを離そうとはしない。

 「…大丈夫だよ。僕は、ここに居るから…。ずっと、テッドの傍に居るから…」

 囁くようにそう言い、何かに怯えるその背をふわりと抱きしめる。しばらくそうしていると、やがて彼は少し照れたように笑いながら離れた。

 「悪い…。ちょっと…何か、取り乱しちまったみたいだ」
 「いいよ。…さて、じゃあ、お弁当食べよっか。何だか、お腹が空いちゃった」

 わざと明るくそう言い、アリアは敷き物の上に弁当を広げていく。グレミオが頑張ってくれたらしく、それは質も量も申し分ない。…ただ、サンドイッチとおにぎりが同じ場所にきゅうきゅうに詰め込まれてるのには、何か意味があるのだろうか?思わずひょい、とサンドイッチを取って、苦笑してしまう。

 「何だかなぁ…これじゃ、野菜がちょっと足らないんじゃないかな…?」
 「…ちょ…おいコラ!俺が頑張って持って来たんだぞ?!先に一人で食うなよ!!」
 「……まだ、食べてないってば」

 やいやい騒ぎながらの賑やかで楽しい、おやつまでついた昼食が終わり、二人は敷き物の上に寝転び、はらはらと花びらを散らせ続ける満開の桜を見上げる。しばらく、ただ穏やかな沈黙が通り過ぎる。



 「…ホントはさ、俺…桜って、ちょっと苦手だったんだよ」

 その言葉にえっ…と、思わず身を起こし、彼を見る。テッドはただ優しげな笑みを浮かべ、苦手だという桜を見上げている。

 「…そんな…何で、来る前に言わなかったの?グレミオに言われたから…引き下がれなかった、とか…?」
 「いや、別にさ…独りで見る訳じゃないなら平気だからな。俺…独りで見る桜が、苦手だったんだよ……」

 どこか哀しい表情になる彼の横に再び寝転び、アリアは小さく問う。

 「…どうしてか、聞いてもいい…?」
 「……ずっと…遠い昔な、桜の話を聞いたことがあるんだ…。言い伝えみたいなモンだと思うんだけどさ。それが、頭に残ってて…」
 「桜の…どんな言い伝え…?」
 「お前…夢幻の桜、って…知ってるか?

 首を振るアリアに応えるように、彼はそっと目を伏せて、昔を懐かしむように…噛みしめるように、静かに話し始めた。

 「…生命ある者達が住まうこの現世と、死んだ者達が逝く、冥府。その狭間…二つの世界を隔てるように、大きな…とても大きく長い川が、流れているんだって」

 ふぅ…と一呼吸し、テッドはまた桜を見上げ、言葉を続ける。

 「その川のほとりに、これまた大きな、見上げてもどれ位大きいのかわからねぇ位の、大きな桜の樹があって、その桜は、常に綺麗な花を咲かせて…ほら、丁度今みたいに、沢山の花びらを降らせているんだそうだ」

 目の前に降って来る花びらを見つめていたアリアは、その言葉に視線を上げる。常に咲き続ける桜…それは綺麗だろうけれど…少し、怖い気がする。

 「…その花が、示すモノは…人の命」

 不意に変わった声音に、ハッとして隣に寝転ぶ親友を見る。彼は、視線が合うと優しい笑みを浮かべた。

 「…その桜の花の一つ一つは、現世に生きる人の命で出来ていて…花が咲く時、人が生まれ、花が散る時…人は死ぬ。咲いては散り、再び咲く…繰り返し、繰り返し…。ずっと、そうして永い時を、生死を見つめて在り続けるんだってさ…」

 語り続けるその声が、何故だかあまりに哀しそうで…。その優しい笑みが胸をついて…アリアは、思わず泣きそうになる。その話を止めたいのに、ただ聞いている事しか出来なかった。

 「川の水面を命の花びらがいつも包み、その樹の下には、沢山の花が降り積もる。そうして命が消えて…また、生まれてくる。夢幻のような桜だから、夢幻の桜なんて呼ばれるようになったんだろうな。…その光景は、きっと儚く綺麗で…切ないんだろうな…」

 彼の声を聞きながら、降り注ぐ花びらを見つめ、いつの間にかアリアは泣いていた。降りしきる花びらのように、ただ静かに。自分でも何故泣くのかわからなかった。

 「…どれだけ人が死んでも変わる事無く、その桜は咲き続ける。…人が在る限り、永遠に」

 そうして一つ溜息をついたテッドは、ようやくアリアが泣いている事に気付き、驚いたように身を起こす。

 「お前…何泣いてんだよ。全く…泣き虫だな」

 苦笑をしつつ、テッドは声も無く涙を落とすアリアの頭を撫で、指先でそっとその涙を拭う。

 「わからない…。泣けてきて止まらないんだ。わからないけれど…哀しかったんだ。君の、声が…笑顔が…」
 「…何、言ってんだよ…。俺、別に哀しくなんかないぜ?」

 そう言い笑った顔は、それでもやはり、アリアにはどこか哀しげに見えた。

 「…ごめん…。君の心をわかったつもりになっているだけなのかも知れない。そんなの、失礼な事なのに。…君の代わりに、僕が泣いてるような気がするなんて…思い上がりだと思うのに…」

 泣き続けるアリアを抱きしめながら、テッドはそっとその背中を撫でる。

 「全く…お前が泣いて、どうするんだよ。でも…」

 …ありがとうな。そう囁く声は、微かにアリアの耳に届いた。それは、木々のざわめきよりも、小さなものだったけれど…。


             * * * * * * *


 あの時君があの話を、どんな気持ちで話していたのか…今となってはわからないけれど。それでも、今なら少しだけわかる気がする。君の哀しみ…君の痛みを。もう、あの時のように、何もわからずただ泣くだけの、僕ではないから。
 まるで、君の軌跡を追うように、僕は今も生きている。君の苦しみを…皆の想いを背負ったままで。僕の夜明けは、まだ来ない…。




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