1.
あなたの涙が 止まるまで 罪悪感に濡れるあなたを 包み込んでいよう 優しいその魂を 守りたいから いつか 雨が止んで 虹に変わるまで… ― Tune the rainbow ― ここは、一体どこだったろう…?目覚めて、アリアがまず思ったのはそんな事だった。辺りを見回してみても、まるで霞みがかったようによく見えない。意識ははっきりしているというのに、視力だけが回復していないようだった。 そこまで考えて、ようやく自分が何故、ここで眠っていたのかを何となく思い出してくる。そうだ、森の中で魔物と戦い続けて、限界が近づいた頃、普通より強くて大きいキメラに襲われて…そして…何だったろうか……? 「……ナッシュ?」 彼は、どこにいるのだろう…?そう思い、身を起こそうとして、急に身体中を走る痛みに襲われた。 「…っく…っっ!」 強い痛みは、右肩と左の脇腹の辺りから拡がっているようだった。その上、まるで毒でも食らった後のように、ひどく全身が重い。 「…ああ、そうか…」 そこまで確認して、やっと一時的な記憶の混乱で忘れていた事を思い出す。あの時、キメラに襲われ、倒れて…目を覚ますと、ナッシュがあの魔剣を振るっていた。殺意と憎しみに溢れた、どこか光を失った瞳で…キメラはもうとっくの昔に息絶え、その形すら失いつつあるような、ただの血と肉の塊に成り果てていたというのに…。返り血を浴びて、冷たい目で魔獣の残骸を斬り続けるナッシュを見て、アリアは身体が震えるような戦慄に襲われた。 …彼が彼で無くなってしまう…。 そんな恐ろしさにかられるように、彼を止めようとただ夢中で、駆け寄りながら叫んでいた。 『…ナッシュ!もういい…っ!!』 次の瞬間、何が自分の身に起こったのか…理解する事が出来なかった。自分が、ナッシュの両手の剣に貫かれ、切り裂かれている…そんな事がある筈ないと…そう思いたかった。けれど、我に返った時、その痛みと強力な毒で力が失われ、倒れそうになっていた…。 「…そうだ…僕は、ナッシュに……」 思い出して、痛くなった。治りきらない身体の痛みだけでなく、心も。けれど、今はきっと…自分よりもナッシュの方がもっと痛いだろう…そう思った。アリアが強力な毒で意識を失う前、泣いていた彼は…一体、どこにいるのだろう…。ぼんやりとしか見えない目で、もう一度周囲を見回してみる。 「……どこへ、行ったんだ?」 一度目を閉じ、開くと今度はソウルイーターに与えられた、魂を『視る』目で辺りを見つめる。 「…外…?」 ナッシュの気配の痕は、外へと向かっていた。その気配を追うように、ゆっくりとベッドから立ち上がると、そっと部屋を出る。辺りには何の気配もなく、外から聞こえる小さな音で、小雨が降っている事に気付いた。アリアはそのままナッシュを追って、静かに宿の外へと足を踏み出す。 「雨が、降っているというのに…一体、どこへ…?」 感じ取るのは、のんびりとした村の空気と、そこに住むコボルト達の気配だけ。雨が降っているから、彼らは家の中で過ごしているようだ。…なら、ここから出ても何も言われないだろう。親切な彼らに心の中で謝りつつ、彼はナッシュの気配を辿って外へと歩き始めた。武器も持たずに、今の状態で歩き回るのは危険だとわかってはいたが、どうしても…このまま彼が居なくなってしまうのではないか、という不安で、彼の帰りを待つ事など出来そうになかった…。 そうしてしばらく歩いていくと、不意に身体を貫くような鋭い痛みに、アリアは耐え切れず立ち止まる。 「…っっ…痛……」 痛みは、左脇腹辺り…斬られた傷痕から生じていた。浴衣の前を少し開けて、じっと目を凝らせば、じわりと包帯に滲む紅い色が見えた。浅い呼吸を繰り返しながら、近くにある樹に寄りかかり、呼吸を整えながら痛みがマシになるのをじっと待つ。傷も治りきらぬままに無理をしている為、傷口が開いてしまったらしい。引きつれるような痛みが、じわじわと身体を包んでいる。 「……ナッシュ…どこ…?」 身体が、ひどく重い。ただでさえ弱っている身体に雨を浴びて、体温を奪われて更に身体が弱っていくような気がした。…やっぱり、ちょっと、無謀だったかな…心に呟いて、アリアは僅かに苦笑を浮かべる。と…その時、そんなに離れていない場所から、ナッシュの気配を感じた。 「…ナッシュ…」 気力を振り絞って、彼の気配のする方へと足を向ける。おぼつかない足取りながらも、林を抜け、ようやくナッシュの気配のする場所へと辿り着いた。ぼんやりと見えるようになってきた目で周囲を見れば、そこは少しだけ小高い丘のようになっていて、緑に囲まれた周辺の森や、遠くパンヌ・ヤクタ城を望めるような場所だった。ナッシュはそこにある樹の下で、遠い目をして空を見つめていたが、ふと気配を感じたのかアリアの方を見て、驚いたように固まる。 「…こんなトコで…何を、しているんだ…?ナッシュ…」 「アリア、お前…どうして…」 そうしてアリアを見て呆然としていたが、その視線が傷口の開いた紅に染まった左脇腹に止まり、慌てたように傍に駆け寄ってくる。 「……!!