■楽園■



俺の心の闇に どろどろと澱む感情
それは いつお前を 傷付けるかわからない獣

牙をむいて 爪をといで お前を狙う 黒いケモノ


― 二章・ケモノ ―



 結局俺達は、アリアが朝まで泊まっていた小さな町の宿にひとまず行って、休む事にした。宿の女将さんは、アリアの事を覚えていたらしく、笑顔で俺達を迎え入れると、あいつと気さくに話をしていた。

 「心配してたんだよ。あんた、ひどい顔色だったし…この辺にゃ時々人食い虎が出るって言うからね。あんたが倒れるか食われるかしちゃったんじゃないかと思ったけど、どうやら無事だったみたいだね。」
 「え、ええ…おかげ様で。友達にも、こうして無事に会う事が出来ましたし。…また、お世話になりたいのですが、部屋は空いていますか?」

 アリアは慣れた様子で女将と話し、部屋をとる。昔はそんな事さえ知らず、おろおろしてたってのに。何となく俺はあいつの変化に少し切なくなって、つい溜息をついた。アリアが変わらざるを得なかったのは、俺のせいでもあったから。
 そんな俺の気持ちに気付いたのか、先に立って部屋に歩き出そうとしたアリアが俺の方を怪訝そうに見る。

 「…テッド?どうかした?」
 「いやー…あの世間知らずのお坊ちゃんだったお前が、随分と成長したもんだよなぁ、と思ってさ。」
 「……まぁ、僕も色々苦労したから。」

 何とかそんな事を言ってみたが、すぐさまさらりと胸に痛い一言を返されてしまった。思わず言葉に詰まって何も言えなくなった俺を見て、アリアはそっと溜息をつき、俺に背を向けて部屋の入り口へと歩いて行ってしまう。
 …呆れられたのだろうか。ふとそんな怖れを抱きつつ、その背中を追って、アリアが消えた部屋へと足を踏み入れた。先に入った彼は、自分の持っていた荷物を下ろして、俺に背中を向けたままで…俺は、そっとその背に声をかけてみる。

 「……アリア。」

 振り向いたアリアの金の瞳は、再会した時のような弱々しさからは無縁で、前のような強さを取り戻していた。まるで魂の底まで見通せそうなその瞳にたじろいで、つい身を引きかけ…何とか思いとどまる。

 「また、何か苦しんでいるの?」

 問いかける静かな声は、俺を包み込むような優しさに満ちていた。

 「…いいんだよ、僕のほんの些細な言葉に、傷付く事なんて、ないんだ。僕は、テッドを苦しめようと思って、ずっと呼んでいた訳じゃないのだから。」
 「……お前が、変わらなきゃならなかったのは…俺のせいでもある。それが…辛くてさ。」

 俺の言葉に一瞬きょとんとした後、アリアは微苦笑を浮かべる。

 「僕が変わったのは、誰のせいでもなく、僕自身がそれを選び、行動した結果なんだ。…君は、僕の変化さえ受け入れてくれると…そう言っていただろう?」
 「お前が変わっちまった事は、受け入れられるさ。俺はただ…自分の罪深さが、許せないだけだ。」
 「…罪?一体何が罪だと言うの?…紋章を僕に渡した事が?それとも先に死んだ事?…そうして…生き返った事が…?」

 穏やかな声のままで問うように言い、彼はそっと溜息をつき、首を振る。

 「そんな事を、いつまで言っていても…互いに辛いだけだろう?僕は君を呼び続け、君は僕の元へ帰ってきてくれた。…僕には、それで充分なんだ。それだけで、幸せだから。」
 「…お前は、俺の薄汚さを知らない。俺には、お前とその紋章しかなかったから、何を犠牲にしてしまうとしても…守りたかったんだ。お前が、大切な人達を喪ったのは…俺のせいみたいなモンなんだよ…。」

 アリアが、痛いような表情で俺を見つめ、哀しげにもう一度首を振った。うめくような声は、今にも泣いてしまいそうだった。

 「……テッド、君は…僕に、責めて欲しいのか…?やめようよ、もう。傷付けあいたくなんか、ないんだ。もう、傷付けるのも、傷付くのも、たくさんだ。君を、傷付ける為に…会いたかった訳じゃない。」

 苦しげに目を伏せるアリアを見て、ようやく俺は、自分がただ懺悔し、楽になろうとしていた事に気付いた。

 「…ねぇ、テッド…僕は、最初から…この紋章を継承した時から、ずっと…君を恨んだりした事ないんだ。そう出来たら、もっと楽だったのかも知れないけれど。辛かったし、苦しかったし、哀しかったけれど…それでも、君を…許したのだから…。」
 「そんな訳、ないだろ…俺を、一度も恨まないなんて…俺は、お前を不幸にしたんだぞ?!」
 「……僕が恨んだのは、この『世界』…残酷な未来を、『運命』という名で押し付ける、この世界だ。」

 静かにそう言い、アリアは淡い笑みを見せる。 

 「…もう、いいんだよ…テッド。僕達は、こんな事を言い合う為に、もう一度出会ったんじゃない。君が、血と死に塗れた僕の全てを抱き締めてくれたように…君が自分をどう思っていても、僕が全部認めて許すから。」

