4. …嫌な気配がする。何かが、重くずるっ…と身体を引き摺るようにして、近づいてくる。 ハッと目を覚まし、アリアは身を起こす。同じように、何かに気付いたのか、ナッシュも厳しい表情で起きた所だった。二人は一度顔を見合わせ、立ち上がる。 まるで、その瞬間を狙ったかのように、洞穴の天井を壊し、何かが入ってこようとした。 「…逃げろっっ!!」 そう叫んだのは、どちらだったか…考える間もなく、二人は崩れ始めたそこから脱出する。しかし、飛び出した外は、一体どこからそんなに集まったのかと思うほど、魔物が山のように集い、とてもそれ以上逃げられる状況ではなかった。 「な…っ、何でこんなにいるんだよ?!」 「……アレが、居るからじゃないかな…」 静かにアリアが示したのは、崩れた洞穴から出てきた、大きな何か…。 「…嘘だろ…ドラゴンゾンビとは、また……」 ナッシュが呟くまでもなく、腐りかけた小山のような身体をこちらに向け、雄叫びを上げるそれは、まさしくドラゴンゾンビだった。 「…少々、マズイね…。まさか、あんなのまで居るとは、思わなかった。こんな所で、終わりたくはないんだけどな」 ナッシュと背中合わせに立ち、アリアはそう呟く。しかしその瞳に諦めはなく冷静で、ドラゴンゾンビを鋭く見据え、いつでも攻撃できるように棍を構えている。 「同感だ。あんなのに喰われて終わる、なんて一生は、ごめんだぜ」 そう言いながら背中の剣に手を伸ばしかけ、一度首を振って、普通の剣を構える。 「……背中の剣は使わない方がいいよ。自分で決めた誓いは、破らないに越した事はない」 ナッシュの心を読んだのか、アリアの静かな声がそうクギをさす。 「使い切れないものは、本当は…使わない方がいいからね…」 それは、彼が自身の右手に宿すモノの事も含めて言っているようだった。その言葉に頷いたものの、この窮地をどうすればいいのだろうか。 「ああ、わかっているさ。けど…どうする。この状況を切り抜けるのは、結構大変な気がするけどな」 「魔物が集った原因が、あのデカブツにあるなら、アレを倒せばいい。あなたには、集まった魔物を頼む。…あっちは、僕が何とかする」 アリアはそう言い残し、小山のような相手に向かい走りだした。そんな無茶な、と思ったが、じりじりと包囲を狭める魔物達を見て、ナッシュもまた覚悟を決め、両手に剣を構える。 「…やれやれ、どうやらやるしかなさそうだ。そう簡単に、お前らの朝飯になってやる訳にいかないんでな…。諦めて、帰って欲しいもんだが、いかにもやる気満々だしなぁ」 軽さを装った口調で言いながら、彼も魔物の群れへと向き直った。 一方アリアは、ドラゴンゾンビを相手に、苦戦を強いられていた。それはそうだろう。何せ相手は、彼の何十倍以上もの大きさなのだから。 「……ちょっと、無謀だったかな…」 巨大な尾の一振りをかわし、踏み潰そうとする足を避ける。そうして攻撃後の隙を狙い、その巨体に棍を振るうが、果たして効いているのかどうか。…しかも、こちらは一撃でも当たったら即死…良くても瀕死だろう。 「大きいから、的は当てやすいんだけど、なっ!」 地を蹴り、自分の身体よりも遥かに大きい顔…その眉間に突きを入れる。さすがに少しは効き目があったのか、濁ったような咆哮を上げ、暴れ出した頭に吹っ飛ばされた。 慌てて身を反転させ、着地しようとしたその時、ドラゴンゾンビの巨大な口がカッと開き、溜めていた息を一気に吐き出した。 「……っっ?!ぐ…っ、ぅ…!」 瘴気そのものを吐き出したようなそれは、アリアの全身に絡みつき覆いつくし、呼吸と共にその内側へと入り込んで、内臓を焼くような痛みに動けなくなる程の、猛毒の霧だった。 「…炎、でも…吐くのかと…思ったら…やってくれる……」 地に膝をつきかけ、棍で身を支え何とか立ち上がる。身体が重い…毒を思いっきり吸い込んでしまったようだった。激しく咳き込みながら、ちらりとナッシュの方に視線を向ける。あちらもまた、大量の魔物を相手に奮闘しているが、恐らくそう長くはもたないだろう。 「早い所…何とか、しなければ…」 呟き、アリアは右手に目をやる。こいつでは、多分最上級の魔法であっても、闇に耐性を持つこの魔物相手にそこまで強い効果は出ないだろうが…。 