2.




 「お、おい、俺泣かせちまうような事、言ったか?!」
 「……違う…嬉しいんだ…。あなたが、そう思ってくれたり、『好きな奴』なんて言ってくれた事が…ただただ、嬉しいんだ。そう思ったら、何だか胸がじんわりして…」

 そう言ったアリアは、不意に力が抜けたように、その場に膝をつきかける。

 「!!アリア?!」

 とっさに地に倒れそうになった彼を支えたナッシュに何とか微笑みを返し、小さい声で、ごめんと囁く。

 「…ちょっと…何だか、疲れてしまって……」

 そこでナッシュはようやく、アリアの状態を冷静に思い出す事が出来た。血相を変えて、バッとアリアの浴衣の前を開くと、目に飛び込んでくる血の滲んだ包帯の紅。いつの間にか、左脇腹だけでなく、右肩の傷も開いたらしい…ひどく痛々しい光景だった。

 「…っお前!これ、何だよ!!」
 「え、えーと…何でしょう…。み、見た目ほどには、痛くないよ。うん」

 気まずそうに目を泳がせるアリアを、憮然とした表情になりつつ、ナッシュは土が湿っていない樹の下まで連れて行き、一言。

 「…アリア…脱げ」
 「……はい?」
 「傷の処置がしにくいから、脱げって言ってるんだ。ほら」

 ぐい、とナッシュの手により脱がされかけて、慌てて情けない事にならないよう浴衣を押さえ、じわりと下がる。

 「ば、馬鹿言うな!着替えてこなかった僕も悪いが、コレしか着てないんだ!脱げと言われて脱げるか!!」
 「ここには俺しか居ないし…傷の手当ての方が優先事項だ…。この際、多少の恥ずかしさには目を瞑っておけ」
 「そ、そんな事、言われても…!」
 「女の子じゃないんだし、気にするな」

 そう言われると、そうなんだが…こんな所で脱げと言われりゃ、恥ずかしいだろう。そう思いつつ、諦めたようにアリアは浴衣をはだけ、治療しやすいように上だけ両腕を抜く。

 「…なるべく、早く頼む…」
 「言われなくても、そうするさ」

 その言葉通り、手早く血で汚れた包帯を外し、新しい包帯と薬を取り出して、再び傷に処置を施していく。そうして処置を終えた後、アリアの右肩と左脇腹の辺りを見つめ、ぽそりと呟く。

 「…やっぱり、傷痕は残っちまいそうだな…」
 「そうだね…魔法を使っても、深い傷は残ってしまうものだから…。でも、この傷は、僕にとってはいいものかも知れない」

 もう一度浴衣を正して、服の上から傷に触れてそう言ったアリアの言葉が思いもよらないもので、ナッシュは驚いて彼を見る。

 「いいものって…どうしてだ…?」
 「…こんな事言うと…嫌かも知れないけれど、この傷がずっと…ずっと残るのなら、いつかあなたがいない時が訪れても…きっと、いつまでもあなたを想う事が出来るから」

 別れを思わせる言葉に、ナッシュが何とも言えない顔をする。

 「別にね、すぐにどうという話ではないんだ。けれど…どれだけ想い合っていても、いつか絶対に別れは来る。こいつを…ソウルイーターを宿し続ける限り、僕はあなたと同じ時の流れに身を置く事は出来ないのだから」

 それに、もしも自分が、この紋章を抑えられない時は…別れは突然に…残酷に訪れる事になるかも知れない。昔、大切な人達を喪った時のように。そうアリアは思っていたが、口には出さなかった。

 「アリアは…いつも、そんな事を考えているのか…?」
 「いつもでは、ないけれど…この紋章を持つ以上、いつでも覚悟していなければならないから。僕はこのまま時を越えていくけれど、皆は…あなたは、変わっていくのだから」

 悟ったように微笑むその表情が、何だか切なくて…ナッシュはそっと彼の傷がある右肩に顔を寄せた。

 「…ナッシュ…どう、したの?」
 「こんな傷だけが、俺との絆だなんて…切ないだろう?こうして、今はここに…お前の傍に居るんだ。なのに、そんな顔をしないでくれ」

 いつでも置いていかれる事を…仲間や愛する者の老いや死を覚悟して、時の果てに遺されたモノと想い出だけをよすがに生きていくなんて…辛すぎる。そう思い、ナッシュは笑ってみせる。

 「年取って、よぼよぼのじいさんになった俺の事なんて、考えるなよ。まだまだ俺は、若々しくてフレッシュなんだからな」

 わざと軽い調子でそう言ってみると、アリアが一気に脱力したように、がくりと肩を落とす。

 「……ナッシュ〜…僕は、真面目な話をして…」
 「俺だって真面目だぞ?まだ若いってのに、俺が死んだりした後の事を言われてもな。…いずれ、必ずやってくるのなら…その時でもいいだろう」
 「…でも…」
 「いつか…お前が独りになったとしても、淋しくなんかならないように…そんな傷だけじゃなくて、もっと楽しい事や、嬉しい事を、記憶として残そう。この国を廻った後、またデュナンの方に行ってみてもいいし、南の方へ向かってもいい。あちこちを気の向くままに旅するってのもいいだろう。…そうして、その心に、沢山のものを遺そう。哀しみや、苦しさだけじゃない想い出をな」

 優しいその声に…その言葉に、アリアは嬉しさで泣きそうになって必死に堪え、俯く。そんな彼に木漏れ日のような微笑みを向け、ナッシュはその黒髪に指を絡めるように撫でる。