 そうしてアリアは、自分より大きな俺を、優しく両腕で包み込んでくれる。…お前はそうして、俺の罪も薄汚さも、何もかもを…俺の永い時の想いごと、包んで癒してくれるつもりだろうか。俺自身すら持て余している、この心を…。

 「全部認めて、許すなんて…そんなんじゃ、お前が壊れちまうぜ?」
 「いいよ。……君に、壊されるのなら。」

 真っ直ぐな瞳で、どきりとするような事を言ってくれてしまう。その目には少しの迷いも、偽りもない。けれど…俺がお前に欲望をぶつけてしまったとしても…どんなひどい事をしたとしても、同じ事を言えるのか?…今と同じ瞳で、俺を見てくれるのだろうか?

 「…簡単に…そんな事言うなよ…。俺、本当に、お前を壊してしまうかも知れない。…自分で、自分が抑えらんないんだ。」

 俺は優しくアリアの頭を撫でながら、何とか自分の中の獣を抑え込む。アリアはきっと、まだ俺の欲望も、俺の心の中にある、ひどい独占欲や執着、お前を傍に縛り付けている暗い悦びを知らないだろう。

 「無理に、抑えなくてもいい。僕は、君が苦しまなくてすむのなら…少しでも、癒されるのなら…何をされたって、構わないんだ。」

 信じられない言葉を聞いた気がして、俺は思わず一瞬固まる。

 「お、おい…お前…自分で何を言ってるか、わかってんのか?!心の準備がどうこう言ってたヤツの台詞じゃねぇぞ?!」
 「わかってるし、覚悟もした。僕を好きにしていい。…だからもう、苦しまないでくれ。」

 俺の為に、心だけでなく、その身まで差し出そうというのか。その自己犠牲的なまでの愛情で。

 「どうして、そこまで…俺は、お前に、そんな風に…犠牲にするようにそう言われても…嬉しくなんかない。」
 「別にそう言うつもりじゃない。自己犠牲って訳じゃないし、ヤケになってる訳でもない。そんなんで男が男を受け入れようなんて、思う訳ないだろう。…ただ、君を癒したい。その為なら、何だって出来る。そう思ったんだ。」
 「癒したいって、俺別に…傷付いたり、苦しんだりなんてしてないぜ?」

 俺の言葉に、アリアがキッと視線を上げて、睨むように俺を見据えた。

 「嘘つき。…君がずっとこの紋章の中で見ていたなら、知っているだろう。僕には、心や記憶が視える。だから…君が僕に対して、本当は何を望んでいるのかも、どうして罪悪感でいっぱいなのかも…わかっているんだ。」

 その言葉に、俺は思わず目を瞠った。確かに、そういう力があるのは知っていた。しかし、まさかそこまで力の強いものだとは思っていなかったから。

 「…お前…じゃあ、俺を…俺の中の澱んだ想いを、見たっていうのか…?」
 「……見るつもりは、なかった…と言っても…言い訳にしかならないけれど…。」
 「…性格悪いぜ、アリア…。」

 心が視える、という事は…どんな事を考えていたのかも、筒抜けと言う事だろう。その上で、俺を癒したいなんて言うのか。そんな事を言えるその想いが、口だけのものじゃないのかを試してみたくなってしまう。どこまでなら、お前が許してくれるのかを。
 …どうしてこんなに好きで、笑っていて欲しいと思うのに、同時に泣かしてやりたくなるんだろう。戸惑う表情をしているアリアを抱き締めて、俺は必死で自分の中の獣を抑えつける。…傷付けたくなんかない。本当は…幸せに笑っていて欲しいのに……。

 「なぁ…アリア…俺、おかしいんだ…狂ってる。きっと、お前を傷付ける。…やっぱり、お前の傍に、戻らない方が良かったのかも知れない。今でないとしても…いつかは…お前を傷付けちまうよ…。」
 「…そんな事、言わないで。僕は、大丈夫だから…傷付いたりしないから。」

 アリアは哀しげにそう言って、俺を抱き締め返す。

 「君を喪った時の苦しさを味わうくらいなら…君に傷付けられ、壊される方がいい。テッドの全ては受け入れられるけど、きっともう、孤独には耐えられないから…。」

 深い哀しみを感じる声に、こいつの仲間だったヤツらや、残った『家族』達は何をやっていたんだ、と思う。どうして、ここまで孤独を感じさせる前に、手を差し伸べてやらなかったんだ。…けれど、そう思いながら、俺のどこかは悦んでいる。アリアが選んだのは、他でもなく俺だった事に。…最低だ。

 「…ごめんな、そんな風に考えさせて。大丈夫だ…俺だって、お前を傷つけたりなんか、したくない。」
 「テッド……?」
 「傷付け合わずに、傍に居られる方がいいもんな。」

 俺がそう言って笑ってみせると、アリアもホッとしたように微笑んだ。ごめんな、俺自分の事で手一杯で。不安にさせてばっかりでさ。お前に激情をぶつけようとしていた。…お前だって苦しいハズなのに、こんな俺の想いを全身で受け止めてくれようとする。