「ともかく、やってみるしか…ないか…」 道具袋に入っている札の事も思い出し、残っている強い札を全て取り出す。そうして再び巨大な口が開かれた瞬間に、その場から飛び退き、何とか毒霧をかわすと「おどる火炎の札」を発動させた。激しい炎が舞うようにドラゴンゾンビの周囲に走り、辺りを焼き払っていく。 「…さすがに、ゾンビには炎が良く効くようだね」 苦悶の声を上げるのを見て、ホッとしたように呟き、更に同じ札を使いその膨大な体力を少しずつ削っていく。そうして頃合を見計らって、その右手を掲げた。 「…我が前に立ち塞がりし、愚かなる者に裁きを」 静かな命令に右手の紋章が輝き、その巨体の足元に魔法陣が拡がっていく。同時に死に神が周囲を取り囲み、刃を振り下ろすと魔法陣からも閃光が立ち上り、捕らえた獲物を貫いた。 しかし、思ったよりは効いたものの、やはり倒せる程のものではなかった。意を決したようにアリアは、懐から一枚の札を取り出す。 「仕方ない…頼むから、これで…」 呟いて札を見つめると、呼吸を整え、精神を集中させる。その後、札を右手にしっかりと持ったまま、真っ直ぐにドラゴンゾンビへ向かって走り出す。と、またも巨大な顎が開かれたが、アリアは構わず前進していく。驚いたようなナッシュの声が追ってくると同時に、アリアに向かって毒霧が吐き出された。 「……っく…」 身体を内側から壊していくような苦しさに顔を歪めながらも、力を振り絞るように足に力を込め、地を蹴った。その動きにつられて、吐き出す息を止め、ドラゴンゾンビはアリアを食らおうとする。…その瞬間を、見逃さなかった。 「これでも、食らえ…っ!」 ヒュッ、と腕を振り、手にした札を巨大な口に放り込むと、左手に隠し持っていた短剣をその口内に突き刺し、そこから逃れ出る。しかし、怒り狂ったように暴れ出した巨体の破れかかった翼に打ちのめされ、アリアは地に叩きつけられた。 一瞬、意識が薄れかかる。霞みがかかったような視界の中で、ゆっくりと小山のようなモノが近づいてくるのが見えた。 ……踏み潰される…。 そう思った次の瞬間、白い閃光がドラゴンゾンビの巨体から迸った。浄化の光はぐんぐんと強さを増し、巨大な身体を貫き、包み込んで更に拡大していく。それは辺りをも照らし出し、霧を払い、ナッシュの周囲を取り囲んでいた魔物の群れすら巻き込んでいった。 「…何とか…上手く、いった…みたいだ…」 白い光が消えた後、アリアは辺りを見回しそう呟く。周囲からは、先程までの邪気も魔物の気配も、完全に消えていた。それを確認してから、何とか身を起こしていると、ナッシュが駆け寄って来る所だった。 「一体、何をやったんだ?」 「……破魔の札を、使ったんだ…。お守り代わりに家から持って来た、貴重な一枚だったんだけど…こういう事態じゃ、仕方ない…」 溜息をついて、苦笑を浮かべたまま、ナッシュを見る。彼もまたアリアを見て、何とも言えない表情をした。 「…お互いに、傷だらけだね…」 「まぁ、あれで生きてただけ、マシな方だろう…」 互いの言葉に、思わず苦笑する。 「そうだね…。でも、ただでさえ魔法力回復しきってなかったのに…使ったから…また、魔法が打ち止めだ」 「あーあ…。俺、お前の魔法、ちょっとアテにしてたんだがなぁ…」 溜息混じりにそう言って、ナッシュはアリアの隣に、疲れたように寝転んでしまう。 「…ナッシュ、魔物がもし来たら、どうするんだ…?」 「大丈夫だろう…もう、気配もないしな」 はぁ、と一度大きく溜息をつき、アリアもまた彼にならう。…疲れ果てた上に、猛毒を食らった身体は、精神力だけでは、もう思い通りに動いてはくれなそうだった。 「……村の人達が、異変に気付いて…来てくれるといいんだけど…」 呟くように言った言葉に、返事はない。 「…ナッシュ…?」 問いかけて顔をそちらに向けると、彼は既に寝入ってしまっているようだった。 「今…魔物が、来たら…おしまいだな…」 そう言うアリア自身もまた、もう意識を保っているのは難しく、かなり限界に近かった。全身から力が抜け、遠くなる意識の中で、大勢の人の気配を感じながら、アリアはゆっくりと目を閉じた。 |