『浄刻』
1. この哀しみの傷が 癒える事は 無いのだとしても いつか この声が 届いたなら あの夜とは 違う景色が 見えるだろうか… 一日中ずっと降り続いていた冷たい雨が、いつの間にか、ひらりと舞い降りる羽根のような、白い雪に変わっていた。真夜中を過ぎ、すっかり温度が下がったせいなのだろうが…雨が止むのを待っていた者としては、迷惑な事でしかない。 「おいおい…勘弁してくれよ……」 やっと2〜3人が横になれる位の小さな洞穴で、雨宿りをしていた金髪の青年が、暗い雲に覆われた空を見上げ、溜息をつく。冬が少しずつ深まっていく季節とはいえ、さすがに雪は早すぎだろう、と思った。 「どうしろって言うんだ…?」 その青年…ナッシュは、全てに決着をつけ、今は旅の空の下にあった。当面の目的地として近くの村を目指し、森を歩いていた所で、たまたま大雨に降られ、少々道にも迷った挙句、見つけたこの洞穴で雨宿りをしていたのだった。 「…雪が積もる前に、村へ……着けないよなぁ…」 道を知っているなら、その方がいいだろうが…今の状況では、下手すれば道に迷って、遭難してしまうかも知れない。 「どうして、こうなるかな。全く、自分の運のなさには嫌気がさすぜ」 などと呟いていたその時、遠くの方から何やら地鳴りのような音がした。大雨のせいで、ここまで響くような大規模な土砂崩れでも起きたのだろうか。思わず目を凝らし、遠くを見回す。 「まあ、そんな…見える訳無い……って、なっ?!」 見回していた自分にツッコミを入れた瞬間、不意に少し遠くで闇の色をした光が膨れ上がる。それがまるで、天と地とを繋ぐ柱の如く立ち昇っていき、一瞬で消えた。 「………な、何だったんだ、今のは…?」 何故か、心臓を掴まれたような恐怖感に襲われ、思わず一度身を震わせる。そうして、一瞬どうしようか迷った末に、火の始末をしてから荷物を持ち、粉雪の降る外へと出る。 今の闇色の柱が何だったのか、自分の目で確認しに行こうと思ったのだ。 「…あれがすごい力だってのは、魔力が低めの俺にもわかる。一体、あそこで何があったって言うんだ…?」 畏怖を抱くような、そんな力の放出だった。一体そこに何が居て、何があったのか…普段であれば、そのような危うい場所には近づかないだろう彼だったが、その時だけは、その『何か』に対する興味の方が強かった。 しばらく森の中を歩いていると、急に広い場所に出た。崖下に位置するその場所だけ、どういう力の作用なのか、そこにあった木々が枯れ、朽ちていた。 周囲に漂う空気は、何か特別な存在があるかのような、そんな厳粛で、不思議な空気に満ちている。 「……ここは、一体…」 聖域…そんな言葉が似合う雰囲気があった。何となく足を踏み入れてはいけない気がしつつも更に奥に進んでいくと、遠くから見えていた切り立った崖の下に出た。やはり土砂崩れが起きたのか、辺りには大量の土砂が積もっている。 …さっきの力の原因を見つけようと辺りを見回すと、ふと力の放出の中心部に、誰かが倒れているのを見つけた。 「……!!大丈夫か?!」 思わず駆け寄り、傍に膝をつき様子を確かめる。倒れていたのは中性的な顔立ちの少年で、かろうじて生きているのはわかった。 しかし、傷はかなり酷いモノだった。 「………っ……う…」 小さくうめくその少年の傷は、見るだけでも痛々しかった。左腕と右の脇腹の辺りに深々と折れた木の枝が突き刺さり、全身のあちらこちらに大小の切り傷がある。恐らく、見た目にはわからないが、打撲も山のようにあるだろう。 「まさか…あそこから、落ちてきた…とか…?」 崖の上を見上げ、辺りを見回す。土砂はまるで何かの力に弾かれたように、円状に少年の周囲にだけ積もっていない。もしあの崖の上から落ちたとしたなら、普通は即死な上に、土砂に埋まってしまうだろう。 しかし、何らかの力の作用で…例えば、その身に宿した紋章を、無意識に使っていたとしたら…それが、先程の闇色の力だとしたら。 「…それで、命は助かったとしても、このままじゃ…」 放っておけば、いずれ失血死するか、この寒さで凍死してしまうだろう。とにかく、このままここに置いておく訳にはいかない。そう思い、何とか傷に触れないように少年を抱き上げようとすると、背後から魔物特有の唸り声がした。 