2.




 「アリア?」
 「…最初のうちは、僕がサポートするよ。…とはいえ、紋章師ではないから、そこまでちゃんとした補助は出来ないけれど。多少なら、助ける事が出来ると思うから。失敗は仕方ないとして、もし暴発した時でも、被害が広がるのを防げると思う」
 「…って、怖い事言うなよ…」
 「ともかく、やってみよう。まずは、宿っている紋章に意識を向けるんだ。そこに在る力を感じた方が、その力を放ちやすくなると思うから。さ、目を閉じて」
 「あ、ああ…わかった…」


 言われた通りに、とりあえず目を閉じてみるが、どうしていいやらわからない。

 「僕が触れている、この手…わかるよね?こちらに、意識を集中させるんだ。そうして、ここに存在する、あなたのものとは違う力を感じ取るんだ…」
 「俺とは違う、力……?」
 「そう…ここに今、世界を司る力…そのほんの一部が宿っている。全ての水を司る力の、下僕たる力が」

 静かなアリアの声に耳を傾け、導かれるように自分の右手の紋章へと、意識を向けるよう努力する。語りかける静かで優しい声は、まるで催眠術にでもかけるように、ナッシュの心を少しずつ紋章へと向けていく。

 「大気と交わり、天より落つる、地を流れ行く水の力。たゆたい、うちよせ、ひく波の…生命育み癒す、母なる海…。凍てつかせ、無慈悲に時を止める、雪と氷の冷たき抱擁…。生ける全ての体内に在りし、命の流れ…。世界の欠片たるその力を…感じて…」

 まるで呪文を詠唱しているかのような、歌うような声のアリアに導かれ、何かを掴みかけたその時、ふとそのアリアの声が妙に近くから聞こえると思ってしまった。思って…目を開けてしまったのも、失敗だった。
 アリアは、本当にごく近くにいた。…それこそ、口付けでも交わせるくらいの…吐息交わる至近距離に。

 「おわっ?!」
 「え…?…っっ!!」

 ナッシュが動揺し、身を退きかけるのと、その彼の右手から何かの力がふきだすのが、ほぼ同時だった。ふきだした力は、何が起こったのか一瞬理解出来ずナッシュの手を握ったままだったアリアへと向かい、冷気と氷の刃となって襲いかかった。

 「……っ痛……」
 「す、すまん…大丈夫か…?」

 氷の刃で切れたのか、アリアは両腕と頬に細かい切り傷を負っていた。しかしそんな軽傷、気にもしていないのか、腕の傷を舐め、頬を伝う紅をぐい、とその腕で拭う。

 「別に大した傷じゃない。とっさに対応出来なかったから、ちょっと寒かったし、多少切り傷も出来てしまったが、それだけだから。この程度なら、治す必要もないな」
 「…いや、せめて薬塗っとくとか、消毒ぐらいはしとかないとだと思うんだがな…」
 「傷は男の勲章ってよく言うじゃないか。気にしない気にしない」
 「こんなんでついた傷が、勲章にはならんだろ……」

 時々見た目に反して、大雑把で男らしいというか、何と言うか。そんな事を思っていたナッシュを探るように、じっとその不思議な金の瞳が見つめてくる。…ヤバイ、読まれる。と、一瞬冷や汗をかく。何せこの見た目は子供の成人男子は、見た目と身長にコンプレックスを持ってる為、女子供のような扱いや表現をされるのが嫌いなのだ。
 しかし、そんな彼が口にしたのは、ナッシュの心を読んでの言葉ではなかった。

 「それにしても、暴発とはいえ、一応紋章を発動させたって事は、何か感覚を掴みかけたんじゃないか?…ただ、何か別の事に気を取られて、集中力が乱れ、魔力制御しきれず暴走したようだったけどね」
 「う、いや…その、すまん…」

 まさか、あまりに至近距離にアリアがいて、うっかり口付けを連想しました。思いっきり動揺して、集中できませんでした。なんて事は言えず、口ごもる。そんな事を言ったりしたら、恐らく呆れられるか、怒られるか、盛大に照れられるか、さて、どれだろうか?