そんな身体で、何出歩いてるんだ!!」 「目が、覚めたら…あなたが居なくて…不安になったんだ。…気にして、どこかへ行ってしまうような…そんな感じがして」 その言葉を聞き、目の前で何ともいえない…痛いような表情で立ち尽くしてしまったナッシュに手を伸ばし、そっと…しかしすぐに離れない位には強く抱きつく。 「何で…俺は、お前を…殺しかけたのに…どうして、怖れもなく近づけるんだ…」 「どうして、僕があなたを怖れると思うの?……僕が、怖れているのではなくて…あなたが、自分自身を、怖れているのではないのか?僕を殺してしまいそうになって…自分が恐ろしくなったんではないか?」 「違う…!俺は、自分を恐れてなんか…」 「なら、何故こんな所で、独りでいる。泣きながら…罪悪感に震えて…。今にも、僕の前から去りたいような心で。……僕は、気にしてなどいないのに」 間近で見上げたナッシュが、違うと言うように…そんな訳がないと言うように、首を振る。顔は、一時的に落ちた視力のせいで、ぼんやりとしかわからない。それでも、彼のその心が、哀しみと苦しみ、痛みで満ちているのがわかった。 「…ねぇ、ナッシュ…どうかお願いだから、そんな風に苦しまないで。…確かに、あの時のあなたを、怖いとは思った。あの剣の影響なのか、あなたはまるで変わってしまって、あなたではなくなってしまいそうだったから。けど、それを今に引きずったりはしない。あなたが認められない事でも、僕が認めて受け入れる…そう言っただろう?」 「…っ、お前が、そう言ってくれても、俺は…っ!自分を許せないっっ!!この手で、お前を殺しかけたんだぞ?!どうしてお前は、俺を許せるんだ!」 「……あなたが、望んで…僕を殺めようとしたのではないって、わかっているから」 そう言って、優しげにふわりと微笑んだアリアを、ナッシュは困惑した顔で見つめる。 「それでも……!」 「うん、そうだね…攻撃された時は、ほんの少しだけ、ショックだった。でも、あの時…あなたの方が、僕の何倍も何十倍も、痛かっただろう?きっと…僕よりもずっと…怖かった。あなたが自分を許せないのなら、僕が何度だって言うよ。あなたは、その事を気に病んで、許せないと思う必要などない、って」 そっと自分より背の高いナッシュを抱き締めて、静かに泣いていた彼の頬の涙を拭うように唇を寄せる。 「もう、苦しまないでいい。あなたが苦しいと…僕も苦しいよ…」 「すまん…アリア…っ…すまない…っっ!」 「いいよ…もう、いいから…。気の済むまで泣いて…そしてもう、罪悪感を消して…。あなたの涙が止まるまで、僕はこうしてその涙を拭うから…いつまでだって、抱き締めているから」 崩れ落ちるように、地に膝をついたナッシュを胸に抱き、アリアは静かに、優しい声でそう言い、その指と唇で、彼の瞳から止めどなく零れ落ちる涙をそっと拭う。 「例え、あなたが自分を嫌になっても…どんなあなただとしても、僕はあなたを愛し続ける。信じ続けて…裏切らない」 「…何で…どうしてそこまで、想ってくれるんだ…?そんな風に想ってもらえるほど、俺はお前に…想いを返せていないのに…」 ナッシュの言葉に、アリアはゆっくりと首を振る。 「あなたは僕に、光をくれて…この心を癒してくれている。それに何より、あなたは僕を叱ってくれる。本当の僕を、見てくれる。だから僕は、あなたに何をされようと…この想いを、あなたが欲するだけ与えたいと…そう思っているんだ」 強く、それでいて慈愛に満ちた微笑みを浮かべるアリアが、とても愛しく思えて、ナッシュは彼を抱く腕に力を込める。 「俺は…お前を殺しそうになったのに…それでも、傍に居ていいのか…?」 「僕と共に在れば、魂を喰らわれるかも知れない…それでも、僕が傍に居ていいと、そう言ってくれたあなたを…僕がこの程度の事で嫌がると思うのか?」 「…アリア…」 まるで深い海のような愛情…これが、アリアの愛し方なのか…そう思い、ナッシュは何とも言えない気持ちになった。今まで、人にそこまでの愛情をもらった事も、見た事もなかった。その全てをなげうってしまえるような想いは、アリアを壊してしまいそうな気がして、怖くなる。 守りたい…強くなりたい。偽りの強さなんかじゃなくて、真実の強さが欲しい。強く優しい、どこか儚く消えてしまいそうなアリアを守る為に…。今まで以上に、強く…本気でそう思った。 「…強くなって、お前を守りたい…」 「ナッシュ?」 「俺は…もうこの魔剣に頼らずに、強くなる。そうして、お前が傷付かないように…孤独にならないように…守りたいんだ」 驚いたように目を瞠るアリアを見つめ、自分の手で涙の残滓を拭うと、ナッシュは笑みを浮かべる。 「こうして、アリアに守って、癒してもらうばかりじゃなくて…俺だって守りたい。好きな奴に守ってもらってばっかりじゃ、情けないだろう」 呆けたような顔で、そう言った彼を見つめていたアリアの表情が、徐々に嬉しそうに綻んでいく。 「ナッシュ……」 嬉しげに微笑みながらも、今にも泣き出してしまいそうなその瞳を見て、ナッシュは思わずうろたえつつ、その頬に手を伸ばす。 |