羽根のように 触れていった唇
その想いに 応える勇気は まだないけれど

それでも あの小さな背中を
放って置けないと思ったのも 真実だったから…





― 願い ―





 『僕は、あなたが…好きだ』

 アリアはそう言って、ただ微笑む。その表情は、今までに見た中で一番優しく、一番哀しい笑顔だった。そうして、まだその言葉の意味を理解しきっていなかった俺に、そっと…かすめるように口付けた。

 『…ごめんね…さよなら

 言い残して走り去ったその背中を、すぐに追う事は出来ない。あまりの事に俺の頭は混乱して、思考が停止していたから。ただ呆然とその場に立ち尽くして、今起こった出来事を頭の中で反芻する位しか出来ない。
 …今のは、つまり、愛の告白というやつで…あいつは、俺を、恋愛という方の意味で好きって事で…。

 「…嘘だろ…」

 思わずそう呟いてみても、唇に残された柔らかさが、今の出来事を証明する。ほんの一瞬だったけど、あれは…もしかしなくとも、キ…

 「……っっ!!」

 無意識に唇を押さえかけ、さっきの感触を一気に思い出して、顔が熱くなった。…どうかしてる。年頃の娘じゃあるまいし、あんな一瞬触れただけで…しかも、相手は年下の、男だってのに。
 高鳴った胸の鼓動からも、不思議と嫌だとも気持ち悪いとも思わなかった自分の心からも、わざと意識的に目を逸らして、一度頭を振って自分を落ち着かせる。

 「…そう言えば、あいつ…どこへ行ったんだ?」

 少し冷静さを取り戻してみると、アリアの行き先が気になった。…さっきのあいつは、どう見ても何かを考えて行動してるようには見えなかった。多分、感情のままに動いていただろう。

 「……やっぱり、あのまま外へ飛び出していった…んだよ、なぁ…」

 普段感情を抑えている者ほど、突っ走った時には無茶をする。…アリアを見てると、それがよくわかった。彼は普段は必要以上に穏やかさを装っているが、実際にはかなり無茶な性格だ。しかも、突っ走ってる時は、痛みや寒さをあまり自覚しない。
 …もしかしなくとも、またヤバイ状態になりそうな気がする。

 「…捜しに行ってみるか…」
 「……その前に、アリア様が泣きながら飛び出していった理由、聞かせてもらえませんか」

 不意に、静かな声が部屋に響いた。ハッとして見れば、アリアが開けっ放しで出て行った戸口に、あのクレオという人がいた。…いくら気が散っていたとはいえ、気配を察する事が出来なかったとは…。さすが、アリアの姉代わり、という所だろうか。
 彼女はどこか怒っているような…哀しんでいるような表情で、丁寧な口調は崩さないままで、俺の答えを促すようにじっと見ている。

 「…いや、それは…」

 …いきなり好きだと告白されて、呆然としてる間にキスされて、そのまま逃げられた、なんて…さすがに言える訳もない。さて、どう答えようか、と考えていると、相手の方が勝手に何かを察したようだった。

 「坊ちゃん…アリア様が…ご自分の心を、告白なさったんですね…。だから…何も考えず、この雪の中…飛び出して行かれた…」

 何でそんな事、あんたが知ってるんだよ?!と思わずにはいられなかったが、とにかく今は、そんな話をしてる場合じゃない。…この雪の中、飛び出して行っただって?!あいつ、正気か!…いや、あまり正気じゃないんだったな。
 …恋は盲目、なんて言葉が、ついつい頭の中をよぎっていった。

 「なぁ…あいつ、あのままで外へ出てったんだろう?…ここで悠長に話してる間に、どんどん手遅れになっちまうぞ?!」
 「……。わかっています。…それでも、貴方がアリア様のお気持ちに応える気がないのなら、貴方の手を借りる訳にはいきません」
 「…何を…」

 その声も表情も、全ての感情を抑え込んだように冷静だった。そうして彼女はじっと…まるで俺を見定めようとするように、鋭い瞳で見つめる。

 「…同情や、一時の感情で動いた貴方に救われたとしても…きっと、坊ちゃんが傷付くだけです。それなら、私が捜しに行った方がいいでしょう。…私は、もう…あの方の笑顔が痛みを伴っていくのを、見たくはない…」