 「…ま、いいけどね。危険な時にやられたら、それこそたまらないけど、まだまだ練習中だからね。気にせず思い切りよく失敗するといい」
 「……あのな……」
 「それより、まだ上手く扱えてないのに、紋章を一応発動させて、魔力を暴走させたんだ。疲れたんじゃないか?」
 「へ?いや、そんな…事は……??」

 言いかけて、ナッシュは妙に疲れて、いつもより動きの悪い自分の身体に戸惑う。

 「やっぱり。魔法を暴発させたり、勝手に紋章が発動したりすると、妙に疲れるんだよね。多分自分の精神なり何なりに、負担がかかるせいだろう、と魔道士や紋章師は言っていたが」
 「へぇ…そういうもんなのか…」
 「だから、初めて使う時や、上手く扱えない時は、心身共に疲れてしまうから、こまめに休んだ方がいい。…焦る必要はないんだ。今日はこの辺にしよう」
 「すまん、折角教えてくれてるのにな」

 その言葉にアリアは傍らの男を見上げ、はぁ、と疲れたような溜息をついた。

 「……別に、それは構わないんだけどね。教えるってのは。ただ…見かけによらないむっつりスケベはどうかと思う」
 「んなっ?!だ、誰が……」
 「集中して感じ取れって言ってるのに、人の顔見て、全然別の事を思ったのは誰だっけ?」

 思わずぐっと言葉に詰まって、頭を抱える。…まぁ、やっぱりというか、この相手には、暴発の原因なんて簡単にわかっちまうよなぁ…と、半ば諦める。しかし、それでむっつりスケベとはまた、エライ言われようだ。って言うか、ちょっと酷くないか?とナッシュは肩を落とした。

 「お、お前があんな至近距離で、しかも目なんて閉じちゃってくれてるから…!それでキスを連想しなきゃ、男じゃないだろ?!しかも昨日の今日だし!!」
 「あ、開き直った。…別に、ヤケを起こさせたい訳じゃなくてね。つい考えてしまうから暴発させるって言うなら、もやもや考えてるだけじゃなくて、実行に移せばいいだろう?」
 「…は…?」
 「だから、それを考えてる事が悪いって言う訳じゃなくて、時と場面を考えろ、って言ってるんだ。好きな人を想うのは当たり前。回復するには相手の事を想った方が効果も上がるだろうしね。ただ、集中する時出来ないと、魔力がまとまらないだろう?」
 「……あのー、アリア先生……?」
 「変な呼び方するな。…キスしたいなら、すればいいじゃないか。僕は別に、されたら嬉しいし、あなたもそれで頭が切り替えられるなら、いい事だろ。好きにすればいいのに」

 さっぱりすっきりあっさりと、まるで当然の事のように言われては、どう反応していいやら。って言うか、自分の言ってる事がわかってらっしゃいますか?とかナッシュはつい、心の中で問いかけつつ、いよいよホントに頭を抱えた。

 「……昨日、キスだけで真っ赤になって、立てなくなりそうになってた奴の台詞じゃないぞ…。そんな無防備な事ばっかり言うなよ…」
 「…そっ、それは…!ちょっと、驚いただけだし!!大体、僕は別に無防備じゃないだろ!気配も、心も読めるんだし、出し抜かれる事はない」
 「…お前、時々ボケるよな…」

 そういう意味での無防備、ではなかったんだが。心を読んだのか、はたまた馬鹿にされてるとでも思ったのか、金の瞳が鋭くナッシュを見つめる。

 「こっちは真面目に教えてるんだからな。頭ん中を煩悩でいっぱいにして、紋章暴発させるくらいなら、キスだろうと何だろうとしてやるし、すればいいじゃないか!」

 そんな事を言いながらもアリアの顔は真っ赤になっている。苛立ちと照れと、強がりのせいだろうな、などと、段々落ち着いてきたナッシュは少し余裕を取り戻して彼の言葉を聞く。戦争や一騎打ちなど、戦いの事に関しては将軍の息子として生まれ、軍を率いてきた生粋の武人であるアリアには敵わないだろうが…人生経験、特に色恋事に関しては、多少ナッシュの方が有利らしい。何せアリアは、青春時代を戦争で過ごし、恋愛らしい恋愛も出来なかったのだから。

 「へぇ…何でもしてくれるし、させてくれるって言うのか…」
 「な、何だよ、急に余裕を取り戻して…」

 アリアが焦って、赤面して動揺しているからこそ、余裕を取り戻してくるのだが。ちょっと人の悪い笑みを浮かべたナッシュに何かを感じたのか、ひたと鋭く見つめていた金の瞳が僅かに揺れて、視線が外される。

