2.
次の日の夕方頃、何となくぎこちない雰囲気のまま、俺達は大森林の村へと到着した。静かで小さなその村は通過点に過ぎなかった為、さっさと森へと向かおうとしたが、慌てたように近くに居た村人に呼び止められた。 何でも、最近は森の中に、少し強めの魔物が出る為、特に活動が活発な時間帯である夜に森の中へ入るのは危険だ、という事だった。そう言った村人は、一応声はかけたぞ、という表情で去っていってしまった。確かに、そういう事なら、昼間に行った方がいいだろうとは思うんだが…空模様も、着いた頃にはやたらと雲が多く、今にも降りだしてもおかしくない感じだ。言う通りにした方がいい…しかし、俺としては、どうもあの言い合い以降、少々気まずくて、宿でゆっくり過ごす、何て気分にはなりそうにない。 「…どうする?アリア…」 「……。行こう…。行ってみなければ、何が出るのかもわからないし…その強い魔物とやらに、出会わずにすむ可能性だってある…」 どちらかと言えば慎重なアリアらしからぬ発言に驚いたが、もしかしたら強めといっても、対処できる程度かも知れないし…そう言ってくれるのは有り難い。そう思い、俺も頷いた。アリアもまた、気まずい気分で、宿に泊まるよりは戦っていた方がいい…そう思っていたのかも知れない。 「強い魔物って、何だろうな?」 「…さぁ…しばらく離れていた間に、外の魔物も変わってたりしたし…わからないな。昔は、そこまで強い魔物は出なかったと思うんだが…」 「ま、ゴールドウルフだの、はぐれ竜だので無い限り、何とかなると思うんだがな。イザって時は、逃げるって手もあるし」 「…そんな強い魔物だったら、多分逃げられないと思うんだけど…とにかく、油断はしない事としよう」 そうして俺達は、怪しい雲行きの空の下、暗くなりつつある森へと入って行った。…油断はしていないつもりだったが…少なくとも俺には、どこかそう言う気分があったのかも知れない。魔法においても、物理攻撃においても、並ではない能力のアリアが一緒に居るから大丈夫だろうと…そう思ってしまったのかも知れない。 慎重な性格のアリアが、夜の森に入る事を決め、俺がそんな僅かな油断をしていた事…それこそが間違いだったのだと気付くのは、もう少し後の事だった…。 * * * * * * * 「…結構、魔物が多いな…」 「そうだね…対処出来ない程の強さじゃないが…数が多いのが厄介だ。夜になってしまったせいなのか…それとも、その強い魔物が居るせいなのかはわからないが…なるべく、魔法力は温存した方が良さそうだ」 言いながらアリアは札を取り出し、すぐに使えるようにしている。 「…これは、確かに戦い慣れしてない奴には、辛いよな。俺達でも、かなりのモンだ」 「うん。無闇やたらに魔法を連発したり、戦ってたりしたら、あっという間に力尽きてしまいそうだ」 「おいおい…不吉な事を言ってくれるなよ」 俺が冗談めかしてみても、彼は淡い笑みを浮かべてみせるだけだった。 「…道具や、僕の魔力が尽きない事を、祈ってて」 そう言った彼は、もしかしたらその時には、ある程度覚悟を決めていたのかも知れない。自分が傷付いてでも…死にそうになってでも、俺をどんな状況からも守ろうと…。 少し進んでいく度に、次々と現れる魔物達。だんだんと自分の方だけで手一杯になってくる俺をフォローする為に、温存した方がいい、と言っていた札や魔法を使ってくれてしまう。 「アリア、無理しないでくれ…俺は俺で、何とかするから。お前、自分の回復は後回しにしてるだろう」 手合わせや、多少の戦闘では乱れもしない息が、今はかなりあがってしまっている。