 「…ずっと、一緒に…お前の傍に居るよ。例え何かで…俺が、居なくなったとしても」
 「うん、有難う…そう言ってくれるだけでも、何だか少し、安心出来るよ…」

 顔を上げ、まるで子供のような表情でふわりと笑ったアリアを見て、何だか自分が言った台詞が妙に気恥ずかしくなって、誤魔化すようにナッシュは空を見上げる。と、そのまま驚いたような顔になり、空の一点を示した。

 「…!!アリア、虹だ!見えるか?!」

 ナッシュの弾んだ声に、アリアもまた空を見上げる。いつの間にか雨は上がり、少しずつ雲が切れ、澄んだ蒼を見せ始めたその空に浮かぶ、七色の光。その鮮やかな空の掛け橋は、未だ視力の回復しきらないアリアの目にも、しっかりと映った。

 「俺、あんなにくっきりしてる大きな虹、初めて見た!!」
 「…うん、僕も…」

 言いながら、アリアはそっと、自分の右手に宿るモノに触れる。そうして、静かに心の中で語りかけていた。
 ――僕は、幸せを感じても、いいの…?
 答えは当然ない。けれど、まるでそこにあるモノに喰われた人達が、そうだと言っているように、ふわりと心が温かくなった。

 「…やっと、見つけた…」

 心に降り続いていた永い雨が、ようやく今、虹に変わったような気がした。例えそれが、永い時を過ごす中の、ほんの束の間の事かも知れなくても。例え、止むを得ず、彼から離れて行く事になっても…いつか死が、二人を分かつのだとしても…この虹が、心を繋いでくれる。そう思う事が出来た。

 「どうしたんだ?アリア」

 その問いに首を振り、代わりに微笑む。

 「何でもないよ。…ただ、ここから見たこの空を…あの虹を、忘れられはしないだろう、って思ったんだ。きっと…何十、何百と年を過ごしても」
 「ああ、そうだな…俺も、きっと忘れられはしないよ」

 虹のかかる空を見上げながら、アリアはふとナッシュに触れていたくなって、彼の手にそっと自分の手を重ねる。

 「ナッシュ…少しでいいから、こうしていていいかな」

 そう言った声に、何かを感じたのか…ナッシュは頷いて、強くその手を握り返す。そうしてしばらくの間、虹が消えるまで黙ったまま空を仰ぎ…やがてナッシュが心配げに口を開いた。

 「ところで…あんな体調で、こんな所まで来たんだ…かなり辛いんじゃないか?そろそろ、宿に戻るか」
 「うん、そうだね…つい来てしまったけれど、黙って抜け出して来たんだ…コボルトの皆に気が付かれたら、心配させてしまうかも。…気付かないような気もするけど」

 アリアの言い様に、今度はナッシュががっくりと肩を落とす。

 「心配させると思うなら、そういう事するなよ……」
 「でも、あなたの心が傷付いたままなのは、嫌だったし…もし、その気持ちのまま、辛くていたたまれなくなって去ってしまったらと思ったら、いてもたってもいられなかったんだ」

 そんな風に言い、綺麗な笑顔で笑った彼を見て、ナッシュは照れくさそうに、繋いでいない方の手で、アリアの頭をくしゃりと乱暴に撫でる。

 「もう戻るぞ!…全く…照れくさい台詞を、さっきから惜しげもなく言ってくれるんだからな」
 「僕はただ、思ってる事を言っているだけだ。…ナッシュが照れやすいだけじゃないか?」
 「あのな……まぁ、いいけどな…。そう言うのが、悪い訳じゃないし…」

 苦笑を返し、気を遣いながらも、いつかのようにアリアの手を引き歩き出したナッシュの少し後ろから横顔を見上げ、心の中で静かに祈る。

 …どうか、この人の優しい手を、僕から奪っていかないでくれ…。

 切ない祈りは、どこへ向かうでもなく、ただ彼の心にだけ響き…誰が聞く事もなく、静寂の闇の中へと飲み込まれていった…。



忘れない この空にあった 鮮やかな虹を
あなたと過ごす この幸せを この時を
いつまでも いつまでも 僕はきっと 忘れはしない…

例え いつか また雨が この心に 降り注いだとしても


 はい、ナッシュ坊も早いもので、お題やらなんやらを除いても15話目になりました。我ながら、ホントに懲りないというか、何というか、自分で呆れるほどに続けてるなぁ、と。毎回、似たような事言ってるけども。テッド坊を求めて来る方もいるのだから、ちゃんとそっちも裏の方だけじゃなくて書けよ、とは思うのですが…。

 この連作を書いてる間、この話と、この前の話(涙雨)は、書きたいシーンだったんで、ようやく書けて、個人的にはホッとしました。初期の頃から書きたいと思っても、こいつらなかなかくっつかないし、立ち直らないしで、ネタがお蔵入りするかと思いました。つか、ようやくCPらしくなってきた人達ですが、一線を越えるまでどれだけかかるのかと思うと、ちょっと気が重い。…3時代なら、簡単に思い浮かぶんだけどなぁ。そんなこんなでじれったい奴らですが、読み続けてる方は、見守ってやってくださると嬉しいです。

 ちなみに題名は、某アニメの映画の曲だった、真綾さんの曲からですよ…。かなり好きな曲なんで、ついつい…。



←1へ

←戻る