『運命と哀しすぎる予感』
1. 忘れていた筈の 紅の情景 心に封じた 知らない場所に 君は確かに 存在していた… ふと、友の部屋の窓から見上げた空は、まるで燃えているような紅だった。心のどこかで、封じていた記憶が首をもたげそうになり、慌ててテッドは首を振る。 「……?どうかしたの、テッド?」 読書をしていて、こちらなど見ていないはずの親友が、いつの間にか本から目を上げ、心配げにこちらを見ていた。 「別に、何でもない…。ただ、空が真っ赤だなぁ、と思ってさ」 テッドの言い訳に、親友…アリアは視線を窓の外へと向ける。 「ああ、ホントだ。まるで、空も街も、燃えているみたいに真っ赤だね」 彼はそう言って立ち上がり、テッドの隣に来て窓を開ける。まだ初秋とは言え、夕方ともなると、やはり少し肌寒い空気が入って来るが、アリアはあまり気にしていないかのように、じっと空を見ていた。 「何だか、見惚れてしまう位に、深い紅色だね…。あんまりにも綺麗すぎて、吸い込まれてしまいそうだ」 彼にとっては、ただ綺麗なだけで、その色に不吉なモノは感じないのだろう。まるで魅入られたかのように、むしろテッドよりも熱心に空を眺めている。 紅く彩られたその横顔を見ているうちに、まるでアリアが血に染まっているように見えて…一瞬、酷い眩暈に襲われた。 「………っっ!」 傾きかけた身体を、とっさに近くの壁に手をつき支えたが、同時に本棚にぶつかり、大きな音を立ててしまう。 「?…テッドッ?!」 その音に驚いて、振り向いたアリアが慌てて支えてくる。心配そうなその表情に、テッドは何とか笑みを見せる。 「…悪ィ。ちょっと、眩暈がしただけだ。もう平気だ…」 「平気ってカオしてないよ。いいから、ここに座っていて」 そう言い、ベッドまで支えていき、座らせてくれる彼には逆らわないでおく。こういう時のアリアはやたらと強く、平気だからと押し切ろうとすると、文句が3倍くらいになって返ってくるのだ。 「……どうしたの…?気分、悪い…?」 大人しく座ったテッドの顔色を確かめるように、床に膝をついて軽く覗き込んでくるアリアの頭を軽く撫で、微笑む。 「平気だって。そんな心配しなくて大丈夫だからさ」 「……そ、う……。そう言うなら……」 心配そうな表情は消さないまま、彼は溜息をついて目を伏せる。心の中で謝りながらも、問わないでいてくれるその性格を有難いと思った。 …多分、訊きたい事は山ほどあるんだろうケドな…。 「でも…無理はしないでよ…?何か、して欲しい事とかある?」 困ったようなアリアの様子に、少し考えてから、 「そうだな……紅茶でも飲みたいかな…」 喉が渇いているのもあったが、自分を真っ直ぐに見つめてくる、その淡い金の瞳から少しの間だけ逃れたくて、ついそう言った。 「……わかった。ちょっと待っていて」 立ち上がって部屋を出て行ったアリアを見送った後、テッドははぁ…と溜息をつく。 「ごめんな、アリア…」 彼が心配してくれる事は嬉しく思うし、優しいその心はかけがえのないものだと思っている。けど…あまりに真っ直ぐすぎて、時に罪悪感で心が痛くなってしまう。 「お前には綺麗なだけの夕焼けでも、俺にとっては…」 夕日の色に包まれたアリアを見て、彼が血に塗れ、死んでいくような気がしてしまったのだ。思わず身震いして、目を伏せる。と… 『大丈夫…夕日の色は、怖い色じゃ、ないよ…』 不意に耳元で囁かれたような気がした。 穏やかで優しい…人の心に安らぎを与えるようなその声は、一体誰の…いつの記憶だったろうか? 『どうか、忘れないで。君は独りじゃない。いつか、きっと…』 それは、心の奥深く封じていた筈の記憶。放浪の始まりの、遠い遠い過去の幻…。 * * * * * * 燃えていく村、右手に宿った不吉な紋章…。何が何だかわからずにいた自分を、そっと抱きしめてくれたのは、燃える村よりも…夕日よりもなお紅い衣装を纏った少年だった。 「……。何も、出来なくて……ごめんね…」 ずっと抱きしめて、涙を拭って、頭を撫でてくれていたその少年は、自分が泣き止むまで、そうして傍に居てくれた。 いつの間にか、もう夕方だった。…これが、夢だったらどんなに良かったろう。そう思っても、焼けた村も死んだ人達も、元に戻りはしなかった。 見上げた空も辺りも、全てが紅く染まっていて…さっきまでのように、炎に包まれている様な…そんな気がした。 「…どうしたの…?」 空を見上げたまま、『お兄ちゃん』にしがみつくと、彼は首を傾げる。 「…ああ…空の色が、怖いんだね…」 どうしてわかるんだろう?そう思って彼に目を向けると、その人は安心させるように優しく微笑んでくれた。 「大丈夫…。