●月の船●


1.



地上に 淡い金の光をそそぐ 月よ
どうか 大切な者を 連れて行かないで

淋しげに 独りで 光を放つ月よ
どうか 孤独を感じないで

独りじゃないという事を 思い出して…



 親友が住む小さな家に泊まりに来たアリアは、ふとそこの窓から夜空を見上げ、柔らかな光を地上にそそぐ満月を見上げる。そうして熱心にその淡い金の光を見つめながら、幼い頃に聞いたおとぎ話を思い出していた。
 あれは、まだ母が生きていた頃…寝る前にそっと頭を撫でてくれながら優しく聞かせてくれた話だった。母は、小さな自分から見ても病弱で、か細くて、儚げだった…。

 『月はね、お空に浮かぶ船なの…』

 満月に良く似た、淡い金の瞳で優しくアリアを見つめてくれた、その人は…今はもうきっとあの月の彼方。

 「…お母さま…」
 「おいおい、大丈夫か?アリア」

 胸に溢れそうになった淋しさから口をついて出た言葉は、いつの間にか隣に居た親友…テッドに思いっきり聞かれてしまったようだった。

 「て…テッド?!い、いつ風呂から出て…っ?!」
 「ついさっき。一応、呼びかけたんだけど、全く反応がないから、どうしたのかと思ってさ。…その様子じゃ、それすら気付いちゃいなかったな?」
 「う、うん…。ごめん…」

 バツが悪いやら、すまないやら恥ずかしいやらで、思わずアリアは、俯いて赤面する。…そこまで自分は、物思いに耽ってしまっていたのだろうか。

 「ま、確かに、今日の月はえらくキレイだけどな。…でも、折角来てるんだし、俺の顔も見てもらいたいな〜、なんて」

 片目をつむって、ちょっとおどけて見せるテッドに、思わずくすりと笑ってしまう。

 「あらやだ、アリアってば!そこは笑う所じゃなくってよ?」
 「って、気色悪いから、その言葉づかいはやめろって!」
 「まぁ、ひどいわ〜。なんてな。俺もそう思った」

 アリアが笑ったのを見て、安心したようにテッドも笑う。この親友は、こちらが気落ちしたりしてると、こんな風に笑顔を取り戻させてくれるのだ。彼のおかげで、さっきまでの淋しさはいつの間にか消えていた。だから、微笑んだまま、アリアはもう一度月を見上げ、呟いた。

 「…あの月を見ていたら、お母さまの事を思い出したんだ」

 お母さまの事、話したっけ?と訊くと、ある程度の事情は。と少し言いづらそうな返答が返ってきた。

 「お母さまは、僕を産んで下さった時の無理が身体にかかってね。元から、そんなに強くもなかったお体を壊して、すっかり病弱になって…重い病にかかって、僕が4、5歳の頃には、もう…」
 「…ああ……」

 少し痛ましげに見るテッドに笑みを向け、再び淋しさに囚われそうになった自分の心を、その想いから抜け出させる。

 「…そんな顔、しなくていいんだ。ただ、何となく、テッドに聞いてもらいたくなっただけなんだ。僕、小さかったから、お母さまの事、あまりよく覚えていないし…」

 そう、儚げで、優しかったという印象ばかりが、記憶に残っていた。

 「……ただ、今日の満月みたいな、綺麗な金の瞳と、聞かせてくれたお話だけは、よく覚えているんだ…」
 「…お話…?」
 「うん…月の船の、おとぎ話」

 どうしても、あの月を見上げると、淋しさがまた込み上げてきそうになる。アリアはそれを押し隠し、窓から離れると、一つきりのテッドのベッドにポン、と座る。それにならって、テッドもまたアリアの隣に座った。

 「月の船、ねぇ。その話は、聞いた事なさそうだ。どんな話なんだ?」
 「月と星の話。…死んだ人の魂を、空の国へと運ぶ、月の船の…」

 一瞬、テッドの瞳が険しくなった気がしたが、結局彼は何も言わず、先を促す。気のせいだったんだろうか、そう思い、アリアは自分の中の記憶を辿る。母のように、上手に話せるだろうか…そんな事を考えながら、昔聞いた言葉を思い出し、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。



