● 昼の月 ●
1. 胸にある 温かい この想い 昼 空にかかる あの白い月のように 淡く密やかな この想いは 何と呼ぶのだろうか… 冬の割に暖かな日だった。柔らかく射し込んでくる穏やかな陽だまりに、身を預けるようにして窓辺に座り、そっとそこに寄りかかったままで、アリアはぼーっと外を見ていた。その手元には一冊の本が広げられていたものの、ページをめくる様子も、文字に目を通している様子すらもなかった。 「……アリア?」 心ここにあらず、といった状態の彼には、名を呼ぶ声すら耳に届いてはいないようだ。 「…聞こえてるのか?おい、アリア?」 「……っっ?!うわぁ!!」 肩を掴まれ、ようやく我に返ったアリアは、顔を覗き込んでいたナッシュと至近距離で目が合い、思わず狼狽して、ついでに仰け反った勢いで椅子ごと倒れそうになった。 「って、危ね…っ!」 慌ててアリアと倒れそうになった椅子を支えたナッシュの手により、何とか床に頭をぶつけなくてすんだが、色々な事に驚き、アリアの心臓はうるさい位に早鐘を打っていた。 「……全く、何をやってるんだ。危ないだろう?」 「え、うん…ごめんなさい…」 慌てたようにナッシュから身を離し、騒ぐ胸を押さえつつ立ち上がる。 「そ…それで、何?どうか、した…?」 「それは、こっちの台詞だよ。お前、ここの所よくボーっとしてるみたいだが、大丈夫か?また何か無理してるとか、調子悪いとかじゃないだろうな?」 健康面については、ナッシュに全く信用されていないらしいアリアは、首を傾げながら自分の身体に視線を落とす。…多分、どこも悪くはない…。 「うん…大丈夫…だと、思う」 そう答えても、本当かよ、という目で見つめられ、アリアはただ困ったように視線を泳がせる。自分にもよくわからないのだから、それ以上答えようがないのだ。実際、何故ぼーっとしてしまうのか、どうして心が揺らぐのか、さっぱり自分にも理解出来ない。 ……一体、どうしてしまったのだろう。 ナッシュと行動を共にするようになってから、そろそろ二ヶ月が経とうとしていた。そうして、いつの頃からか、このよくわからない心の波が、アリアの胸を満たすようになっていったのだ。そうなってからは、原因などわからないが、時々物思いに耽ってしまい、何をやっていても力が入らないような、そんな感覚に襲われてしまう。 「…少し、気が抜けてしまっているのかな…」 思わず溜息をついて、読んでもいなかった手元の本を閉じる。もしや新手の病だろうか、と思ったりもしたのだが、ぼーっとしたり、心が騒ぐだけだったし、結局それ以上気にもせず、そのままにしていた。 「…まあ、別に、命に関わる訳じゃないし…大丈夫だよ。少し、ぼーっとしたりするだけだしね」 「……お前の『大丈夫』は、時々信用ならないからなぁ。特に、自分自身の事に関しては。」 「ひどいな、信用してよ。本当に、平気だから」 とは言いつつ、自分でも少々不安ではある。今までも、精神状態が安定していない事はあったが、これはそれらとは何となく違う気がする。 「でも…うん。きっと大丈夫。…多分」 「きっと、とか、多分とかって何だよ」 ナッシュのツッコミに苦笑を返し、アリアは窓辺に歩み寄る。心を悩ませる謎の波…テッドやグレミオだったら、答えをくれただろうか…。つい、そんな事を考えてしまう。 「…俺では、力になれないか?」 「そういう訳じゃ、ないんだけど。自分でも、よくわからないから…何て言っていいのか…。別に、哀しい訳でも、苦しい訳でもない…んだと、思う。何だか、漠然としすぎて、掴む事が出来ないような感じなんだ」 ちょうどあんな感じ。と言ってアリアが示したのは、空にぽつりと浮かぶ、昼の白い月。 「……月?」 「うん。白いあの月みたいに、淡くて…知っているような気がするのだけど、違う感じもして。…ごめん、余計によくわからないよね」 自分で言ってて混乱してきてしまった彼は、苦笑気味に謝った。 「でも…その想いの名前を、僕は知らないけど…ずっと心の中にあった暗い穴を、その名も知らぬ温かいモノが、満たしていくような気がするんだ」 心の中に常にあった、ぽっかりと開いた暗い穴…大切な人を喪うたびに、深く大きくなっていったそれが、その温かい想いで、ほんの少しでも埋められるなんて思ってもみなかった。 「…しばらく、忘れてしまっていたけれど…この感じは、『幸せ』に似ているかも知れない。温かくて、掴む事は出来ないけど…柔らかくて。泣きたくなる位優しいのに、同時に激しい炎に包まれているようでもあるような…変な感じ」 こうして、他愛もない話をして、何となく穏やかに過ごしているだけなのに。そう言うアリアの表情が、哀しげでもなく、ただ懐かしいような表情をしていたから、ナッシュは少しホッとする。 …アリアの哀しげな、辛そうな顔は…見ている方の胸までも締め付けるようで、何だか見ていられないから、出来れば幸せそうに笑ってくれればいい。そう思うナッシュの心を読んだのか、彼は笑みを深め、じっとナッシュを見つめた。 「……きっと、あなたのおかげだ」 「アリア?」 「あなたが、情けない僕を叱って、僕を想って泣いてくれたから…この手を引いて、こうして一緒に居てくれるから…。だから、きっと僕は今、強がる事もなく、穏やかで…幸せでいられるんだと思う」 有難う。と、そんな風に優しい笑みと真っ直ぐな言葉を向けられ、ナッシュは少々照れつつも、笑みを返す。 「…そうか。なら、いいんだけどな。俺はまたお前が、俺の傍に居るとどうとか、そういうのを悩んでるんだと思ってたんだが…」 「それは…今は、考えない事にしたんだ」 確かに、それは今も怖いのだけど。…右手の紋章が反応していない限りは、大丈夫だと…そう思いたかった。 考えない事にした、と言いつつ、ナッシュの言葉に暗い顔をしたアリアの頭に、そっと優しい手が乗せられる。 「こら、考えない事にするんじゃなかったのか?」 「…ナッシュ…」 心が変だ…そうアリアは思った。ナッシュの微笑みを見てると…頭を撫でられていると、ひどく心が安らぐ。けれど同時に…鼓動が早くなってしまう。息が詰まったかのように、上手く呼吸が出来なくなりそうで、思わず自分でもよくわからないまま、彼から少し離れようとする。 |