■楽園■
来る筈のない 夜明けを待ち続けて いつしか この心は 病んでいった 先の見えぬ 闇の中 彷徨い続け ただ 届く筈もない 祈りを… 僕の望みは ただ君だけ 君だけをただ 求め続けている… ― 1章・望み ― 苦しかったあの解放戦争が終わり、その戦争にて解放軍を率いたリーダー、アリア・マクドールは最後の戦いの後、手紙と瞬きの手鏡だけを彼の部屋に残して、ひっそりと姿を消した。彼が居なくなった理由はその手紙には書かれておらず、ただ国の行く末を案じる言葉と、謝罪の言葉、これより後は誰に任せるか、などが書いてあるだけだった。それは確かにリーダーであった彼の最後の「仕事」だったが、身近にあった筈の人々にすら、自分の事を知らせない…何とも淋しい手紙に見えた。 それから、半年…大切な人を喪い続けた彼の心は、戦いを終わらせた後も少しも癒える事はなく、孤独で…旅に出た後にも日に日にその心は弱り、静かに壊れていくようだった。 「…あんた、大丈夫かい?顔色、随分と悪いようだけど…」 「え…そうですか…?」 道具を補給する為、ふと立ち寄った小さい町の宿で一泊し、そこを発つ時にその宿の女将にそんな事を言われた。アリアはただ、その言葉に穏やかな笑みを返してみせる。 「食事も、あまり食べてなかったようだし…具合でも悪いのじゃないかい?」 「…大丈夫です。心配にはおよびません。…ただ少し、食欲がなかっただけですから…。世話になりました。」 「そうかい?…じゃあ、気を付けて行くんだよ?あんまり無理せず、体調が悪かったら戻っておいで。一人旅なら、無理は禁物だからね。」 「はい、有難うございました。…この先で、友達と…合流する予定だから…大丈夫です。」 何とか笑顔でそう言って、逃げるように宿から…小さな町から出る。今は親切な人の優しさすら苦痛で、煩わしいと思ってしまう。けれど、無下にも出来ずに、そんな嘘をついて、笑顔を見せる自分に、嫌気がした。 「……自分の顔色なんて、よくわかっている…」 心が生きていたくないと思ってしまうから、身体も生きる事を放棄しようとしている。あの時から…テッドを喪ってから、優しい夢という眠りすら、訪れてはくれない。 「…情けない…」 今はただ、テッドに託されたこの紋章を守る為に、ただそれだけの為に、何とか生きているようなものだった。…それが、彼との約束だったから。 「……情けないよ…きっと、君の方がずっと辛かった…。きっと、皆の方が、苦しかった…」 そっと右手に宿る紋章に触れ、祈るように目を伏せる。 「なのに、僕は…いつまでも立ち止まって…まるで、自分だけが苦しいような顔をして…前を向けないでいるんだ…。」 歩き出せない…顔が上げられない。遺された想いが重すぎて、弱い心は今にも押しつぶされてしまいそうだ。絶望だけが、この胸にあって、光が見えない。望むのは、ただ… 「…どうか、返して…。皆を…僕の大切な人達を、ここに戻して…」 ずっと、祈り続けていた…叶う筈のない願い。一度唇から零れてしまった願いは、止める事も出来ず、ただ溢れ出す。 「こんな事…望んでいた訳じゃない…力なんて、要らないから…。皆を返して…テッドを、返して…。」 テッドの深い想いを知ったのは、彼が死んだ後だった。彼の魂を紋章が奪って…彼の、怖くなる位深いふかい愛情を知った。それを知って初めて、アリアは自分自身の想いも知る事となった。…全ては、遅すぎた。想いを伝え合う事さえ、もう…許されないのか。 「……ねぇ、テッド…僕はもっと、君と一緒に居たかったんだよ…。いつか話してくれた、遠い国へ…一緒に旅してみたかった…。世界の果てを、君と見てみたかったんだ…。テッドと一緒なら、僕はきっと、どこまでも行けそうな気がしてた。…けど、君は…」 僕を置いて、逝ってしまった…。こんな事を、今更言っても仕方ないのはわかっている。けれど、こうして何かを言っていなければ、今にも心が壊れてしまいそうな気がした。 「……テッド…僕は…僕も、君を……」 呟きかけて、ふと何かの視線を感じた。 「……え?」 とても良く知っているような気配がした。…そう思った時、不意に別の方向から殺気の塊が襲ってくる。