3.
森を抜け、コボルトの村に入った時には、既に朝になっていた。幸い、あの後は強い魔物どころか、雑魚すら現れず、何とか無事に村へ入る事が出来た。 「大変だ!森を抜けてきた人間が、ケガしてるぞ!」 「誰か、村長呼んでこい!」 入った途端に、俺達を見たコボルト達の間で、ちょっとした騒ぎになってしまった。どうしたものか、とアリアを抱えたまま途方に暮れていると、茶色い体毛に耳が黒い、蒼い瞳のコボルトがこちらに向かってきた。 「お前らが、森を抜けてケガしてる人間だな。大丈夫か?……ん?……っ!!」 俺が抱えたアリアを見て、そいつの顔色が変わる。 「アリア殿!!…アリア殿が、倒されるなんて…とにかく、宿へ運ぶぞ!誰か、エルフの村行って、訳キルキスに話して、魔法使える者連れて来い!!」 何が何やらわからなかったが、とにかく言われるままにアリアを案内された宿のベッドの上へ横たえた。 「…お前、アリア殿の旅の仲間なのか?」 そのベッドの傍に椅子を二つほど持ってきた、耳の黒いコボルトは、俺に椅子に座るよう勧めて、自分も椅子に座りながらそう聞いてきた。勧められた椅子に座り、視線はアリアに向けたままで俺は頷く。 「ああ…大事な、仲間だ…」 その大事な人を自分がこの手で傷付けた事に胸が痛んだが、それを表に出さないようにそう言う。 「そうか…いいコトだ」 そのコボルトは、目を輝かせ、満足そうにそう言う。 「……いい事?」 「アリア殿は、いつも淋しそうだった。淋しくても…独りだった。だから、独りじゃなくなって、傍に居てもいいと思える者が出来たなら、良かったと思う」 笑うコボルトに、俺は何も返せない。…そんなアリアを、俺は…。 「アリア殿の仲間なら、歓迎だ。…もうすぐ、回復魔法の使えるエルフが来るぞ。だから、心配するな。それから、クロミミは、クロミミという。よろしくな」 「…俺は、ナッシュと言うんだ」 「そうか。…お前、ちょっとだけ、似てるぞ」 「…?似てるって、誰に…」 そう言いかけた時、宿の扉が勢い良く開かれ、二人の男女のエルフが入ってきた。 「おお、ずいぶん早かったな。しかも、キルキスが来るとは思わなかったぞ」 「クロミミさん、アリア様がここに来て、しかも怪我してるというのは、本当ですか?!」 「本当だ。キルキス、シルビナ…回復紋章、宿してきたか?」 「うん、大丈夫よ。…ホントに、アリアさんだ…帰って来てたのね……」 入って来たエルフ達は、僅かの間アリアを見て懐かしいような表情を見せていたが、やがてキルキスと呼ばれていた方が俺を見る。 「アリア様の、連れの方ですね。必ず、僕達が回復させますから…傷がないなら、休んだ方がいいですよ。…ひどい顔色をしてます…貴方も」 「いや…出来れば、傍に居たいんだが…ダメか?」 エルフ達とコボルトは顔を見合わせ、優しく笑った。 「ええ、勿論、貴方が大丈夫なら、ここに居ても構いませんよ。…シルビナ、二人で魔法をかけよう」 「うん、わかった」 エルフ達はアリアが横たわるベッドの左右に立ち、その身体に向かって右手をかざし、精神を集中させる。 「…流水の紋章よ…」 二人が同時に呪文を唱え始めると、海の底にでも居るような蒼い光がアリアを包み、部屋の壁が蒼い色で照らし出される。上位紋章の最上級呪文の筈だが、それでも、それを受け回復した筈のアリアの顔色は、蒼白のままだった。 「…キルキス、どうして?傷は回復してるハズなのに…何でアリアさん、こんなに顔色悪いの…?」 「傷が回復しても…失われた血は、戻せないから…。どうやら、毒を受けて弱ってもいたようだったし……」 困惑したように、エルフ達は顔を見合わせる。毒…そう、しかも猛毒だ。ただでさえ弱っていた身体に、俺が…そんな猛毒を送り込んでしまったんだ…。そう思い、俺が胸の痛みに耐えられず俯いた時、アリアが僅かに身じろぎ、呻き声を上げるとうっすらと目を開けた。 「……っ、ここ…は…」 「おお、目が覚めたかアリア殿!ここはコボルトの村だぞ!」 「良かった!魔法かけてもなかなか目を覚まさないから、どうなっちゃうかと思った!」 声の方に視線を向け、それから辺りを見回す。…その視線が、何となく合っていない事に、俺は気付いてしまった。 「……クロミミ、シルビナ…それに、キルキスも、居るのか…すまない、迷惑を…かけてしまったようだ…」 「……アリア様?もしかして…目が…」 キルキスも気付いたのか、恐る恐ると言う感じで、そう問いかけた。 