聖なる夜に この想いの 名前を知った この静けさに 響きそうな程 揺らぎ 逆巻く 心の波の正体を それがもたらすものが 癒しなのか それとも 更なる哀しみなのか …今の僕には 知る術すらない ― 静夜 ― 心に不思議な波が襲ってくるようになって、僕は久し振りに自分の家へと手紙を送った。クレオに余計な心配をかけたくはなかったのだけど…自分にはさっぱり理解出来ない事だったから、どうしても彼女を頼らざるをえなかった。 しかし、今の状態や、その状況を自覚した時期、自分を取り巻く近況などをなるべく詳しく書いて出したその手紙の返事は…少し、首を傾げてしまいたくなるものだった。 「…どうした?何か、悪い事でも書いてあったのか?」 難しい表情をして手紙を読んでいた僕の後ろから声がかかる。振り向けば、装備の手入れをしていたナッシュが、手元を覗き込んでくる所だった。 「い、いや…悪い、と決め付けるような事は、書いてなかったのだけど…僕やあなたと話したいから、出来ればグレッグミンスターまで来てはくれないか、って…」 「へ?お前はともかく、俺とも…?」 近すぎるナッシュとの距離に、僕は相手が気付かない程度にそっと身を離し、詳しい内容を見せる為、彼の手に手紙を預けて、溜息をついてしまう。 「…何だろう…そんなに、僕の身体、どこか悪いのかな…」 「うーん…何とも言えんが、少なくともこの手紙を読んだ限りじゃ、お前の事を心配して、ただ会いたいだけに見えるがなぁ。…この人、お前の家族なんだろう?」 「うん。…僕の、姉代わりのような人。僕に、残されたものの一つ」 僕の言葉になるほど、と頷いた彼は、この手に手紙を返すと、僕の瞳を覗き込むようにしながら問いかける。 「…それで、どうするんだ?」 「うん…とにかく僕は、行ってみようと思うんだ。万が一の事があるとしても、あの国には、神医と呼ばれるリュウカン殿も居るし…それに、正直に言えば、久し振りに帰ってみたいとも思うし…」 あなたはどうする?とナッシュを見上げると、彼は少し考えた後、優しい笑みを浮かべた。 「そうだな…。俺も行くよ。話したいって言ってるんだし…それに俺、トランって話に聞くだけで、まだ行った事ないしな。一度行ってみるのも悪くない」 「そうか…すまない。付き合せてしまったみたいで…」 俯きかけた僕の頭にポンと手を置き、彼は気にするなとでも言うように頭を撫でてくれる。 「…さぁ、そうと決まったら、準備してもう休もうぜ?これからトランまでは、野宿になるだろうからな」 そう言ってくれたナッシュの優しさが嬉しくて、申し訳なくて…僕はただ、曖昧に微笑んでみせるしかなかった。 * * * * * * * 彼の言葉通り、その後しばらくは野宿をしつつ、グレッグミンスターを目指す事となった。幸いだったのは、手紙を受け取った場所が、トランからそこまで遠くない場所だった為に、何とか一週間もせずにトラン領内に入る事が出来た事だった。 「へぇ…この辺りにも、雪は降るんだな…」 「ここよりもっと南だったら、降らないかも知れないが、冬はこの国にも雪が降るよ。まぁ、多分あなたの国には負けるとは思うけれど」 降り始めた雪をちらりと眺め、僕は思わず溜息をついた。朝から降り始めたという事は、結構積もるかも知れない。…今日中に、着けるだろうか? 「…山越えで雪だなんて…参ったね。出来れば、今日中には着きたいと思っていたんだけど」 「…?何で今日にこだわるんだ?」 理由を言ったら笑われるだろうか?今日という日を、大切な人達と過ごしたかったから、なんて。だから僕はあえて、理由は言わずに、一言だけ返した。 「…今日は、聖夜だから…」 僕の言葉に、ナッシュは納得して…ようやく今思い出したような表情をする。ハルモニア人である彼が、それを忘れていた事を、僕は少し意外に思った。 「忘れてたんだ…?」 「ああ、色々あったし…一人旅だと、あまりそういうのって、気にしないからな」 「……そうだね。僕も、一人の時は…気にしないようにしてたかな。思い出がありすぎて、ちょっと…辛くなってしまうから」 そう言った僕は、もしかしたら、すごく淋しそうな顔をしてしまっていたのだろうか。