5. 目を開けると、心配そうな表情をしているナッシュが目に入った。 「……ナッシュ…」 「大丈夫か?…ここは、あの近くの村だ。俺達が気を失った後、様子を見に来た村人達に助けられたらしい」 話を聞きながら身を起こそうとして、アリアは全身に走った痛みにうめく。 「って、おい!まだ無理するんじゃない!…お前、かなりひどい状態だったんだからな。全身傷だらけだし、痣だらけで毒にまで侵されてて…傷と毒のせいで、熱まで出てな…。本当に、あのまま死んじまうかと思ったよ…」 「…そう、か…。心配をかけてしまったようで…すまない。もう、平気」 そう言い、今度は気を付けてそっと身を起こす。そうしてふと自分の身体を見下ろし、唖然とする。一瞬驚いてしまう程、身体中あちこち包帯だらけだった。 「……僕、そんなに大怪我だったかな…」 「だから、そう言ってるじゃないか……」 呆れ顔で見てくるナッシュに苦笑を返し、左手の紋章に意識を集中して、発動させる。蒼い光がアリアの身体を包み込み、優しくその傷を癒していく。やがて光が消えた後、腕の包帯を解くと傷はほぼなくなっていた。 「そう言えば、あなたの方は?怪我、大丈夫…?」 アリアの問いに、彼は、ああ、と笑う。 「お前の治療が良かったらしくて、あの後の戦いの傷も含めて大した怪我じゃなかった。だから、俺の心配はしなくて大丈夫だ」 そう言って、ナッシュは表情を改める。それを見て、アリアもまた表情を引き締めた。 「…本当に、助かった。お前のおかげで、俺は死なずにすんだよ。有難うな」 「いいんだ。僕がそうしたいと思ったから、そうしただけ。…あなたには、二度も助けてもらったしね」 穏やかに微笑み、気にしていない風にあちこちの包帯を解いて傷の状態を確認しながら、アリアは言葉を続ける。 「…それに、礼を言いたいのはこちらの方なんだ」 「……??俺、何かしたか?」 怪訝そうなナッシュに、静かに頷く。 「あなたは、僕を叱って…この心に、大切なものを思い出させてくれた…」 「大切なもの…?」 「…そう。涙や、笑顔…心からの、素直な感情を。僕は、長い間…『僕』を見失っていたから。…あなたは、それを思い出させてくれたんだ」 …有難う。そう囁くような声で言ったその瞳から、はらはらと涙が零れた。 「…っ!お、おい…」 「ご、ごめん、なさい…。おかしいな…感情のコントロールが、上手くいかない…。何か、嬉しいと思っただけなのに…」 止まらぬ涙に、狼狽したように彼は目元を拭う。そんなアリアの頭にポン、と手を置き、ナッシュは彼と目線を合わせて優しく笑う。 「…いいさ。無理に抑え込むよりは、表に出した方が」 ナッシュの瞳を見上げ、不安げな色を浮かべる金の瞳が、本当に感情を出してもいいのか、と問うように揺れる。それがやけに胸をついて…何だか、ナッシュの方が泣きたくなった。 「気にしなくたって、いいんだよ。泣いたって、笑ったって、怒ったって。…少なくとも、俺はお前を英雄とも、リーダーとも思っていない。真の紋章の力を偶然手にしてしまっただけで、強い力を持ってしまっただけの普通の人間だと思ってるんだからさ」 「……ナッシュ…」 そんな事を言われたのは初めてだ、とでも言うような驚いた顔で、アリアはただ、無意識のように名を呟く。 「…お前は、死に神でも英雄でも何でもない。…子供でいられる時間が少なすぎて、深く傷付いて…それでも必死に耐えてきた子供だ。泣くべき時に泣くのを許されずに、叱ってくれる人さえ喪って、孤独に震えていた…そんな子供なんだ…」 アリアは、ナッシュの言葉を認めるでも否定するでもなく、静かに聞いていたが、やがてそっと目を伏せる。その表情は、不思議と安らいでいるように見えた。そうしてしばらくの沈黙の後に、ふと口を開いた。 「……ナッシュ」 「何だ?」 名を呼んでみたものの、何も言葉を用意していなかったのか、彼はちょっと困ったように考えこんで…結局、 「…本当に…有難う」 と、それだけを口にした。 「お前、何か…礼と謝罪ばっかり言ってるな」 思わず苦笑を浮かべるナッシュに、アリアも困ったような笑みを返す。 「何と言うか…それが、一番近い気持ちだったし…。ここで謝るのも、何か違うと思ったから…」 「…確かに、謝られても困っちまうかな」 互いの言葉に少し笑い合った後…ふとアリアが窓の外に目を向けた。 