傷も、俺より多いように見えるのに、アリアはただ笑ってみせる。 「……僕は、平気。…頑張ろう。もう少し…もう少しで、抜けられる筈なんだ」 アリアはそう言って、先に立って歩き出す。…その背が時折ふらりと揺れて…酷く疲れて見えるのは、俺の気のせいじゃないだろう。俺のフォローまでしているせいで、負担がより多くアリアに行ってしまっている。 「…せめて、薬くらい使ってくれ。このままじゃ、お前…倒れちまうよ」 普段の状態なら、やられるような敵じゃないが…数が多すぎる。休む間もなく戦い続ける事で疲労はたまる一方の上、彼は魔法も使っている。…連続で魔法を使い続け、いくら強い精神力を持つアリアでも、そろそろ限界だろう。 「大丈夫だ。だから…気にしないで…」 「アリア!お前、またそんな事言ってるが、大丈夫の筈ないだろう!!」 大体、気にするなと言われても、はいそうですか、と引き下がれるようなモンじゃない。恐らく、後一撃でも食らったら、倒れるような傷だ。その証拠に、腕を掴んで引き止めた途端、あげかけた悲鳴を押し殺し、足を止めた。彼が止まっている間に目立つ傷に応急処置をしていくと、アリアがふと口を開いた。 「…すまない、ナッシュ…僕の、判断ミスだ。まさか、ここまでとは…正直、甘く見ていた」 「お前だけの責任じゃないだろう。自分だけで、背負い込もうとするな。…反対しなかった俺も悪いんだ。それより今は、この森を抜ける事だけを考えよう」 俺がそう言って笑ってみせると、彼にもほんの少しだけ笑みが戻る。と、次の瞬間、ハッとしたように険しい表情になり、いきなり俺をありったけの力で突き飛ばした。 「……っっ?!急に何を……」 とっさに身を反転させ、立ち上がってアリアに文句を言おうとして…自分の目を疑った。獅子の頭と身体に、山羊と鳥の頭を持ち、ドラゴンの翼に尾は蛇という、奇怪な姿の魔獣が、倒れたアリアの上に前足を乗せ、動きを封じ込めていた。 「…逃げ…ろ…ナッシュ…。こいつ…普通の、キメラじゃ…な…」 苦しげにそう言葉を紡いで、アリアが動かなくなる。傷だらけの身体は、このでかい魔獣の攻撃で更に傷付き、力無く地に倒れ伏せ、成す術も無くただキメラの足元に押さえつけられていた。強い光を宿す金の瞳も…今は閉じられ、その唇の端から、紅い紅い血の筋が零れ落ちるのが見えた。 「…アリア…?」 …まるで、死んじまったみたいに、ぴくりとも動かない…。俺の頭の中は、ただ塗り潰したように真っ白になった。つぎはぎのように奇妙な姿の魔獣が、俺の声に気付いて三つの首を俺の方へ向ける。それでも、俺はただ呆然と立ち尽くして、動けなかった。 「……返事、してくれ…アリア…」 本当ならきっと、キメラの攻撃を受け、あの足元に転がっていたのは俺だった。アリアは…あの瞬間、俺を庇って…そして…。 俺に向かって、徐々に距離を詰めるその魔獣を見た俺の内側で、何かが弾けたような気がした。この胸の中を、ただ憎しみと怒りのみが占めていく。同時に、背中の剣の『声』が、俺を突き動かそうとするように、剣を抜けと…目の前に立ち塞がる全ての者を殺せと、誘いかけてくる。 「…許さない…」 感情の昂ぶりのままに、俺は魔剣に手を伸ばす。アリアに使うのを止められていた…俺自身、使わないようにしていた…この剣。双蛇剣…グローサー・フルスを、抜き放った。 アリアの上から退いた魔獣が、その途端に唸り声を上げ、襲いかかってくる。それを睨みつけ、両手の剣を操作し、蛇のようにしならせ、剣先を敵へ向けて伸ばす。一撃目は避けられたが、二撃目はかすった。