 確かに、そうかも知れない。俺があいつを捜しても、傷付くだけなのかも知れない。けれど…俺はまだ、応えるかどうかすら、考えていない。そんな事を考える時間も、勇気も…今はない。
 …少なくとも、嫌ではなかったんだ。あの時、そう言われて…口付けられても。

 「…俺は…ただ、あいつを…あんな表情で、雪の中独りにはしておきたくないし…このままで、放って置きたくもない。…そこを、退いてくれ。あんただって、あいつを死なせたい訳じゃないんだろう?」

 睨みつけるようにクレオを見て、俺はその横を通り過ぎる。一瞬、妙にホッとした表情をした彼女が、確かに部屋を出る俺の背に、こう言った。

 「……どうか、坊ちゃんを…宜しくお願いします」


             * * * * * * *


 あいつの家を出た俺は、外の寒さと暗さに妙に不安になった。…こんな状態で、果たしてあいつの後を追えるのか…?空は未だに晴れず、月もない。雪の上に微かに残された足跡は、空から降り続く雪に今にも消えてしまいそうだった。

 「……全く、とんだ聖夜だぜ」

 同じ台詞を、アリアもまた口にしていた事など知らずに、俺は何とか雪の上の足跡を辿り始めた。その足跡は、適当にあちこちへと行った後、まるで彷徨うように街の外へと向かっていた。

 「やっぱり…こうなったか…」

 本当に、何を考えているんだ!と叫びたくなった。着の身着のままで、武器も何も持たずに、この雪の中街の外へ出るなんて。死ぬつもりがなくても、自殺願望でもあるのかと問い詰めたくなる。…真の紋章を持っているからって、死なない訳じゃないってのに。

 「…あのバカ…見つけたら、絶対に文句言ってやる…」

 焦りながらもそう呟いた俺の目の端に、何か光のようなモノが通り過ぎる。ハッとしてそちらを見れば…ある筈のない場所に…雪の上に、妙な火が浮かんでいた。

 「な…何だよ、アレ…」

 それは、不思議な火だった。雪が融ける事もなく、まるで意志を持っているかのように…俺に見られている事がわかっているように揺れる。…アレは、もしや人魂というヤツじゃ…?そんな事を思った時、不意にその火が動いた。

 「……。アレは…俺を、どこかへ案内しようってのか…?」

 俺の呟きに頷くように、それが揺れる。……やっぱり、意志があるように見える。思わず俺は、頭を抱えたくなった。そんな妖しげなモノに誘われて、無事ですむのか…?
 そこまで考えて、ふと気付く。その妖しげな火は…アリアのものと思われる足跡の上で、揺れているようだった。

 「…もしかして、俺を…アリアの所に案内したいのか…?」

 またも頷くように揺れる火に…思わず溜息をつく。…どうやら、付いて行ってみるしかなさそうだ。この今にも消えそうな足跡を追うには、時間がかかる。

 「……わかった。あんたが何なのかはわからないが…あいつの所に案内してくれ」

 その火は、俺の声に応えるように一度強く光ると、ふわりふわりと誘うように移動を始めた。そうして案内された場所は…お約束のように、墓地だった。これは、マズイかな…そう思い始めた頃、前方に更に二つ、同じような火が見えた。
 その二つの火が浮かんでいる下に、求めていた小柄な少年が倒れていた。

 「……っ!!アリア!」

 抱き起こした彼の、妖しい火に照らし出された横顔に血の気はなく、雪と同じような色をしていた。それでも、辛うじて生きている。少しだけホッとして、ふと三つの火を見ると…火は、火ではなくなっていた。

 「なっ…?!」

 笑みを浮かべる、三人の…幽霊、だろうか。悪戯っぽい笑みを浮かべた少年と、泣き笑いのような微笑みを見せる優しい顔立ちの青年と…苦笑じみた笑みの、武人風の男。彼らがじっと見つめているのは、この腕に抱き起こしたアリア。

 「あんたら…もしかして…」

 俺がそう言いかけると、彼らは俺に向かって一礼を残して消えた。つまりは、こいつを宜しく頼む、って事だろうか…?多分、間違いなく彼らは…アリアの大切な人達だろうから。

 「……ともかく、戻らないとな…」

 彼らが現れた意味を考えるのは、その後にしよう。…そう、俺は思った。今はただ、凍えかけたアリアの状態の方が心配だった。





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