「…いや、大した事じゃない…大丈夫だ。それより、ナッシュは…僕の連れは、無事…?気にしないよう、言って…。僕が倒れたのは…あなたのせいじゃ、ない…あの大きな、キメラのせいなのだから……」 「大丈夫です。その方は無事ですから…アリア様は、ゆっくり身体を休めてください。まだ、ひどい顔色ですから」 「うん…すまない…わざわざ……」 そこまで言って、再びアリアは意識を手放したようだ。それを見てホッと息をつくと、キルキスが俺の方を見る。 「それでは、僕達は村に戻ります。どうか…アリア様を、頼みますね。彼が元気になったら、良ければ僕達の村へも立ち寄ってください」 「…ああ。すまない…有難う、アリアを助けてくれて」 「いいえ、アリア様は僕達にとっても、恩人ですから。…では、クロミミさん、後はお願いします。シルビナ、行こう」 「うん、それじゃあね」 エルフ達はそう言い、俺達に頭を下げ、手を振ると宿から出ていく。それを呆然と見送った俺に、今度はクロミミが言う。 「それじゃ、クロミミも行くぞ。宿の者には言っておくから、好きにここを使うといい。アリア殿を頼んだぞ」 笑顔で、俺の返事も待たずに彼もまたここから出て行った。急にしんとなった部屋で、俺はただ、眠るアリアのまだ蒼白な顔を見つめる。 「…アリア…」 こんな状態になっても、心配するのは、周りの事ばかり…俺の事ばかり。俺の為に、優しい嘘をつく。…確かに、キメラにも殺されかけたかも知れない。けれど…本当にお前を殺しかけたのは、俺だったのに…。 「……すまない」 手袋を外し、冷たいアリアの頬に触れ、うめくように俺は謝罪の言葉を吐く。彼が死なずにすんだのは、きっと…真の紋章の継承者だからとか、運が良かったからとか…そう言う理由だろう。普通なら…死んでいた…。 あの時の、彼の信じられない、という表情が、目に焼き付いて離れない。その身体を貫いた時の…肉を斬る感触が、今もこの手に残っている。…その瞬間の、アリアの気持ちは、どんなものだったろうか。 「…とにかく、着替えさせないとな…」 アリアの荷物から、彼がいつも寝間着代わりに好んで着る浴衣というらしい服を出し、眠る彼が着ている血塗れの服を脱がせていく。すっかり血色の悪くなった身体…その右肩と左脇腹に、回復魔法を受けた後も未だ治りきらない深い傷痕を見て、俺は思わず目を伏せた。酷い傷だ…それでも、お前は…俺を許してくれようとするんだろうか。こんな、消えない傷をその身に刻んでも。 「こんな事をした俺が…お前の傍に居ても、いいのか…?」 …もしも、アリアが目を覚まして…俺を恐れたら…そう思うと、怖かった。罪悪感で胸が痛くて泣きそうになるのを堪え、手早く着替えさせた後、ふと窓の外へと目を向ける。 「…雨…止まないな…」 夜…あの時降り出した、涙のような雨が、まだ降り続いていた。弱々しく窓を叩くその音を聞きながら、まるで俺の心を映しているような暗い空を見上げ…そっと溜息をつく。 「気が、滅入るな……」 疲れてはいたが、どうにも眠れそうな気分じゃない。再び目覚める気配もないアリアの傍で、俺はほろほろと雨を降らす空を仰ぎ、ただ虚しく時が過ぎていくのを待っている事しか出来なかった…。 空が泣く まるで心を映すように 優しいお前を 貫いた この手を この罪を 洗い流そうとするように まるでお前の 優しさのように この心を 柔らかく包む 天の涙… |
ナッシュ坊も、これで14話目になりました。…我ながら、よくここまで続くもんだと。っつか、更に続いていくんですが。そして、今回はまた暗い話となりました。でも実は、ずっと書きたい話だったんですよ。ナッシュ坊初めてから、グローサー・フルス関連の話は。アリア坊の方がしっかり心が立ち直らないと、書けないなぁ、と思って先延ばしにしてきたのでした。…ようやっと書けたよ…。 でもって、今回はナッシュがどん底に暗くなってますが、次でもう少し明るい方向へ持っていきますんで、ご安心ください。いや…深い傷痕だとか、何だとかって、こう先の方まで残るじゃないですか。そういう所が好きだったりして…そんなこんなで、アリア坊には、重傷になってもらいました。 ちなみに、この双蛇剣を使うと、憎しみや殺意といった負の感情が増幅されて、攻撃力その他色々上がるけれど、まるで剣に操られてでもいるように、抑制が効かなくなり、下手をすれば冷酷な殺人鬼に成り果ててしまうかも知れない危険な武器、という風な解釈をしてます。 |