 「ま、確かに俺は、魔法関係には全然自信がないからな。『ご褒美』ってのがあった方が、上達も早いかも知れない」
 「…え…ご褒美…?そんな話だったっけ…??」

 ナッシュの言葉に、本当に理解していないらしいアリアは、きょとんとして首を傾げる。

 「頭が切り替えられるんなら、好きにしていいんだろ?」
 「う…?うん…まぁ、そういったけど…それが何でご褒美…??」
 「つまり、魔法上達のご褒美が、お前自身、って事なんだろう?」

 金の瞳が、ナッシュを見つめて、困惑したような色を浮かべている。そうだ、と言っていいものやら、違うと言った方がいいのやら、判別がつかないのだろう。けれど、ナッシュの雰囲気から、どうも変な方に話が行っている、というのは理解しているらしい。

 「……あの…ナッシュ…?それって、一体どういう……?」

 ああ、マズイな…今は照れくさいとか恥ずかしいより、むしろ突っ走りそうな気分だ…。心に呟いて、何とか突っ走らないように自分を保つと、戸惑うアリアの耳元にそっと唇を寄せる。

 「…上達したら…お前が欲しいって事だよ…。意味…わかるか?」
 「……。え…??」
 「こう見えても…意外と我慢してるんだぜ…?」

 少しの間、理解出来ないような顔でナッシュを見つめていたが、やがて一気にこれ以上ない位に赤面すると、何か言おうとして失敗しているように口をパクパクさせる。

 「大丈夫か?アリア。」
 「…な……ほ、本気…で…」
 「冗談でどうするんだよ…あのな、俺だって一応男なんだぞ?…って、まぁ、そりゃお前だってそうなんだけどな」
 「……っ、い、今…っ!今はコレで、我慢しろ…!!」

 動揺しまくったらしいアリアは、少し背伸びするとナッシュの頬に軽く触れるような口付けをすると、ばっと離れる。

 「…アリア…??」
 「ご、ご褒美、は…か、考えとく、から…!!それ、が、励みになる、なら…!!え、えーと、だから、その、が、頑張って!!」
 「あ、ああ…頑張るよ…」
 「じゃ…じゃあ、先、戻るから…!」

 言うだけ言って、だーっという音がつきそうな勢いでエルフの村の方へと走り去ってしまったアリアをぽかんとして見送った後、ナッシュは今更ながらに照れくさくなりながら、くすくすと込みあげてくる笑いに肩を震わせた。

 「あいつ…俺がそんな事思ってるなんて、夢にも思ってない、って顔だったな…。しばらくの間は、ぎくしゃくしそうだな…」

 それでも、いつまでも友達以上恋人未満って訳にもいかないだろう。お互いに。そう、いつかの先に、別れがあるのだというのなら、特に。その別れが、死別なのか決別なのかはわからないけれど。…互いの温もりを覚えていられれば、どちらがどちらを残していくとしても、絶望せずにはすむ…そう思いたいから。

 「…本当は、こんな事、考えたくはないんだが…。誰が、別れの事なんて……」

 はぁ、と一度深刻そうな溜息をついた後、表情を切り替える。

 「さて、と。アリアの真っ赤な顔でも見に行くか」

 そういえば、怪我させてしまった傷は大丈夫だったろうか。放っておいてもいい、なんて言っていたが、宿に戻ったら手当てしよう。そんな事を考えながら、村の方へと足を向ける。

 見上げた空は、先程のアリアの頬のように、少しずつ赤く染まり始めていた…。


 ナッシュ坊、国内旅行編その9です。…よく続いてるね、マイナーなのに。ははは。というツッコミを自分で入れつつ。つうか、ナッシュが段々、3の方に性格が近くなってないか?とか。いや、まだまだだけどね。アリアはアリアで、イマイチ強気受なんだか、天然誘い受なんだか、ツンデレなんだかよくわからんし。つかじれったいよ、お前ら。しっかし、今回はなかなか話がまとまらなくて参った…。何とかまとまって、良かった。

 ま、そんなこんなで、3ナッシュが何でよりによって水の紋章だったのか、に多少理由づけしてみたり。だって、風のがまだ相性いいのに、水ですか。とか思ったから。うちのナッシュさんはどうやら、アリアが使用し、彼がくれたものだから、と言う理由らしい。きっと別の紋章にしろっつっても、変えないっぽいですよ。



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