2.




 「…そう、だね…。それでも、僕は…そう信じていたい。君にしてみれば、子供じみたおとぎ話でしかなくて…ひどく馬鹿げているように思えるかも知れないけれど…」
 「……お前は、知らないから…そう言ってられるんだ…」

 そう呟いたテッドを見つめ、アリアは少し哀しげに微笑む。

 「確かに…僕は、知らないよ…テッドが、どうしてそんなに、苦しんでいるのか、とか…何を今まで見てきて、何を思うのかも、僕にはきっとわからない…。だって君は…君の思っている事を、明かしてはくれないから。いつも、心の深い部分を、隠しているから…」

 それでも、どこかで縋らねばいられない程に、苦しんでいるのは、わかっているのに…。強く掴まれすぎて、爪が食い込んだ辺りから、少し血が流れるのを感じながらも、アリアは腕を掴むテッドの手を、掴まれていない方の手でそっと包み込む。

 「近くに居るのに、遠い…。手を伸ばしても、届かない…。その心に、踏み込もうとしている訳じゃない。それでも…ほんの少しだけでも、その痛みを和らげたいと…力になりたいと、そう思っているだけなんだ」

 アリアの穏やかな…少しだけ、無力さを滲ませた哀しい声だけが、二人の間にある静寂を優しく破る。

 「知らないから、とか…どうせ他人だから、完全には理解出来ないとか…そう思っているのかな…。でも、そう言われてしまったら、まるで僕という存在は…君にとって、意味のないモノみたいだ…」

 その言葉に、ハッとしたように、テッドは俯けていた顔を上げる。そうして、やっと我に返ったのか、強く掴んだままだったアリアの腕を慌てて離す。

 「…っ、悪いっ!気付かなかった…大丈夫か?」
 「……平気。この程度なら、何て事ないよ」

 彼が気にしないように、隠そうとしたその腕を、今度はそっと傷に触れぬようにとられる。

 「バカ…何でこんなになるまで、何も言わなかったんだよ…。痛いなら、そう言って、手を振り払えばよかったのに」

 自分がつけた爪の痕を見て、テッドは自分が痛いような表情になる。

 「本当に、大して痛くないんだってば。多分、舐めとけば大丈夫な程度だから」

 そう言ったアリアの腕の傷に、テッドは半ば無意識のように顔を近づける。一体何をするつもりだろう、と、思わずそれを見守ってしまった間に、その爪痕に触れる温かさ。

 「……っっ!?」

 彼に傷を舐められている…そう気付いて、思考がそこで止まってしまう。そんな必要ないとか、そんな事しないで、とか、言いたい事はあったハズなんだが、言葉が出てこない。驚きすぎてそのまま固まってしまったアリアをよそに、その傷を癒そうとするかのように、優しく舌は動いている。

 「……て…テッド…」

 時折ピリッ、と僅かに走る痛みも気にはなったが、何よりも気恥ずかしくて、自然と頬が朱に染まった。

 「あ…あの、さ…もう、いいから…。大丈夫…」

 囁くような声に、ようやくテッドが顔を上げてくれて、アリアは強張っていた身体の緊張を解く。

 「本当に、ごめんな?ちゃんと傷薬とか塗っといた方がいいと思うんだけどさ。今、丁度切らしちまってて…」
 「いや、血は止まってるし…全然、大丈夫だから…。にしても…驚いた。いきなり、舐められるとは思わなかった…」

 言いながら息をつくと、テッドも今気が付いたような顔でふと目を逸らす。

 「あ…いや…お前が、舐めときゃ大丈夫とか、言うから…つい、っていうか…。ま、まあ、気にすんなって!」

 誤魔化すように笑う親友を見て首を傾げた後、何となく窓の方へと視線を向ける。…月は変わらず、空にその綺麗な姿を見せていた。

 「…独りじゃないって、いいね…」
 「アリア…?」

 ふと呟かれた言葉に、テッドが怪訝そうな顔をする。

 「……僕は、君を見ているから…。だから、あの空にぽつりと浮かぶ月みたいに、独りで居ようとするなよ…」

 あえて、月を見つめたままで、祈るように言葉を紡ぐ。見ないようにしていたから、その言葉を聞いて、テッドがどんな表情をしていたのか、わからなかったけれど…。
 今は、それでもいいと思った。…何かを問う事で…何かを知る事で、彼を傷付けたくはなかったから…。

 「…そろそろ、寝ようか」

 そう声をかけ、返事を待たずに、先にベッドに入る。お休み、というテッドの声を、目を閉じた闇の中で聞き、背中越しに温もりを感じながら、何も出来ない無力さに…ただ声もなく泣いて、やがて眠りに落ちていった。


              * * * * * * * *


 静かな寝息を繰り返すアリアを起こさぬように、テッドはそっと身を起こし、眠っている彼の顔を覗き込む。穏やかなその寝顔に、一筋光る雫を見つけ、僅かに苦笑を浮かべた。

 「……泣きながら、眠るなよな…」

 指先で優しくその雫を拭い、大切な物に触れるように、そっと柔らかな黒髪に指を絡め、さらさらとしたその感触を愉しみながら、ゆっくり梳かす。

 「俺にとって…お前の存在が、意味無いモノなんかじゃないから…辛いんだよ…」

 こうして傍に居てくれて、何も問う事もなく、まるでこの心を…孤独感を感じ取っているように、真っ直ぐに自分を見つめてくれている。そんな存在が、どれ程嬉しくて、そして…どれだけ怖いか…きっと、アリアにはわからないだろう。
 アリアが思っている以上に、自分が、彼をひどく愛しく、大切に想っているという事も、きっと知らないだろうけれど…。

 「それでいいんだ…わからなくていい。お前は…そのままで、いいんだ」

 起こさないように気を付けながら、ベッドを出て、淡い金色の光を放つ満月を見上げる。真っ直ぐなアリアの瞳の色にも似たその光を見つめた後、ふと自分の右手にあるモノに視線を向ける。

 「……魂を、運ぶ船…か…」

 何も知らないハズなのに、そんな話をして…まるで、許しを与えようとするように、優しい微笑みで包み込んでくれたアリアの姿を、月から…全てから隠そうとするように、その右手で強くカーテンを引く。

 「…渡しはしないさ…。月にも、死神にも…。アリアだけは、絶対に……」

 眠るアリアの傍に歩み寄り、そっとその傍らに近づくと、祈るように目を伏せる。

 「どんな事をしても…例え、この命をなくしても…守ってみせる…」

 この優しい手を、綺麗な…淡い金の瞳の微笑みを守りたい。…そう思った。

 「…お前の魂を…生命を…守り抜いてみせるから」

 誓うように呟き、そっと爪で傷つけてしまったアリアの腕に触れ…彼の手に、そっと唇を寄せる。その囁く声は静寂に飲まれ、ただ闇の中へと消えていった…。



ただ その笑顔を守りたかった
その 金色の月のような瞳を 泣かせたくなかった

その為ならば 何もかも失おうと構わない
この命すら 捧げられるから

この孤独から 抜け出せたのは
その優しい 月色の瞳のおかげだったから…



― Fin ―


 この月のおとぎ話は一応自作ですが、材料にしたのはどこかの国の月の話だったと思います。でもざっと立ち読みしただけで、内容よく覚えてないのでした。同じだったらどうしようかしら。

 って言うか、傷舐めるって…微妙なラインです。…どうして、何かやらかさないと気がすまないんだろうか、私は。原案時点ではそんな予定なかったんですけどね…。いつの間にかそういうのが増えてる辺り、やっぱり女性向けなのね…。心の住みかは。



1に戻る

小説置き場へ