 「でも…本当に大丈夫…?」
 「あんな風な心で、抱かれて欲しくなんかないしな。ま、頑張って抑えるさ。」
 「……。それって結局、先を考えると、色々と怖いんだけど。…先延ばしにしただけ、って言うか…。」
 「そうだなぁ、そうしたらお前を眠らせてやれないかもっ!なんてな。」

 そんな事を言ってみると、途端に呆れ顔をされて、更に深々と溜息までつかれた。…一応、半分は冗談だけど、半分は本気なんだけどなぁ。

 「…まぁ、いいよ、それでも。…我慢出来なくなりそうだったら、あらかじめ言ってよね。」
 「何、お前が処理してくれるって?」
 「……馬っ鹿じゃないか?!全く…そうやってふざけてる間は、知らないから。勝手に一人でやってろ!!」

 怒りにか恥ずかしさからか、赤面したアリアは俺の足を思いっきり踏んでから、するりと俺の腕をすり抜け、自分の荷物の傍にしゃがみこんだ。

 「ひでぇな、こっちにとっちゃ、死活問題だぜ?」
 「何が死活問題だよ。このエロじじい!……ふざけてないで、本気でこなきゃ、僕は手に入らないよ。」

 自分の荷物から着替えを取り出し、風呂に向かいながらこちらを振り向いて、あいつはふ…と笑ってみせる。

 「勢いでもなく、慰めでもなく…本気で求めてくれるなら…僕はすぐにも応えようと思うのに。…覚悟はもう、出来ているのだから。」
 「……あ、アリア…?!」
 「それじゃ、僕風呂に入るから。今日は色々あって、何か疲れちゃったし。」

 そう言いながら風呂へと消えた背中を、間抜けな顔で見送った後、俺は思わず笑っていた。全く、何てヤツだろう。きっと、俺がどんな心であいつを抱いてしまったとしても、あいつはそれを覚悟し、許してくれるつもりだったのだろう。そうして、それを何とか抑えきった俺に、あんな事まで言ってくれてしまう。

 「…そんな事言うと…これから襲っちまうぞ。」

 それでも、アリアはきっと許すのだろう。自分でそう言ったから悪いのだと、逃げ道まで用意して。あいつは、そう言うヤツだから。

 「全く…敵わないよなぁ…。」
 「何を風呂場の前でゴチャゴチャ言ってるの?」

 閉まったと思った扉を再び開けて、アリアが呆れたように俺を見ていた。

 「あれ?もう風呂に入ったのか?」
 「テッドが何かぶつぶつ言ってるのが気になったから、まだ入ってないよ。…扉の前で、何してるんだよ。」

 まぁ、風呂場の扉の前で、一人でブツブツ言ったり笑ったりしてりゃ、そら気にもなるよな。うん。

 「いやー、折角だし、久し振りに一緒に入ろうかなぁ、とか。」
 「……狭そうだし、何となく身の危険を感じるから、遠慮しとく。」
 「チッ、やっぱりダメか。」

 覚悟をしてるとか言ってる割に、ガードが堅い。なんて思った俺に、アリアは大きな溜息をつく。

 「男の裸見ても、別に面白くもなんともないだろう。昔は時々一緒に入ってたけどさ。今はテッドが僕よりでかいからヤだ。」
 「うーん、俺はお前の裸なら、見たいんだけどなぁー。」
 「知りません。…今度は何か一人でゴチャゴチャ言わないでよ?」

 言うだけ言って、さっさと扉の向こうへ消えるアリアを、扉が閉まるまで見送り、俺は苦笑する。

 「まぁ、我慢出来るとこまで、頑張るか……。」

 せめて、俺の中のケモノが、自己犠牲心の塊のようなお前を傷付けぬよう…貪欲に求めようとする心を抑えながら、俺はただお前の傍に在れる幸せと罪悪感を、そっと胸の中、押し込んでいた…。



お前は俺のモノだと 澱む想いが騒ぎ立てる
その全てを 食らい尽くそうと 黒いケモノが吼えている

ただ 優しく微笑みながら
お前は 全てを捧げるだろう

まるで 捧げられた生贄のように…



三章へ続く

 テッド復活話その二です。何度かうっかり突っ走りそうになって、何とか踏み止まった結果、こんな話に。つまりは、ヤるかヤらないか、って話みたいで、何だかなぁ…。アリアの覚悟と、テッドの苦悩を描きたかったんだけど、結局そう言う話みたいになってる辺り、まだまだだね、自分よ。って言うか、もっとこう、日本の怪談みたいに、どろどろしつつ綺麗で切なげな感じにしたいんだけどなぁ。難しいのです。

 つか、そろそろ次くらいで、こいつらナニかやっちまいそうな気がするような、しないような…。いいんだろうか、こんな滅茶苦茶オリジナルな設定で、好き勝手して、とか…ちょっと思うんですけども。…ま、まあ、オリジナルみたいなもんなんで、見逃して欲しいなぁ、とか思ってみたりします。



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