2.



 洞穴に着くと、荷物に入れていた毛布を下に敷き、その上に少年を横たわらせる。その後火を熾し、それ以上どうする事も出来ず、ただ祈るように彼を見ているしかなかった。と…少年がうっすらと目を開いた。

 「……ここ…は……」

 小さな声で呟き、起き上がろうとするのを慌てて止める。

 「ば、馬鹿!無茶ばっかりするなっ!!」
 「…あなた……さっきの……」

 少し驚いたようにナッシュを見つめる。

 「どうして……」
 「どうしても何も、あんな状態で放っておけないだろう。全く、結構無茶な奴だな…。あんな事をしたら、出血多量で死ぬぞ」

 少年はただ、静かに言葉を聞いているようだった。そうしてふと、傷の辺りに触れ、僅かに微笑む。

 「…すまない……傷の手当てまで、してくれて…」
 「あ、ああ…でも、応急処置程度しか出来てないんだ。あまり無理はしない方がいい」

 彼は頷き、少し考えこむと軽く左手を上げ、精神を集中させる。

 「……流水の紋章よ…生命育む源の力……母なる海の安寧を…」

 囁くような詠唱の声と共に、その左手の甲に紋章が浮かび上がり、小柄な身体を水の波紋と澄んだ蒼い光が包み込む。洞穴中を優しい蒼に染め上げているその魔法は、たしか水系統の最上級の魔法だった気がする。
 …さっきの魔法といい、最上級の魔法を操れる魔力といい、一体何者なのだろうか、とナッシュが思っていると、その光は唐突に途絶えた。

 「……っ……」
 「どうしたんだ?…失敗か……?」

 左手を下ろし、苦しげに息をする少年はただ、わからない、というように首を振る。

 「…魔法力が、足りないみたいだ……。おかしいな…そんなに魔法、使った記憶は、無いんだが」

 それでも、ひとまず起き上がれる位には回復できたのか、呼吸を整えると、ゆっくりと上体を起こす。

 「さっき魔物を一掃した魔法は?それで疲れちまったとか」
 「いや……アレなら、そこまでは力を消費しないから…」

 そう言えば、とナッシュはふと思い当たる。

 「…お前、あの倒れてた崖の上から、落ちて来たのか?」

 疑問を相手にぶつけてみるが、少年はただ、怪訝そうな顔をしている。

 「…俺はここで土砂崩れのような音を聞いて、あの崖の方角から立ち昇った闇色をした光の柱を見たんだが…お前が、助かろうと無意識に紋章を使ったんじゃないかな。さっき魔物を消した力と同じ力な気がした」

 それを聞き、少年は驚いた表情になり、自分の右手に目をやる。

 「……わからない…。たしかに僕は魔物に追われて、足を滑らせ崖から落ちた。でも、下の木に受け止められて、ぶつかりながら落ちている間に気を失ってしまったから…」

 けど、多分そうなんだと思う。と、彼は呟くように言った後、少し自嘲気味に見える微笑みを浮かべる。

 「それにしても…そんな力を見て、よくあの場所に来る気になったね…。怖くは、なかったのか……?」

 「ま、たしかに、少しだけな。それでも、一体何があったのか、興味があったし、それ以上に…何となく、行くべきだと思ったんだ」

 そう言うナッシュの言葉に、彼はただ、よくわからない人だ、という風に首を傾げた。

 「…ところで、そろそろ名前を知りたいんだけど……こちらから名乗るのが礼儀だよな。俺はナッシュというんだ」

 一瞬迷うような表情を見せたが、結局少年は口を開く。

 「………僕は、アリア・マクドール……。名乗るのを、忘れていた…。申し訳ない」

 名乗るのを『忘れていた』という訳ではなさそうな、酷く言いにくそうな様子で、彼はそう答えた。何か訳ありだろうか、そう思っていると、アリアが姿勢を正し、頭を下げる。

 「先程は、本当に助かりました…。今は礼のしようもありませんが、この恩はこの身に刻み、この身と心が果てるまで、決して忘れはしません。…有難う…心から、感謝します…」
 「いや、そんな、礼を言われるような事じゃ、ないさ。それより、傷は平気か?」

 ナッシュの言葉に、彼は穏やかに微笑み、頷く。

 「うん。そこまで無理をしたりしなければ、大丈夫。…心配してくれて、有難う…」

 その微笑を見ながら、改めて、彼は一体何者だろうか、と思う。言葉の端々には他人を思いやる心と強い自制心があり、その少々堅苦しい言葉づかいからは、武人らしさも感じ取れる。それに…

 「………アリア…マクドール……?」

 先程聞いた名は、以前どこかで聞いたような気もする。本か何かで、見たのかもしれない…。何かが記憶に引っかかっている。その理由を知っているかのように、本人はただ、少しだけ困ったように微笑む。

