2.



 どくん……どくん……。
 身体の中を巡る血の音が、やけに大きく聞こえる…。

 血…紅い血…。命の色が流れ出す。
 生命を喪いかけた女性が、何かを手渡し、祈りを託すように願うのは…。

 …星が集う…。煌く命の地上に在りし星達が…。

 閉ざされた扉。跡形もなく消え去った温もり。
 残されるものは、ただ…主を亡くした誓いと、信じる事への祈り…。
 戦いという名の嵐…。散り逝く命。遺されたのは哀しみと、痛み。

 もはや元には戻れず、手にかけるのは…
 この世に生を受けてからずっと、厳しくも優しい目で見守ってくれた
…。
 血塗れの手を握り締め、心に闇を、その手に光を…。

 最期まで、笑っていた。…魂を捧げ、眠りにつく瞬間すらも。
 ……きっと、生涯でたった一人の、大切な
親友

 『……俺の分も…生きろよ……』
 「…
テッド…っ!!」

 誰かの名を呼んだ。その瞬間、どくんっ、と鼓動が跳ねた。

 ―……星の宿命…死の運命…。未来を視る、我が主となる者よ―
 ――汝が望むは、人の希望か…絶望か…―


              * * * * * *


 「……ア………アリアッ!!」
 「……っっ…」

 目を開くと、心配そうな、慌てたような表情のテッドが、何故か床の上に倒れたアリアを抱き起こし、覗き込んでいた。

 「………テッド……??」

 思考が、全くついてこない。今まで、自分が何をしていたのかも、どうしてここに倒れていたのかも、よくわからなかった。

 「……僕、一体…??」
 「大丈夫か?…お前がお茶を用意しに行ってから、小一時間ほども戻って来ないからさ…おかしいと思って、様子見に来たんだよ。そしたら、ここで、ぐったり倒れてるから…一瞬、死んじまってるのかと思って、肝が冷えた…」

 ホッとしたように溜息をつくテッドを見て、心底心配してくれたのだと、とても悪い事をした気分になった。

 「ごめん…。ええと、何か頭の中、真っ白で…。僕、何をしてたのかわからないんだけど…。今日の月って、満月だっけ…?」

 そう問うと、テッドはいきなり真剣な表情で、アリアの額に触れて熱を確かめたり、後頭部にコブがないか調べたりした。

 「……な、何…??」
 「…お前……本当に大丈夫か?倒れた時に頭をぶつけたとかで、一時的に記憶障害でも起こしてるんじゃあ……?」
 「う〜ん…わからないけど…。でも、頭が痛かったりはしないよ?」

 しかし、それにしても記憶に混乱がある気がする。と、いうより、頭の中に霧がかかっているように、何がどうなっているのやら、わからないのだ。

 「…いいか、今日の月は三日月で、家の人達は外出中。お前が一人で淋しいだろうと思って、俺が来た。…ここまでは、思い出せるか?」

 心配そうにそう言うテッドの言葉を、頭の中で反芻する。…そうだ、今日は三日月の綺麗な日だった。皆は出かけてしまって、一人留守番をしていたら、テッドが来てくれたんだ。

 「……うん、大丈夫」
 「その後、お前は俺に、お茶とクッキーを出してくれようと、台所の方へ行った。俺はそこまでしか見てないけど、そこに紅茶が入ったポットと、クッキーの皿があるから、用意してたんだと思う」

 ……クッキーを皿に盛り付けて、紅茶を用意して…その時、後ろに気配を感じた。

 「…僕を…見ていた…」

 ぽそりと呟いた声に、え?とテッドが怪訝な表情を浮かべる。

 「……闇、が……」

 あの満月の日の事を、思い出そうとしていただけのはずだった。それなのに、何故か…倒れてしまっていた。

 「…アリア?」
 「…あの時も、さっきも…何か、感じて…。闇が…何かを、僕に…見せたのに…」

 よく思い出そうとしても、記憶は水のように、するりと手の中を零れ落ちていくようだった。…一体、自分は、何を視た…?