 「あの空にある月が、丸くなったり、欠けていったりするのはね、月が船となって、遠い空の彼方にあるという国へと、この地上の魂を乗せて、連れていくからなんだって。沢山の魂を乗せて、月は丸くなり、空の彼方の国へそれを降ろし、欠けていく…」

 一度言葉を切って、ふと親友の方を見ると、彼は左手で右の手の甲を隠すように握り締め、少し俯くようにしてじっと話を聞いていた。…どうしたんだろう。そう思ったものの、何となく声をかけづらく、結局話を続けていくしかなかった。

 「…月は、そうしてずっと、それを繰り返しているんだ。夜の空を渡って、乗せた魂たちが…死んだ人たちが、遺してきた愛しい人達に、最後の別れが出来るように…。あの淡い金色の光に、魂たちの想いを織り交ぜて、地上に光を投げかけている。」

 言葉をはさむ事もなく、身動きすらせず、怖いほどじっとテッドはアリアを見つめていたが、彼はそれに気付く事なく話し続ける。

 「月の船に乗っていった魂たちは、空の国で星となり、地上を…人々を見守って、いつしか流れる星となって、この地上へと還ってくるんだって。再び、この地上に生まれる為に…。それまで、空に昇った魂たちはずっとあの空で輝き続けているんだ。愛しい人たちの事を、ずっとずっと…」
 「……月は、死神みたいなモンなんだな」

 不意に呟かれた言葉が、あまりにも冷たい響きを持っていた事に驚き、言葉を発したテッドを困惑した表情で見つめる。

 「…テッド…?」

 彼は、僅かに皮肉げな笑みを浮かべ、怖いほど鋭い瞳でアリアを見ていた。

 「そうだろ?死者の魂を連れていくんだから。…ならお前は、月が嫌いなんじゃないか?お前の母親の魂も、あの月が連れていったのかも知れないぜ?お前の大切なモノを、あの月が、これからも奪っていくかも知れないんだ…」
 「…どう、したんだ?…テッド…」

 彼の言葉に深い闇を感じて、アリアはその言葉に傷付くよりも、しまった、と思った。話した内容の何かが、テッドの中にある闇に触れてしまったのかも知れない。

 「お前が、その話を信じるなら、あの月が怖いと思わないか?嫌いにならないか?誰だって、大切な人の魂を奪われたら、嫌うハズだ…。いつか、自分も連れていかれるのなら、怖いと思うハズだ!」
 「……僕は、月、好きだよ…。怖いとも、思っていない」

 そう言った瞬間、テッドに腕を痛い程強い力で掴まれる。

 「…っ、て、テッド…?!離し…」
 「どうして、そんな風に言えるんだよ…嫌いじゃないワケ、ないだろ?怖くないワケ、ないんだ…」

 ぎりっ、と彼の爪が腕に食い込んで、血を滲ませたが、アリアは何かに震えるテッドの様子の方が気になっていた。まるで、その手が救いを求めているような気がして…。

 「……テッド、僕は…君を、傷つけた…?」

 掴まれていない方の手で、そっと彼の頬に触れ、明るい栗色の髪をくしゃりと撫でる。

 「僕は、例えお母さまの魂を連れていっても…いつか、僕がそうなるのだとしても…月が、好きだよ。怖いなんて、思えないんだ。…ずっとそれを繰り返している月が、僕には哀しく思えるから…」

 その言葉を聞いて、テッドが僅かに目をみはる。そんな彼に、アリアは穏やかに笑った。

 「…昔、お母さまに訊いたんだ。それをずっと繰り返す月は、辛くはないの?哀しくはないの?って。だって、ずっと死を見つめ続けるなんて、僕だったらきっと哀しいと思うから」
 「…答えは、くれたのか?」
 「いや、お母さまも、困ってしまったようだった」

 そらそうだろうな、と、一瞬呆れたような顔をする親友に微笑み、言葉を続けた。

 「だから、僕は、自分で答えを出す事にした。月や、空に逝った魂たちが、少しでも哀しくないように…淋しくないように、月が見える夜は空を見上げて祈る事にしたんだ」
 「……そんなのは、キレイ事だ。ただの、おとぎ話だ…。死は、お前が信じている話みたいな、優しいモンじゃない…」

 彼の苦痛に満ちたその声に、アリアはただ目を伏せる。そうして、少しの沈黙の後、そっと呟くように口を開いた。




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