1.



しとしと 涙のような 雨が降る
俺の上に お前の上に

流れた紅を 静かに流し
地に伏す お前を 冷やすように…



― 涙雨 ―




 湖の城からカクへと戻った俺達は、もう一日をその町で過ごした後、出発した。あの城で一度気分が落ち込んで以来、どうも調子が出なかったが、アリアに心配させまいと普通に振舞ってみせていた。…それでも、やっぱりその目は誤魔化す事は出来なそうだったが。

 「あの…ナッシュ…」

 町を出て少しした頃、アリアが心配げに俺を見て、話しかけてきた。

 「ん?どうかしたのか?…もしかして、もう疲れちまったのか?体力ないな、アリアは」
 「違うよ!こんなちょっとで疲れたりしない!…そうじゃなくて…ただ、あなたが元気ないようだったから…」
 「…お前の気のせいだよ。それより、これからどこへ行くんだ?」

 アリアは様子を窺うように俺をじっと見ていたが、やがて溜息をつくと、俺が返した地図を取り出し、見えるようにする。

 「今居る場所が、ここ…カクの町。当初の予定では、ここからコウアン経由でガランを越えて、ゴウラン地方から出ようと思っていたんだが…気が変わった。大森林の方へ行ってみよう」
 「…大森林?確か、異種族が住んでるって方か?」
 「うん。人間も居るが、コボルトやエルフ…ドワーフら、異種族が住んでいる、この国の中でも変わった地域だ。…多分、外国から見ても、結構特殊だと思うから…面白いんじゃないかと思うんだ」

 アリアはきっと、俺の気分転換に珍しい土地を見せてくれようとしているんだろう。…あまり見ない種族だけに、確かに興味あるが…。

 「僕も、久し振りに仲間に会いたいし…行ってみないか?」
 「けど、大森林って…入ったら迷うとか聞いた事があるが…」
 「ああ、それは心配ない。解放戦争時、魔力の要だったエルフの巨木が焼かれてしまってね…今はもう、迷いの魔法は消えてしまったんだ。まぁ、広いから迷いやすくはあるけれど…絶対に迷う、って事はなくなった」

 軽く首を傾げ、アリアが目でどうするか問いかけてくる。…興味はあるし、そういう所に行けば、物珍しさでこの気分を忘れられるかも知れない。

 「…お前はいいのか?予定を変えちまって」
 「いいよ。…急ぎの旅と言う訳ではないから。じゃあ、決まりだ。大森林方面へ行こう」

 そこからは、まず大森林の村という場所へ向かう事になった。アリアは湖の城から戻った後は、俺とは逆に強さと余裕を取り戻したようで、その言葉通り、急ぐ事をやめたようだった。一週間程のその道のりでも、無理をしている訳ではない笑みを、絶やす事は無くなっていた。
 野宿をする時も、俺を考え込ませない為か、これから向かう場所についてや、昔の戦いの事を静かに語ってくれるようにもなった。

 「大森林、というのは通り名のようなものだと思う…本来は、モランの森、というんだ。その森が迷いの森として恐れられていたのは、大盟約といわれる、互いの種族に関わらないようにする不可侵条約のようなものが結ばれてからだ、と思われるんだ」

 まるで歴史書でも読んでいるかのように、すらすらとそんな説明が出てくるアリアに感心しながら、俺は彼の語る話に耳を傾ける。

 「森の六賢者によりかけられた、その結界魔法によって、随分と長い事モランの森は人にとって往来する事の出来ない場所となり、自然に他種族間との交流も絶えていったようだ。ただ互いに反目し合い、蔑み合うだけの状態になっていったんだ」
 「…それが、どうして今は、協力し合うようになったんだ?その魔法の要とやらが消えて、迷いの魔法が消えたからか?…そうじゃないな…他に何かあったんだな」
 「……そう、結界魔法が消えたせいじゃない…。あの頃…湖の城を拠点とし、ようやく解放軍が機能を回復し、人を集め始めた頃…一人のエルフの青年が、僕達に助けを求めて来たんだ。彼は、エルフには珍しく、他の種族に対しての偏見を持たず、共存を望んでいた者だった…」

 アリアはそこで一度言葉を切り、ふぅ…と溜息をつく。その瞳は、どこか遠い日を見つめているように、僅かに細められる。

 「…今のようになるまでに…信用されるまでに…本当に大変で困難な事があった…。行く場所行く場所、不信の目を向けられ、牢に入れられてしまったりもした。そうして、もたついていた間に、森を焼かれ…犠牲も出てしまった…」

 その時の自分の無力さを責めるように、彼はそっと目を伏せる。…アリアは、その時どんな気持ちだったろう。きっと、礼を尽くしてもそれが通じず、それでも頑張って…結果、そんな事になってしまったんだろう…。

 「…絶望…しなかったのか…?そんな事になっても…」
 「正直に言えば…もう、ダメなのかも知れない…そう思った。ドワーフ達とは、一応の協力を得られていたが…エルフは、もう……そう、どこかで思ったんだ。でも、そこで僕が諦めた時…本当に全てが終わってしまうかも知れないと…だから、それでも諦めずに、いられたんだよ」