夕日の色は、怖い色じゃ、ないよ。あれは、夜を迎える前に、太陽が大地に向けてそそぐ…優しい『おやすみ』の合図だから…」 「合図…?」 「そう。また明日会いましょう、っていう合図。だから、怖い色なんかじゃないんだよ」 そう言われてから空を見ると、何となく怖くない気がした。 でも、これから夜が来る。深いふかい闇に包まれた夜が。しかも、もう…おじいちゃんも、村の皆も居ない。 「……夜が、怖い?」 まるで見透かしたように、彼がそう訊ねてくる。こくん、と頷くと、彼は少しだけ困ったように微笑んで、頭をそっと撫でてくれた。 「……そうだね…僕も、少しだけ怖いのだから…君はもっと、怖いよね」 「お兄ちゃんも、怖いの?」 「…怖いというよりは、苦手、かな…」 違いがよくわからなかったが、ただ黙ってその人の言葉を待った。 彼は、一度溜息をついて空を見上げ、それからテッドに目を合わせる。 「…でもね…どんなに夜が怖くても、朝はまたやって来る。明けない夜は無いから…。それに、ほら…月も僕らを照らしてくれるだろう?だから、大丈夫だよ」 「けど、月が無い夜はどうするの?」 「その時は、星達が見守ってくれる。…それでも怖い時は、僕を思い出して?僕が、怖いのなんてやっつけるから」 笑ってそう言った後、彼は何だか泣きそうな表情をしてテッドをそっと抱きしめてくれる。 「……お兄ちゃん……?」 「…テッド、どうかどんな時にも…絶望しないで。きっと、苦しい事…いっぱいあると思う。辛い事も…。それでも、どうか…忘れないで…」 その言葉の意味がわからず彼を見ても、哀しげな笑みを見せるだけ。 「…忘れないで。君は、独りじゃない。いつかきっと、再び僕は君と出会うから…だから、どうか…絶望して、諦めないで。どんなに辛い夜でも、きっと光に満ちた朝は、やって来るから…」 抱きしめたまま、彼が泣いているような気がした。 その言葉には深い意味があるようだったが、自分にはよくわからなかった。けれど、その時思ったのはただ、この優しい『お兄ちゃん』に、泣いて欲しくない、という事だけだった。 「わかった。いつか朝が来るなら、きっと頑張れるよ」 テッドがそう言うと、『お兄ちゃん』は泣きそうなような、何ともいえない表情で笑った。その笑顔を見て直感的に、ああ、この人はもう行ってしまうんだ。ずっと一緒にはいられないんだ。…それがわかった。 「……ねぇ、お兄ちゃん…」 「何だい?」 間近で見つめた瞳は、まるで満月のような優しく淡い金色。闇のような黒髪と相まって、それは夜の中の月みたいだ、と思った。 「…あのね、僕と、友達になって欲しいんだ」 彼は一瞬驚いたように目をみはって…それから嬉しそうに笑った。 「…勿論だよ。…僕と君は、ずっとずっと、一番の友達だ。どんな時も…また再び出会った、その時も」 「きっとだよ?約束だからね」 彼は頷いて、この右手に宿った紋章に、その右手を重ねる。 「ああ…。この紋章に…現在も過去も未来もなく、君をどんな時も大切な友であると誓おう…」 ぎゅ…と強く手を握られた時、彼と共に来た人達がその名を呼んだ。その瞬間、その人は辛そうな…泣きそうな顔をした。 「…もう…行かなければ…」 その言葉を聞いた時、思わず彼に抱きついていた。 「…っっ!!お兄ちゃん、お願い…一生のお願いだよっ!!…置いていかないでよ…僕と一緒に居てよ!!」 「……。ダメ…なんだよ…。ここには、僕…居られないんだ…。僕だって、傍に居たい…。けど…僕と、君の時間は…違うから…」 彼の瞳から、月の雫のような涙がはらはらと零れ落ちる。 「…ごめんね、テッド……。ずっと、ずっと…独りにしてしまって…ごめんね…。僕は、時の向こうで、待ってるから…。僕の心は…いつも一緒だよ。どんな夜も、きっと照らすよ…」 零れる涙が、とてもキレイだと思った。彼はもう一度だけ、とても優しく抱きしめてくれた後、意を決したようにそっと身を離した。 「…待って…っ!お兄ちゃん…!!」 仲間と共に光の方へと歩き出したその人は、一度だけ振り返る。 「……いつしか、君に会えると信じている…。そうして出会えた時、きっと僕も君も、お互いにわからないだろうけれど…。その時、君が少しでも、幸せである事を…祈っているよ…」 強い光に消えていきそうな彼を、必死で追いかけて手を伸ばす。 「……っ!お兄…ちゃん…っ!!」 「どうか…覚えていて…。僕は、アリア…永い時の向こうで、君と出会う者だよ……」 光はその強さを増し、辺りの全てを包み込み…やがて、夕闇が戻ってきた時には、彼らの姿は消えていた。…まるで、幻だったように一瞬で。 後に残されたものは、焼け落ちた村と、自分だけだった…。 |