 「……っっ…!」

 ぐらり、と世界が揺らぐ。その瞬間に、微かに思い出したのは、ただ漠然とした不安と恐怖。

 「お、おい?!…大丈夫か?」

 力を失いかけた身体を、テッドが支えていてくれた。彼を困らせてしまっている…ちゃんと、起き上がらなければ。そう思うのに、上手く身体に力が入らず、まるで寒さに凍えるように震えが止まらない。

 「……アリア…本当に、平気か…?」
 「…ご、ごめん……。ちょっと…」

 どうしてなのかなんて、自分にもよくわからない。何故か心を、形になりきらない不安と、何かを喪うような気がする恐怖感が占めている。それに怯え、身体が震えるのを止める事が出来ないのだ。

 「大丈夫…。何でもないんだ……。ただ、きっと、少し疲れているだけ」

 そう言い、何とか笑みを作るアリアの背を、テッドがそっと安心させるように優しく撫でる。

 「大丈夫って顔、してないクセに…無理すんなよな。一体、どうした?」
 「…別に、無理なんか……」
 「じゃあ、強がってるだろう。こんなに震えてるってのに、無理に笑おうとしなくっていいんだよ。今居るのは、俺だけなんだからさ」

 彼の優しい声に、つい…悪いと思っているのに、すがってしまう。

 「………恐いんだ…」
 「恐い……?」
 「自分でも、よくわからないのだけど…ひどく、恐くて…不安で、たまらなくて…。何かを、これから喪うような…全てが、変わっていくような…」

 テッドはただ、アリアを支えるようにしながら、静かに話を聞いていてくれた。それで、少しずつ震えがおさまってくる。

 「…闇が、じっとこちらを見ているような気がするんだ…。僕に何かを伝えようとしているのか、それとも…僕を見張っているのか…。変だよね、そう思ってしまうなんて。…そんなはず、無いのに」

 笑われるかと思ったが、テッドは真剣な表情でアリアの肩を掴む。

 「……闇が、恐いのか?」
 「そういう訳じゃ、無いと思う。ただ…何か嫌な光景を、闇の中で視た気がするだけで」

 もう一度思い出そうとしてみるが、やはりどうしても記憶を辿る事が出来ない。まるで、どうしても思い出す事の出来ない夢のように。

 「…それが何だったのかは、どうしても思い出せないけど…。でも、とても哀しくて苦しくて…泣く事すらできないような…そんな感覚だけが、残っているんだ」

 そうして話している間に、さっきまでのような、心を揺さぶる程の不安と恐怖は静まった。ようやくホッと息を吐き、アリアはずっと支えていてくれたテッドに、今度はちゃんと普通に微笑む事が出来た。

 「ごめん、もう今度は本当に大丈夫みたいだ。テッドが話を聞いてくれたから、少し心が楽になった」
 「…本当に、大丈夫なんだな?」

 念を押すように言う彼に、しっかりと頷く。

 「うん、大丈夫。…でも、もしも、もう少し甘えてしまってもいいなら、今晩は一緒に寝てもいいかな…?」

 まるで、幼い子供みたいだ、と自分で少し恥ずかしく思いつつも、試しにそう訊いてみる。

 「え…っ?!い、いや、いいけどさ…」

 何故だかどもりつつ、少し困ったようにテッドは目を逸らす。どうして赤面しているのかはわからなかったが、もしかして、嫌なのだろうか。

 「あ、嫌ならいいんだけど…。ごめん」
 「嫌な訳ないだろ!!…そうじゃなくて…」

 力のこもった声に驚いて、一瞬間の抜けた顔をしてしまう。

 「そ、そうなんだ…?じゃあ、いいのかな…」
 「いや、何つーか、喜んでっていうか。まあ、つまり、恐くて一人で寝るのが嫌なんだろ?」

 何だか少々気まずそうにテッドがそう言って、それからちょっと苦笑する。

 「…そう言う気分の時って、あるからな…。しかも、今日に限ってグレミオさんもテオ様も居ないし」
 「父さんや、グレミオには、こんな事恥ずかしくて言えないよ…。僕はもう子供じゃないんだから…」