 彼はそう言って、穏やかな笑みを見せる。

 「結局、極少数にはなってしまっていたけれど…エルフ達は、生きていたし…コボルト達も、その後協力してくれて、解放軍の力となってくれた。…こうして四つの種族は手を結び、その戦いが信頼関係を回復していくきっかけとなったんだ。現在の状態はわからないが、あの戦争を知る者が居る限り、大丈夫だろう」

 …こうして話を聞いていると、彼が『英雄』と呼ばれるのもわかる気がした。この国の者達にとって…彼の仲間にとって、まさしくアリアは『英雄』なのだろう。例え、彼自身が、それを望んではいないとしても。

 「…ナッシュ…何か今、僕にとって不本意な結論に達しなかったか?」
 「い、いや…すごいなと思ってな…」
 「……。違うよ…僕は、すごくもないし、英雄なんかじゃないんだ。きっと…運が良かっただけで…。僕は真にそうだというなら…あんなにも犠牲を出さずに、済んだはずだ…」

 静かにそう言い、苦笑をしてみせたアリアの心には、どれ程の傷があるんだろうか。…自分の事すら見つめられない俺には、わからなかった…。


              * * * * * * *


 後一日歩けば大森林の村へ辿り着ける、という辺りで野宿した晩、ふとアリアが意外な事を言い出した。

 「…ねぇ、ナッシュ…あなたは、紋章を宿し、使ったりする気はないのか?」
 「…は?お前、突然何を言い出すんだ…?」
 「いや…いつも札を使っているようだから…少し気になっていたんだけれど…紋章の方が札より安くつくと思うんだが…」
 「うーん…俺、魔力はそんなに高くないからな…」

 そう返した俺をじっと…魂の底まで見通そうとするように見つめて、アリアは首を傾げる。

 「…まぁ、確かに高いって程高くはないが…低すぎる程ではないと思うよ。紋章師じゃないから、詳しい事まではわからないけれど…普通の、例えば五行の紋章とかなら、大丈夫なんじゃないかな?」
 「お前、そんな事までわかるのか?」
 「うん。紋章師や魔道士とは違うから、何となくわかる、っていう程度なんだけど。魂の質と、相性…魔力の気配で、何となくね…」

 さすがは真の紋章の継承者というか、何と言うか。俺にはさっぱりわからないが…そういうもんなんだろうか。継承者、ってのは、皆魔力が高いんだろうかな…。

 「でも、俺…紋章なんて扱う自信無いぜ?上位魔法の札ですら、起動するのに手間取ったりするんだ。魔法なんて、扱えるのやらわからんよ」
 「難しく考えすぎなんだと思うんだが。別に、真の紋章を使ってみろ、って言う訳じゃないんだ。…僕なんて、初めて使った紋章が、ソウルイーターだったんだから…それに比べたらマシなはずだよ」
 「……それは…恐ろしいな…」

 初めて使うのが、真の紋章…しかも、あんな恐ろしげな魔法とは…考えられん。確かに、それに比べれば普通の紋章の方がずっとマシだとは思うが…。

 「しかしまた、何で急に、俺に紋章を宿す事を勧めるんだ?」
 「…いや…いつも僕が傍に居て、ちゃんと魔法を使える状況なら、別にいいんだが…もしも、僕が倒れたり、たまたま居なかったりした時…あなたがせめて、回復魔法だけでも使えれば、危険が減るだろうと思って…」
 「…何だよ、それ…お前、それはどういう意味だよ……っ!」
 「別に、今どうという話じゃないんだ…!ただ…未来なんて、どうなるかわからない…ずっと共に在れるという、絶対の保証はないんだ…。明日、僕が…あなたが、死ぬかも知れない…そんな事だって、無いとは言い切れないんだよ。もしかしたら、気持ちが離れる事だって、あるのかも知れない……。その時の為に…」
 「そんな話、聞きたくない!!」

 思わず傍らのアリアの襟首を掴み、睨みつける。彼はただ、困り果てたように俺を見て…そっと俺から目を逸らす。

 「……ナッシュ、でも…もしも…」
 「お前は、そんなに俺から離れたいのか…?!それとも、死んじまいたいとでも言うのか!」
 「そうじゃない!!…そうじゃなくて…ただ、もしも僕が先にやられて…あなたが、ひどい怪我を負ってしまったら…」
 「……大丈夫だ、そんな事にはならない…だからもう、そんな事…言わないでくれ」

 手を離し、そのまま強くアリアを抱き締めると、腕の中の彼は諦めたように頷いた。

 「…わかった。でも、もし気が変わったら…言って」

 俺には、どうしてアリアが急にそんな事を言い出したのか、わからなかった。そして…それを聞いた時、何故身体が震えそうな程に不安で堪らなくなったのかも、わからない。
 ただ…その言葉を聞いた時…いつしか、アリアが俺の傍から黙って離れて行くような気がした。…いつか、俺を庇って、死んでいくつもりのような気がしてしまった。どちらにしろ、その紋章から、俺の命を守る為に……。それがただ、恐かった。





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