先の気配とは違うモノ…魔物が横合いから不意打ちで飛びかかってきたのだ。 「うわ…っ!」 この辺りでは珍しい、白い毛並みをした虎の魔物。咄嗟に棍を使って喉を狙った一撃を避けたものの、続いてきた爪での攻撃は避けきれず、右腕を上げて目と首元とを庇う。 「…痛っ…」 ざっくりと腕の中ほどと手首の辺りを切られる。すぐに少し距離をとり、油断しないようにしつつちらりと傷を確認すれば、骨が見えそうな位の深手だった。傷の痛みと流れ出ていく血の量に一瞬顔をしかめたが、とりあえずは処置をしている暇などない。 「……油断したな……」 手がこれでは、両手で扱う棍は使えない。剣を持ってきた覚えもない…。紋章を使うなら、ある程度攻撃を受けるのは覚悟するしかないだろう。…仕方ない。そう思い、呪文を唱えようとした瞬間、いきなり右手の紋章が輝き、勝手に魔法を発動した。 「…え…えっ?!」 自分の意思によらぬ紋章の発動は初めてではなかった。戦争中にも何度かそんな事があり、その度に戸惑ったが…。これは、自分ではない誰かの…喰われた人達の、守ろうとする想いなのか…それともこの紋章の意志なのか。 「…どうして…」 最上級の魔法を受け、白い虎は形すら残さず、闇に消える。…最悪の事態ではなかったと思うのに、何故…?と、思わず右手を見つめて、唖然としてしまう。 「馬鹿っ!早く回復しろ!!」 突然隣から聞こえた声に、ゆっくりと視線を上げ…凍りつく。アリアの右腕をそっととり、傷の具合を診ていたのは、ここに…この世に居る筈のない人。自分が良く知る姿よりは、何故か少し成長していたけれど、見間違える筈もない…喪ったと思っていた、大切な親友。 「…テッ…」 もしも名前を呼んだら、消えてしまうかも知れない…。自分から触れたら、消えてしまう、幻かも知れない…そう思って、それ以上何も言えず、左の手を伸ばしかけて止まる。 「…夢…?それとも、僕…死んでいるの…?」 呆然と呟いたアリアの様子に、ようやく気付いたかのように彼は苦笑を浮かべる。 「ああ…そっか…。まぁ、話は後だ。」 そう言って、テッドは左手を未だ血を流し続ける傷口にかざす。 「…水の紋章よ…その力をもって癒せ。」 簡潔な呪文と共に、サァ…と水の雫にも似た光が傷に注がれ、みるみる血を止め、傷を塞いでいく。 「ま、こんなモンか。ちょっと、傷痕が残っちまったけど。」 「何で…?本当に…本物の、テッドなの…?」 「そ。夢でも幻でもなく、本当に本物の俺だよ。…何でかこっちに戻ってきたら、成長しててちょっと男前度が増してたけどな。…ああ、勿論お前が死んじまった訳でもないから、安心しろよ。」 「……で、でも…っ、だって…何で…?!君は…君はっ、あの時…っ!あの谷で…!!」 それ以上言う事が出来ず、泣きそうな瞳でテッドを見るアリアの頭に、ポン、と手を置く。 「……そうだ。俺は確かに、あの時一度死んだんだ。…俺は、魂のまま、その紋章の闇の中で、ずっとお前を見ている事しか出来なかった…」 「じゃあ…どうして…?」 「…別に、今も…多分『生きた人間』って訳じゃないんだと思う。どちらかと言えば、吸血鬼とかみたいな人外に近いんだろうさ。…でも、例え人外だろうが、死人だろうが…俺は、お前の傍に還りたかったんだ。」 アリアはただ、未だに信じられない、というように、じっとテッドを見つめていた。 「…俺が、怖いか?」 「……テッドが、テッドの心のままなら…例え君が何であっても…きっと、怖いとは思わない。君だから…怖くない。」 静かに、けれどはっきりとそう口にして、まるでそうしなければ消えてしまうと思っているかのように、テッドにしがみつく。 「…何になっても、構わない…必要なら、僕の血でも何でも、吸えばいい…。だから、もう…独りにしないで…もう、置いていかないでくれ…。」 囁くように言って、泣き出したアリアをそっと抱き締め、頷く。 「ああ。その為に…お前の孤独を癒す為に、俺はここに戻って来たんだ…。」 アリアの頬を伝う雫にそっと顔を寄せ、テッドは唇でそれを拭ってやる。 「て、テッド……?」 「…こうなったからには、もう…俺は自分の想いを偽らない。…言えなかったけどさ、ずっと俺は、お前を求めてたんだ。三百年前から、そうとは知らずにな。