 ―…解放軍に勝利をもたらしたのは黒い髪、金の瞳の少年。少年とは思えぬ統率力と強さ、優しさをもって人を惹きつけし、トランの英雄…―

 誰が書いた本だったのか、前に立ち寄った町で解放戦争についての本を読んだ事があった。そこに書かれた解放軍リーダーの名が、アリア・マクドールだった。
 …偶然の一致だとか、そんな事はありえない。彼は、家名まで名乗ったのだから。マクドールという名の家が、そうそうあるとも思えない。と、いう事は、理由はただ一つ。

 「…まさか……もしかして、お前…『トランの英雄』…?」

 ナッシュの言葉に、彼ははっきり苦笑した。

 「そのような大層な呼び方をされるような事、してはいないのだけどね」

 肯定も否定も言葉には出さなかったが、その言いようはまさしく本人にしか出来ない言い方だった。

 「でも、たしか…その解放軍リーダーは、俺とそこまで歳が離れていなかった気がするが…」

 呟いた後で、ふと自分の見たあの闇色の力を思い出す。強大な…死を回避できるような…全てをくつがえす力を持つ紋章。大人びた雰囲気を持ち『英雄』と呼ばれる…年を経たとは思えぬ外見の少年。

 「…あなたの考えている通り…普通の紋章ならば、僕はあの場で死んでいただろう…。僕は…真の紋章を宿す者…。強大な力と不老の身を与えられ…この姿のまま、生き続ける者だよ…」

 少しだけ淋しげに、それでいて悟ったように笑う彼の空気は、どこか、以前に出会った吸血鬼の始祖である女性と似ていた。

 …独り、ずっと生き続けるのは…辛くはないのだろうか…。

 そう思うナッシュの心から逃れようとするように、アリアはふと目を逸らし、外をじっと見つめる。

 「………雪……止みそうにないね…」

 呟かれた言葉につられるように外を見た。はらはらと降り続く雪に覆われた地表を見つめる二人の間に、ただ沈黙がおりる。その間にも辺りは、白一色に染め上げられていく。



 「……あなたは……」

 静寂が支配していた空気を、少し遠慮がちに破り、アリアが迷うような表情で口を開く。

 「あなたは…苦しんでいるのか…?殺したから…そのせいで…哀しませてしまったから…?」
 「なっ……?!」

 驚いて振り返るナッシュに、彼はただ苦しげに目を伏せる。

 「……ごめんなさい…僕は…僕には、他人の心が…。人の、魂の声を聞き、心を…記憶を視る力が…あるんだ…」

 そう言う彼を、思わず信じられない、という目で見てしまう。

 「何を、言っているんだ…?」

 ナッシュの表情を見て、アリアは迷いながら言葉を続ける。

 「…聞こえるし、視えるんだ…まるで、普通に聞いたり見たりするように、周りの人の心の声や、記憶が…。その人が強く何かを考えたり…僕に、触れるだけで…」
 「……心を、覗けるって言いたいのか…っ?」

 我知らず、加減を忘れてアリアの両腕を掴むナッシュに、彼はただ、そうだと頷く。

 「…僕、は…人の生死を見つめ…生者死者問わず、その魂の声…その痛みを…全て、感じ取る力を、与えられているから…。死神のようなモノだから、誰かが死んだ記憶には特に敏感なんだ」

 ナッシュの心を受け止め、彼は真っ直ぐな瞳で…それでいて、少し自分を疎ましく思うような顔で微笑む。

 「今日出会ったばかりの人間に、心を視られるなんて、嫌だよね…。けれど、気になったんだ…どこか…あなたは苦しんでいるから…」
 「どうして…そんな力…そんな事が、出来るなんて…」

 …それは人間に許される事じゃない。まるで、人ではなく…

 思わず口をついて出そうになり、ナッシュは口を閉ざす。恐らく、その能力を誰より疎ましく思っているのは、他でもないアリア本人だろう。ナッシュが思った事を理解している筈なのに、彼はただ、それを認めるように微笑む。

 「…まるで、人の姿をした、化け物のようだよね…」

 自嘲気味にそう言い、アリアは再び外へと目を向ける。しばらくの間、そうして外を見つめていたが、やがて、ぽつりと呟く。

 「殺すのは…辛い事だ…。この手で、命に終焉を与えるのは…同時に、その相手の想いをも、背負う事だから……。それが苦しくなって、後悔してしまう時もある…」
 「俺は…別に、後悔なんてしてない。それに、俺が殺したのは…」
 「自分が殺すべき…終わらせるべき、相手だったのだから…?」

 静かな声に、続く言葉を奪われ、心の底まで見つめるような…いや、実際に見つめているのかも知れない、その真っ直ぐな瞳にたじろぐ。




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