少しだけ心配そうな表情をして、ナッシュが優しく僕の肩に触れたから。 「そんな顔、するなよ。今は、独りじゃないだろう?」 「…ナッシュ…」 …その優しい声と、微笑みに…僕の心の中で、波が揺れた。僕にはもう、この波が何なのか、わかる気はしていたけれど…今はただ、気付かなかったフリをして、彼に笑みを返す。 「…そうだね。有難う…ナッシュ」 きっと、クレオに会えば、この気持ちの名を知る事になる。その時…僕は彼から、離れて行く事になるのかも知れない…そう、心のどこかで考えていた…。 ようやくグレッグミンスターに着いた時には、もう夕方近くになっていた。何とか、雪が深く降り積もる前には、着く事が出来た…と、二人でホッとして、僕達は家へと向かった。彼にとっては初めての…僕にとっては久し振りの、僕の家へ。 「…帰ってきたよ。ただいま…クレオ」 「……っっ!!坊ちゃん…!」 出迎えたクレオは、僕の顔を見るなり、信じられないモノでも見るかのように固まってしまった。そんな彼女に苦笑を向け、その心が少し落ち着いた頃に、後ろに立つナッシュを紹介する。 「で、こちらが手紙で書いた、僕と行動を共にしてくれているナッシュさん」 戸惑うようにしながら挨拶をするナッシュを、クレオは妙に鋭い目で…品定めでもするように見た後、頭を下げる。 「どうも、アリア様がお世話になったそうで…。私は、アリア様の留守中、この家を任されているクレオと申します。このような雪の中、お二人ともよく来てくださいました」 「いいよ、堅苦しい挨拶は。それより、どうせなら中に入れて欲しいなぁ」 軽くそう言ってみると、クレオはうっかりしていた、という顔をした。 「あ…申し訳ありません。私とした事が…どうぞ、お入りください。坊ちゃん、お茶はお部屋にお持ちすれば宜しいですか?」 「うん。すまないが、宜しく頼むよ」 彼女が一礼して台所へと消えると、僕はナッシュを伴って二階に上る。家は変わる事なく、綺麗に掃除してあり、入った僕の部屋も…あの頃と同じように、しっかり整えられていた。…懐かしく、哀しくなる位に。 「…ここが、僕の部屋だ。…面白くも何ともない部屋ですまないのだけど…ここで少しの間、適当に過ごしていてくれないか…?」 「適当に…って、お前は…?」 「僕は、夕食を作ってくるよ。いきなり来ておいて、クレオにそこまでさせる訳にいかないし。…それに、何かしてないと、落ち着かなくて」 それは本当の事ではあったけれど、口実でもあった。自分の心と向き合う時間が欲しかったし、何よりクレオに訊きたい事があったから。 すまないと思いながらも部屋を出て、台所へ向かう途中、丁度クレオが紅茶を乗せた盆を持って上がってくる所だった。 「坊ちゃん、どうなさいました?客人の傍にいらっしゃらなくていいのですか?お食事やお部屋の用意なら、私が…」 「いや…うん…。僕が作りたい気分だから…。でも、出来れば、手伝ってもらえないかな…?」 歯切れの悪い言葉に、何かを察してくれたのか、彼女は安心させるように微笑む。 「……。わかりました。今これを、部屋へ置いてまいりますので、先に台所へ行っておいてください」 そう言い残して二階へと上がっていく後姿を見送った後、自分はそんなにも情けない顔をしていたんだろうか、と僕は思わず自分の顔に手をやる。もちろん、そんな事をしてもわかる筈もないのだけど。 気を取り直して台所に向かい、夕食の準備をしていると、少ししてクレオが戻ってきた。 「お待たせしました、坊ちゃん。何か手伝える事はございますか?」 「えーと…実は、手伝いよりも…その、話…したいと思って」 やっぱりどうにも歯切れの悪い僕に、クレオは先制攻撃を仕掛けるように、静かに問いかけてきた。 「……それは、あの手紙に書いてあった、理由のわからないという心の揺らぎや、物思いについて、ですか?…坊ちゃんはもう、お気づきなのではないですか?その、理由を」 だから話したいのでは?と、彼女は静かな声で、僕の心に切り込んでくる。 「……。わかる、気はする。しかし…そう簡単に、認める訳にもいかない感情だ…」 |