…そう、かすめるだけでいい。こいつは、通常毒の効かない相手にすら効く猛毒だ。 「……殺してやる」 剣の毒が効いてきたのか、少しずつ動きが鈍ってくるキメラを、俺はただ冷たく見据える。剣の『声』のせいか、どんどん俺の中は殺意で溢れ、目に付く生きる者全てを殺したい衝動にかられた。その衝動のままに、両手の剣を振るう。毒で死なせてやる気など、毛頭無かった。 放ってきた火炎の息を剣で振り払い、一息に山羊の首と獅子の首をはねる。血飛沫をあげ、苦悶の声を上げるキメラのそのドラゴンの翼を切り裂き、人より遥かに巨大なその身体を貫く。全ての首を斬り落とし、それが動かない、ただの血と肉の残骸に変わり果てるまで、剣を振るい続けていた俺は、血に酔っていたのかも知れない。 …そうでなければ、後ろから近づいてきたその気配が、敵である筈がないと…正気の状態ならば、分かる筈だったのだから。 「…ナッシュ!もういい…っ!!」 声を、聞いていたのに…俺は、止まる事が出来なかった。殺意のままに、振り向きざま、この両手の剣が貫き、切り裂いていたのは…小柄な少年の身体だった。 「……ナッ…シュ…?」 少年の…アリアの金の瞳が、信じられない、というように俺を見つめる。そこでようやく、俺は我に返った。 「…あ…俺……?」 無意識に、アリアの右肩と左脇腹を貫き、抉っていた剣を抜き、目の前の光景に呆然とする。肉塊となった魔獣だったモノの残骸…右肩と左の脇腹を紅く染めるアリア。…俺は…どうして、こんな事を…? 「……っ…く…」 不意に力を失い、倒れかけるその身体をとっさに支え、ハッとする。そうだ…この剣で貫いたんだ、彼も当然、ゾディアック・タワーの猛毒を食らっている筈だ。 「…っアリア!!」 「そんな…大声じゃ、なくても…まだ、意識…あるよ。それ…より…これ、何か…毒だろう…?解毒薬…くれない、か…?そうじゃ、ないと…あなたに、ソウルイーター、継承…しなくちゃ、ならなく…なる…」 その傷で、この毒を食らって、まだ意識を保っている事にも驚いたが、何より…そんな状態でも、微笑みを浮かべ、そんな事を言える事に驚く。アリアをそっと地に横たえ、俺は懐を探って解毒薬を取り出した。 「…飲ませて…くれる……?」 「わかってる。」 解毒薬を開け、口に含んでアリアの唇に自分のそれを重ねる。彼は僅かに驚いたように身を竦めたが、抵抗はしない。…その体温は、普段より冷たく感じた。 「…ナッシュ…僕は、大丈夫だから…そんな顔、しないで…。それじゃあ、まるで…僕、これから…死んじゃう、みたい…じゃないか…」 「大丈夫な訳ないだろう?!そんな身体で…俺の…せいで……」 「大丈夫…僕は、この程度じゃ…死なない…だから、そんな風に…苦しまないで…。平気、だから…」 ふわりと微笑んで、彼は俺をそっと抱き締める。まるで、そんな状態でも俺を安心させようとするように。その手の優しさに、堪えきれず俺の目から涙が頬を伝う。 「すまん…っ…アリア……!」 「……泣か、ないで…ナッシュ…。僕、気に…して…ない、から……」 笑ってそこまで言うと、アリアは落ちるように意識を失った。一瞬不安にかられて、心臓の辺りに手を触れる。少し弱々しいが、それでも生きている事に少しホッとして…この手で貫いてしまった傷に応急処置をしてから、地に落としていた双蛇剣を拾い、少しの逡巡の後、血を拭い鞘に戻す。それから彼の荷物と棍を拾って、持ったままアリアを抱き上げると、この森を抜ける為に歩き出した。 …空からは、いつの間にか…涙のような雨が降り出していた。 |