3.



 「……ごめん、なさい…。こ、んな…ボロボロ、泣けると…思わなかった……」

 そっとナッシュの胸を押し、アリアが恥ずかしげに身を離す。

 「…何か、長々と…。すまない、疲れた…よね…?」

 「それ程でもないさ。俺の治療は、さっきしっかりやってくれたから、そう痛くもないしな。」

 「…そ、そっか。じゃあ、僕は、焚き木を拾いに…」

 誤魔化すようにそう言い、立ち上がろうとする腕を、ナッシュはさっと掴む。

 「――っっ!!」
 「……懲りないっていうか、何て言うか…。お前、自分の怪我は治療しない気か?」
 「…僕は、そう簡単には、死なないから…」

 アリアがそんな事を口にした瞬間、容赦なくその腕を強く引いた。

 「…っっ!い…痛いいたいっ!!」
 「当たり前だろ!…全く…どうかしてるぜ」

 呆れたように呟いて、ナッシュはアリアを立たせると、洞穴の中に湧いた泉に連れて行く。

 「…洞穴の中に、泉があるなんて…だからここ、湿っているのか…」

 その泉を目にして、ぽつりと呟くアリアをじっと睨む。

 「…それはいいから、傷がある所、全部出せ。どうせ、腕だけじゃないんだろう」
 「わ…わかった…」

 先程のが余程効いたのか、怒るナッシュの顔を見ると彼は少し青くなって、素直に服を脱ぎ、傷をさらす。…思った通り、全身あちこち傷だらけだった。

 「……あのな…。いっくら死ににくいっつっても、不老なだけで、不死じゃないんだろう?浅かろうが、深かろうが、こんな傷だらけなの、放っておける訳ないだろ」

 さっと清らかな水で血を洗い流すと、よりはっきりと傷が目立つようになった。多分、水でも痛い位だろうが、彼はうめく事すらせず、ただじっと痛みを耐えていた。

 「まぁ、こんなもんか。後は、薬を…」

 言いかけて、ふと疑問がよぎる。

 「…そう言えば、魔法は?」
 「今日は、もう無理だよ。札も、回復用のものは持っていない。…今まで、紋章だけで充分だったから」

 その言葉になるほど、と頷き、薬で治療をする。あまりの細かい傷の多さに、アリアが持ってきていた薬は、殆どなくなってしまった。布を当て、仕上げに包帯を巻いた頃には、既に灯りが必要な夜になっていた。

 「今度こそ、焚き木を拾ってくる。そうしたら、夕食にしよう」
 「って、ちょっと待て!」

 止める声も聞かず、アリアは着替えるとすぐにマントを巻きつけるようにして、外へ出て行ってしまった。少しして、両手に小枝と薬草を抱えて戻って来た彼を、ナッシュは呆れた顔で迎えた。

 「……お前…普通、薬塗って、包帯巻いた後に、雨の中出て行くか?」
 「大丈夫。マント着ていったし」

 しれっとした顔でそう言うアリアに、そう言う問題じゃないっての。と心の中でツッコむ間に、疲れも見せずにてきぱきと火を熾し、夕食の準備を始めた。

 「食料もなかったんじゃ、お腹空いただろう。…今、何か用意するから」
 「いや…」

 そこまで気をつかうな、と続けようとした瞬間、正直な腹が空腹を思いっきり訴える。その大きな音に一瞬きょとんとした後、アリアは顔を背けて隠すように俯く。…しかし、その肩は微かに震えていて…つまり、笑いを堪えていた。

 「……笑いたきゃ、笑えばいいだろ…」

 少しバツが悪そうに、拗ねたような表情と言い方のナッシュがまた面白かったのか、アリアはついに声を上げて笑い出してしまった。
 それは、哀しげでも苦しげでもない、心からの笑顔だった。まるで、何年分かの笑いを一気に溢れさせたように、しばらく笑い続ける。その笑みは、見ているだけで心が明るくなるような…そんな笑顔だった。

 「ご、ごめん…こんなに笑ったら、失礼なんだけど…。ああ、こんなに笑ったの、何年振りかな…」

 涙すら浮かべ、息を切らして、それでも彼はすまなそうにそう言った。

 「まあ、いいさ。そんだけ笑ってもらえれば、むしろ爽快な位だからな」

 ナッシュの言葉に笑みを返し、彼はさっき外から持ってきた薬草を使い、何か粥のような物を作り始める。湯気を立ち昇らせるそれを見つめながら、ナッシュがぼそりと呟く。

 「…お前、あんな笑い方も出来たんだな…」

 薬草をちぎって入れていた手が、一瞬ピタッと止まったが、すぐに何も言わず動き始める。

 「俺は…無理に笑っているよりも、ああいう笑顔の方が、好きだけどなぁ…」

 その言葉を聞いた途端に、ちぎっていた薬草をうっかりそのままバサーっと入れて、その顔を朱に染めた。

 「な……いきなり、何を言い出すんだか…」

 照れたように言った後、どっさりそのままの形で入ってしまった薬草を見て頭を抱え、鍋をかき混ぜながらぐいぐいそれを押し込んだり、困った顔で味を何とかしようとしている姿からは、彼が英雄などと呼ばれているとはとても思えなかった。