だから、こんな言葉じゃ、全然足りないけど…お前を、愛してる。」 はっきりと、目を合わせてそう言われ、アリアは一気に赤面してしまう。…いくら、一度彼の魂を奪った時に、その想いを知ったと言っても…その口から、面と向かって言われるのとは、やはり訳が違う。 「あ…えっと…でも、僕は、男で…暗いし、沢山の人を殺して…もう、昔とは違ってしまっていて…」 「お前が男なのは百も承知してるし、実は暗いってのも、人を殺してしまった事も…昔とは、少し変わってしまった事も、わかってる。」 「……僕の手は、血で穢れてしまっているよ……」 「ああ、けど俺はそれでもいい。お前のいい所も、悪い所も…綺麗な部分も、穢れてしまったと思っている部分も含めて、お前がいいんだ。お前の全部を、俺のモノにしたいんだ。」 「…テッド…」 怖い位の深い執着と愛情。そんな激しい想いを向けられて、見つめてくる瞳から一瞬逃げそうになり、何とか踏み止まる。…伝わる想いに、息が詰まって溺れてしまいそうだ…。 「…お前は、嫌か…?そんな感情をぶつけられても…やっぱり、困る、よな…。」 「ち、違うんだ!!そうじゃなくて…君の想いは、嬉しいし…応えたいと思ってる。けど…その、少し怖いんだ…。」 「……怖い?」 「上手く言えないけど…君の想いが深すぎて、僕の全部を捕らえて飲み込んで、どろどろに溶かしてしまいそうな気がする、って言うか…。そんな激しい想いに、僕は応えられるんだろうか、と思って…」 アリアの言葉を聞いて、テッドがふ…と笑みを見せる。 「まあ、それは間違いじゃないかもな。だって俺、お前を捕まえて、心も身体も全部暴いて、出来れば俺にメロメロになってもらって、永〜くかかったこの想いの全てをお前にぶつけてやりたいと思ってるし。」 あっさりと言われた言葉に、よく意味はわからないまでも、アリアは不安げな表情になる。 「……ええと…つまり…?」 「…やっぱ、意味伝わんねぇか…。つまり、さっさとめでたくお前と恋人同士になって、ゆくゆくはこう…何つーの…心も身体も一つにって言うか…。ああもう、ぼやかして言ってもわかんねぇか!お前と合意の上でえろい事もしたいっつってる訳よ、俺は!!」 「は…?!な…っ、何て事まで考えてるんだ…っ?!」 さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、テッドの一言でぶち壊しになり、ようやく理解したアリアは真っ赤になったままで、半ば呆れ顔になる。 「三百歳を越えたじーさんなら、もう少し節度をわきまえた、落ち着いた発言をしろ!!って言うか、直行か、その頭は!!」 「仕方ないだろ?!身体はピチピチなんだからさ!大体、ぼかした言い方で言っても、お前にゃ通じなかったんだから、はっきり言うしかねぇじゃんか!!」 「……力説するような事か…?全く…ぶち壊しだよ。」 はぁ、と深い溜息をついて、アリアはやれやれ、と首を振る。そんな彼に、テッドは身を乗り出すようにして、問いかけた。 「…で?お前、さっきの言葉に対しての返事は?」 「へ?……さっきのって…お、俺のモノに、したい…とか…そういうの…?」 「そうそう。…そういや、さっきの俺の、一世一代の告白に対しても、はっきりした返事、してねぇよなぁ?お前。」 じろりと半眼で睨みつけるように見つめてくるテッドの視線に、思わずぐっ、とたじろぐ。 「……そ、それは…」 「ふ〜ん、お前はそうやって、うやむやにしようとすんのか〜。俺、哀しいなぁ…折角こうやって戻ってきても、お前はそういう態度なのか〜。やっぱり、愛されてねぇのかなぁ…。」 「そ、そうじゃ、なくて……」 「じゃあ、はっきり言えよ。はい、どうぞ。」 何やら楽しそうな笑顔でそう言うテッドに、アリアはただ困りきって、視線を泳がせる。…返事がわかりきってるクセに、意地悪だとも思う。 「…だ、だから…」 「うん。」 「その…僕も、好きだし…あ、愛…してる…。ホントに…傍に居てくれて、嬉しい。…でも、あの…ご、合意の上で〜…とかは、もうちょっと、心の準備が、出来るまで…待って、欲しい。と、思う。」 しどろもどろにそう返し、テッドを見れば、よく出来ました、という顔で笑った。 |