「……!血の匂いに集まったのか…」 いつの間に集まって来たのか、魔物の大群に囲まれていた。威嚇をしている魔物より先に、懐から札を取り出し発動させる。何匹かは炎に包まれるが、数が多すぎる…。残った魔物ははっきりと敵意を持った目でナッシュを睨み、囲みを狭めてきた。 「くそっ、そんなに構ってられるか!!」 ヤケになったように叫び、少年を抱え上げると走り出す。その後を当然のように魔物達も追ってくる。左右に分かれ、両側から襲ってくる魔物どもを何とかかわしていたが、やがて再び包囲されてしまう。と… 「…っ……逃げ、ろ…」 不意にすぐ傍から聞こえた声に驚き、抱えた少年を見る。彼は、何とか意識を取り戻し、顔を痛みに歪ませながらも、もう一度言葉を紡ぐ。 「……僕を、置いて…早く………あなた、一人なら、逃げられる…」 「なっ?!何言ってるんだ!!」 「僕、なら…平気……だから…」 少年は、じりじりと輪を狭めてきている魔物の群れに目を向け、それからナッシュに微笑む。集まった魔物は、単体ならばそこまで怖れなくてもいいかも知れないが…この大軍、しかも大怪我をしている彼がどうするというのだろうか。 …自分が犠牲になるから逃げろ、と言っているようにしか、思えなかった。 「平気な訳、あるか!!大体、大怪我してる子供を置いて行ける訳、無いだろう!それともお前は、俺に卑怯者になれってのか?!」 その言葉に驚いたように、一瞬ナッシュを見つめる。 「でも…このままでは…」 彼は呟き、何故か右手の甲に目を向ける。そんな少年をそっと近くの木に下ろして寄り掛からせ、軽く頭を撫でてから、ナッシュは一人で魔物の群れに対峙する。 「何とか、するさ。だから…子供は大人しく、じっとしているんだ。いいな?」 あの剣は、もう二度と使わないと決めていた。その手に抜いた剣は、まだあまり馴染まぬ剣だったけれど…やるしかない。 「どうして…っ!僕、は、ただ通りすがりに…出会った、だけの…相手だろうっ…?!お願いだから、逃げてくれ…!」 そんな悲痛な声を背中に聞きながら、剣を構え、魔物の群れに向かって走り出す。何匹かの魔物を倒し、何匹かの魔物の攻撃をかわす。そのいくつかを避けそこねながらも、返す刃でその敵を斬る。 …どうして、なんて、自分が聞きたい位だった。だが、ここで逃げてしまったら、自分はもう卑怯者でしかない。怪我人を見捨てて行ったら、もう…卑怯な人殺しでしかないのだから。 「…ダメだ………僕なんかの為に…命を捨てさせはしない…」 そう言う声と共に、後ろから圧倒的な力を感じた。ハッとして振り向けば、少年がゆらりと立ち上がり、右手を掲げている所だった。 「………汝が力を…ここに、示せ…」 その右手で何か紋章が輝き、魔法の波動がナッシュの横を通り過ぎて行く。それは真っ直ぐに魔物の群れの中心まで走り、そこから群れ全てを包み込むような闇が吹き出す。闇は辺りに山程居た魔物全てを飲み込み、膨れ上がり…やがて、一気に消える。 「なっ……」 あの魔物の群れは、まるで悪い夢だったかのように、跡形も無く消え去っていた。死体すらも…ほんの少しの血痕も、見当たらなかった。あるのは、ナッシュが倒した魔物の死体と、魔物が消え去った後の、圧し掛かってくるような静寂のみ…。 「これは…まるでさっきの場所の…」 酷く重いのに、決して邪悪ではない、それでも…胸に畏れを抱かせるような空気。さっき、少年が倒れていた場所の空気そのものだった。少しの間、ただ唖然としていたが、後ろから何かが倒れる音がして、我に返る。 …積もり出した雪と、ただでさえ紅いその服を更に紅く染め、少年が力無く倒れていた。先程立ち上がった時に抜いたのか、左腕と右脇腹に刺さっていた枝が血にベットリと濡れ、彼の近くに落ちている。 「な、何て事を…!!」 慌てて駆け寄り、持っていた清潔な布と特効薬を荷物から取り出し、急いで止血と出来うる限りの応急処置をする。寒さの為に、出血はマシな方だったが、同時にその寒さが彼の体温を奪ってしまうだろう。 「……頼むから、何とか頑張ってくれよ…」 そっと少年を抱え上げ、雨宿りをしていた洞穴に急ぐ。あまり丈夫そうには見えないこの少年が、何とか助かってくれるようにと願いながら。 |