 「だ、大丈夫か?」
 「何とか…。いや、大丈夫だよ。うん。少なくとも、不味くはない…と、思う」

 ふぅ、と息をついたアリアに、思わず心配になって声をかけると、少々不安な答えが返ってきた。ナッシュはその事に関しては食べるまで考えないようにしようと、ただその行動を見守る事にした。
 …こうしていれば、普通の少年(少なくとも外見は)なのになぁ、と思って、ナッシュは思わず溜息をついた。あんな風に哀しげに笑う彼より、今の人間味溢れる姿の方が余程好ましいと思うのだが。

 「……哀しいよな…」
 「??何か言った?」

 料理に集中していたのか、呟いた言葉も、心の声にも気付かれずにすんだようだった。

 「いや、何でもないさ」

 そう答えると、怪訝そうな表情をしつつ、アリアは再び料理に没頭し始めた。
 その彼の姿を見つめながら、戦争がこの少年から奪っていった様々なものが、どれ程の傷を彼の心に残していったのか…。それを考えると、何だか妙に哀しくなった。

 「……ナッシュ?どうかしたのか?」

 我に返ると、いつの間にか粥を作り終え、ハムやチーズを挟んだパンを焼き終えたアリアが、薬草粥を椀にもっている所だった。

 「ああ、いや。腹が空きすぎて、ボーっとしてたみたいだ」
 「そうか。ならしっかり食べて、頭にちゃんと血がいくようにした方がいいね」

 はい、と手渡された粥は、さほど青臭い匂いもしておらず、身体に良さそうな味がしたが、少なくとも不味くはなかった。パンやドライフルーツなども用意してくれて、ナッシュはそれらを一気に平らげていった。

 「……よく、入るね……」

 呆気にとられた様子で、思わずナッシュを見つめたまま、アリアは固まっていた。

 「そうか?…っていうか、お前こそあんまり食わないんだな。だから育たないんじゃないか?」
 「……僕はもう、どうせこれ以上育たないからね…」

 アリアの返答を聞いているやら、いないやら。用意した物の殆どをナッシュに譲って、アリアは溜息をつきながら自分の取り分を片付ける。
 …あのすらりとした身体の、一体どこにあんなに入っているんだろうか…。黙々と食べながら彼はついそんな事を考えた。

 「お前、それだけでいいのか?」
 「…いい。見てるだけで、お腹いっぱいだよ」

 元から、そんなに食べる方ではないのだ。そこで更に、あの食べっぷりを見せられては…入るものも入らなくなるというものだ。

 「まあ…あれだけ美味しそうに食べてもらえると、嬉しいけどね」
 「ああ、食えりゃいいと思っていても、やっぱり不味いものよりは、美味いものの方がこっちも嬉しいからな」

 ……それは、誉めているのか?と一瞬首を傾げる。何となく釈然としない気分になりつつ、食べた物を片付け、ようやくアリアは一息ついた。
 何だか、ひどく疲れている気がした。やはり、あれだけ戦って、殆ど身体を休めていないせいだろうか。魔法も使いすぎて、心身共に疲れ切っているようだった。

 「…あ、そうだ…。イヤリング…」

 言いかけたアリアの手に、そっと忘れ物のイヤリングを乗せられる。

 「今度こそ、黙って行くなよ?そうしたら、こんな事はないんだろうから。…とにかく、ちゃんと返せて良かったよ。大事な、物なんだろう?」

 ナッシュの言葉に、静かに頷く。

 「…このイヤリングは、解放軍を束ねる者の証だったんだ。石の中に、地図みたいな物が見えるんだけど…それは、解放軍のアジトを示すものなんだ」

 彼はイヤリングをじっと見つめたまま、それにまつわる長い話を静かに語りだした。
 国の腐敗、託された真の紋章、旧解放軍との出会い。そして…そのイヤリングと共に、願いを…想いを受け取り、リーダーとなった…。

 そこまでを話し終えた頃には、既に真夜中になっていた。アリアは疲れたように首を振り、溜息をついて、もう休もう、と言った。

 「…続きは、またの機会としよう…。魔法を使いすぎたせいか、ひどく眠い…」
 「どうして、俺に…話してくれる気になったんだ?」

 問いかける声に、彼は目を伏せたまま、もう一度首を振る。

 「どうして、かな…。もしかしたら、吐き出したいだけなのかも…」

 そう呟いて、アリアはそのまま沈黙してしまう。

 「…アリア?」

 呼びかけても、返事はない。そっと俯いた顔を覗き込むと、既に深い眠りに落ちた後だった。ナッシュは苦笑を浮かべ、ぽんぽん、とその頭を軽く撫でる。随分無理をしてここまで来てくれたようだから、これまで寝なかった方が不思議な位だと思った。

 「……お休み」

 誰ともなしにそう呟き、ナッシュもまたその疲れから眠りに落ちていった。





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