「……雨、止んだみたいだね…」 「ん?ああ……本当だ」 見れば、しとしとと降り続いていた絡み付くような雨は上がり、夜明けの光が雲を切り払うように、地上へと淡い光を届けていた。 「もう、朝だったのか…。何だか、倒れると…時間感覚がなくなってしまうね」 アリアはそう言って笑い、そのまま黙って明けの空を見つめる。そうして視線を、心を、窓の向こうへと解き放ったまま、ぽそりと呟く。 「…どんな雨も、いつかは止むのなら…あの時からずっと、この心に降り注ぐ雨も…いつか上がって、虹となるのだろうか…」 「アリア…?」 何故か、近くに居るのに、不意に遠くなった気がして、遠い空を見つめ続ける彼の名を呼んでみる。するとアリアは、不思議と透き通ったような綺麗な微笑みを浮かべ、ナッシュに視線を戻すと静かに口を開いた。 「…ナッシュ。頼みが…あるんだ」 「頼み?」 「……出来れば…あなたの旅に、同行させてもらいたい…」 穏やかに響いた声に…その言葉に、思わずナッシュは驚いて、続く言葉を待つ。 「…あなたに、言われて気付いた。…僕の、弱さに…。今まで僕は、他人から…自分の心から…そして、この紋章から逃げて、見ないフリをして、誤魔化していた。…何も見えないように目を閉じていたって、自分を囲むこの世界がなくなる訳じゃ、ないのに」 微笑みを浮かべたまま、彼はそっと自分の右手を撫でる。 「僕は、もっと…強く在りたい。その為には、自分の心と…この紋章と、向き合わなければ。人の中で暮らす事に怯えて、逃げ続けていては、僕はいつまでもこの紋章を抑え切れない。…そんな気がするんだ」 「…元から一緒に行くつもりだったし、俺は別に構わんのだが…そんな頼み込む程の事か?」 「僕と一緒にいたら…こいつに喰われるかも知れない。…それでも…いいのか…?」 アリアの真っ直ぐな瞳を見つめ、ナッシュは少し考えてから言葉を紡ぐ。 「そうだな…。魂を喰われるかも、とか、死ぬかも知れないとかそんな風に言われて、で、それでいいのか、と訊かれたら…まぁ、嫌だけどなぁ」 「……じゃあ…」 落胆しかけるアリアに、彼はふ…と笑顔を見せる。 「…でも、別に、死ぬ為に一緒に行こうって訳じゃないし、俺はそんなモンのせいで死ぬ気もない。それについでに言えば、その呪いとやらにビビって逃げ出す程には生憎と神経細くないんでな。…お前さえいいなら、一緒に行こう。その方が、俺もお前の力をアテに出来て助かる」 「……ナッシュ…その…」 すまなそうな表情で言いかける言葉を遮り、ナッシュはポンポン、と彼の頭を軽く撫で、口を挟む。 「ごめんね、も、すまない、も…もう聞き飽きたからな」 その言葉にアリアは一瞬だけポカンとした間の抜けた顔になり…その後、ただ嬉しそうに笑った。そこには、憂いや哀しみの欠片もなく、晴れ渡った空のような明るい笑顔だけがあった。 * * * * * * * 二日後、その名もない小さな村から、回復した彼らは二人旅立った。その頭上に広がる空にはもう、雨の色は微塵もなく、ようやく長かった雨は上がり、雲一つない晴れ渡った青空に変わっていた。 そのあまりの綺麗さに、目を奪われたように空を見上げ…二つになった影は一度だけ足を止めた。ただどこまでもどこまでも深く、果てしなく続く遠い空の下…自分の存在を確認するように。やがて、どちらともなく再び歩き始めた。 雨を越え、あの空の果てへと向かって…。 長い雨は 静かに上がり 心の空は 穏やかに 綺麗に 澄み渡る いつかは この空にかかるだろう 虹を 今は 探しに行こう… |
ナッシュ坊第4弾。…頑張って書いても…いや、まあもういいや。何だか既に、端から見たらべたべたしている気がする人達ですが。将来が心配です。じゃなくて、何で君達はそう抱きついたりなんかしてんのさ。と、自分でツッコミ入れる位、妙な人達ですね。 それにしても、私の書くモノは、雨や夜ばっかりだ…。まともな天気の、まともな昼を舞台には出来んのか、自分よ。と思いながらも、これもやっぱり雨だったり、夜だったりなのでした。薄暗いシリアスだと、どうしてもそれらの方が書きやすいのです…。 ちなみに、『零雨』というのは、小雨…静かに降る雨の事らしいです。 |