 大体、本当はテッドにも言うつもりはなかったのに。さっきの震えるほどの恐さが消えてしまえば、ただただ恥ずかしさだけが残る。

 「…でも…何だかよくわからないけど、恐いんだから、仕方ないじゃないか」

 呟くようにそう言うと、テッドは優しく笑って、そっと頭を撫でる。その笑みは、年下の弟を安心させようとしている兄のようだった。

 「いいんだよ…。お前はまだ子供で、甘えさせてくれる人が居るんだからさ。我慢なんてせずに、甘えりゃいい。…ホント、お前って、人に甘えるの下手だよな」

 テッドだって、子供じゃないか…。そう思ったものの、どこかそれを口にしにくい雰囲気だった。だから、ちょっと悔しかったけども、それを認める。

 「……そうだね…。そのうち、嫌でも大人になるんだから、今のうちに甘えておいた方がいいのかも…」
 「そうそう。さて、と。じゃあそろそろ寝るとするかねぇ」

 テッドの言葉に、思わず自分が用意した紅茶のポットとクッキーを示す。

 「え?!アレどうすんだよ!!用意しといたのに!」
 「そうだな…明日の朝飯とか?」
 「あんなんじゃ足らないでしょう?特にテッドは」
 「失敬な。朝は夜ほど食わねぇぜ?俺」

 つい、ムキになってしまうのは、紅茶もクッキーも、彼と一緒に食べたかったからだ。そんな気持ちを察してか、テッドは困ったように笑う。

 「明日にしようぜ?…今日は、お前…一応倒れたり、調子悪かったりしたんだしさ」

 その言葉を聞いて、ようやくテッドが自分に気を遣ってくれている事に気が付いた。

 「…うん…そうだね…。ごめん、気を遣ってくれてたんだ…」

 彼はただ笑って首を振ると、もう寝ようぜ、と言ってアリアを促した。


              * * * * * *


 部屋に行くと、自分が部屋に居た時と同じ、暖かいと感じるような、淡い灯りが優しく部屋を照らしていた。ホッと息をつくと、先にベッドに横になる。
 …今まで感じていなかったが、どうやらかなり疲れてしまっていたようだ。

 「……寝る事にして、正解かも。何か、疲れてたみたいだ」
 「全く…自分の体調の変化くらい、少しは気付けよな。…お前って、気を張り詰めすぎて、いつの間にか身体壊して、倒れるタイプだよな」

 呆れたようなテッドの声を、意識を半分手放したような状態で聞く。

 「…うん…気を付ける……」

 彼がベッドに入ってくるのを、意識の端の方で感じる。お休み、というその声を聞いて、何故だか、また不安が込み上げてくる。近い未来、彼が自分の傍から消えてしまう気がした。

 「……テッド。お願いだ……どこにも、行かないで…。遠い所へ消えてしまわないで……」

 きっと、眠りにつく間際の、よくわからない不安感だ。そう思っても、言わずにはいられなかった。まるで迷うような沈黙の間に、意識が急速に眠りへと落ちていく。

 「…アリア、俺は、何処へも行かない…。たとえ何があったとしても…この心は、いつもお前の傍に居るから。…だって、俺は、お前の事を……」

 言葉が終わるまで、意識を保っていられなかった。最後に続いた言葉は、こんなに近くに居ても小さくて…問い返そうとしても、もう一言も発する事が出来なかった。

 「……お休み、アリア」

 優しい声がそう呟いて、頬に温かい何かが触れた。そう微かに感じたのを最後に、意識は深い眠りへと誘われていった…。



哀しみの予感など いらない
ただ 大切な人と 共に在りたかっただけ
それでも 残酷な運命は 僕から全てを奪い去って行くだろう

…今はただ この三日月の下で
何も知らず 眠ろう 君と共に…



― fin ―


 『運命と〜』の続きです。何だかアリアが予知夢のようなものを見てたりします。そういう感覚が強い母方の血の影響を、大きく受けている、という設定だったりする…。最早オリジナルでしかないような…。

 これまた、ホモくさ…。いや、仲が良すぎです。どう頑張っても、接触しすぎだったり、どうも暗かったりするなぁ。ずっと見られてる気がする、ってのは、勿論ストーカーじゃなくて、ソウルイーターな訳ですけども、紋章擬人化に入るのだろうか…コレは。…まぁ、大丈夫、かなぁ…。



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